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才川町


「才川町」の詩碑 才川町通り(現 若宮町)

明治25年(1892年)に才川町となったが、現在は若宮町、日吉町に変更になっている。朔太郎は時折友人と来遊し、大正十年(1921年)にこの詩を発表している。かつての才川町は製糸業、糸繭市場の中心地として盛況を極め、才川通りは商業地として栄えた。以前の前橋乾燥場跡地に「才川緑地」が作られ、そこに詩碑が、1986年朔太郎生誕百年を記念して設置されている。現在は往年の姿を見ることはできないが、右の写真に「才川通り」の文字が見える。

才川町
  十二月下旬
空に光つた山脈やまなみ
それに白く雪風
このごろは道も惡く
道も雪解けにぬかつてゐる。
わたしの暗い故郷の都會
ならべる町家の家竝のうへに
かの火見櫓をのぞめるごとく
はや松飾りせる軒をこえて
才川町こえて赤城をみる。
この北に向へる場末の窓窓
そは黒く煤にとざせよ
日はや霜にくれて
荷車巷路に多く通る。


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