メニュー

東宮七男


     「花なればこそ」
夕焼け熟れ
わくらば花のごとく燃え
渦まく風に
追われつ追いつ
きびしきあらがい夢と化す
うつせみの花を求めつ
今日もまた
暮れゆく川辺をさまよう
流れゆく
名もなき空の花なれば
ひたひた思いわずろうのみ
1978年11月80歳を祝って設置 『空のうた』より

東宮七男かずお(1897−1988)は詩人。勢多郡宮城村(現前橋市)に生まれる。群馬師範を卒業。萩原朔太郎に師事、後に萩原恭次郎らと前衛的な詩活動に入る。萩原恭次郎とは遠縁にあたる。群馬師範学校在学中に、前橋中学校在学中の恭次郎と出会い、1938年に従兄の東宮大佐の伝記である『東宮鉄男伝』編集のため満州(現在の中国東北)に渡り、終戦後帰国。群馬ペンクラブを興し、「鶴」を刊行。詩集に1954年『魚鷹(みさご)』、1972年『遍羅』、1987年『空の花』を刊行した。郷土詩人の研究著作も多く、県文化功労賞、高橋元吉賞などを受賞し、群馬ペンクラブ会長、県文学会議副会長などをつとめていた。満州での7年以外終生群馬の地で過ごした。「花なればこそ」は「空の花」に収められているが、詩碑を作成するために作られた詩である。きびしきあらがい夢と化す うつせみの花を求めつ ・・・ 名もなき空の花なれば ひたひた思いわずろうのみ」は詩人としての求めずにいられない思いが切なく伝わってくる。
           
メニュー