榛名山麓の性神たち | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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あとがき より 文化財の調査や、郷土史の編纂といった仕事に手を染めてから、はや三十年の歳月がながれた。 そうした折々に訪れた神社・仏閣・小祠・野仏、または自然の山河木石などに、性に関する信仰や、伝説、あるいは習俗をもった ものが極めて多いことに気付いた。 しかし、多くの市町村史・県史などは、不思議とこれ等について余り触れていない。これは儒教渡来後の、いわゆる、儒教的厳格 主義にもとずき平安以降、性神を淫祠、邪教を禁じ、長い歴史を通じて幾度か抑圧破壊猿滅がはかられてきた。 こうした思想を受け継いだ明治政府の教育方針も、性にふれることをタブー化し、抑圧してきた。その結果、性に関することばを、 すこしでも口にすると、けがわらしい∞いやらしい∞エッチな人≠ニ非難される。そうして、性とは、陰湿なもの、下卑なもの 、猥褻なもの、ときめつけ、印象ずけられてきた。 しかし、この辺で、もう一度、日本の性に対する考え方を、はるなか過去にさかのぼって考えてみる必要があるのではないだろう か。 そのような観点から、わたしは、日本人の伝統的な、そして素朴な信仰や風俗習慣、年中行事の中に、今もなお残されているも のを足がかりにとして、各地の性神を探ってみた。 ところが、権威ある多くの神社仏閣ですら、その信仰の源流を尋ねるとき、究極的に現れてくる御神体は、多くの場合、性神に逢 着したのである。即ち、性神信仰は日本人の信仰の原点の一つであったと思われるのである。(続く) |
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