日々の抄

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  殉国美談で済ませることはできまい

2007年04月02日(月)

 高校生の主に2、3年生が来春から使う教科書の検定結果が文科省から3月30日に公表された。学習意欲、学力差に対応するとともに、歴史認識に今までにない新しい動きが見られる。そのいくつかを挙げてみると次のようなものである。
興味を引くため、基礎学力の補いを意識した教科書。
 マンガ、イラストを多様。ある社の数学Uでは、183ページ中、半分以上にイラストを配置し、うち20ページ弱には吹き出しつきのマンガを掲載。「数学が苦手な生徒に入り口のドアをノックしてほしい。マンガやイラストは思わず開いてみたくなるように使った」というが、学習指導要領の範囲を超えて学べる「発展」は皆無。
 世界史Aでは、ページ数は15%を減じ記述量を少なくし、図版を多用。視覚に訴えようと、ブックデザイナーに全ページの割り付けを依頼し、見開き2ページを1時間の授業でを目安にしているものがある。
 英語では、単語の読みをカタカナ表記したものもある。「高校進学時にアルファベットが書けない生徒さえいる。やはり読めないと始まらない」ことへの対応。中学校用の「動詞の不規則変化表」を載せた本も。「11レッスンのうち、5までは中学の内容」の教科書もある。各社とも「中学が会話重視になった分、文法が身についていない」という現場の声に応えて、随所に「文法の復習」を配置。マンガや写真で見た目も工夫している教科書もある。また、小学校で習う分数の計算を復習用に掲載した数学の教科書もある。

 大学入試を意識し難易度を上げている教科書。
英語Uで規定数の英単語に加え、さらに200語学べるようにした教科書は、予備校で教えるような「読解技術」も充実させたという。「発展」の割合がページ数比5.5%と最も高いのは化学Uで、「化学反応の速さと平衡」分野が「入試に頻出しているという現場からの要請」から全体の1/4を占める教科書もある。生物Uの「発展」は前回検定時の倍になっている。昨年のノーベル賞の対象になった「RNA干渉」や「酵素と活性化エネルギー」、「脂質やたんぱく質の分解経路」など2次試験に出やすい項目は全社共通。物理Uでは「多原子分子のモル比熱」、「RLC直列回路」、「相対性理論」を扱う教科書もあるというが、「相対性理論」がどのようなものか程度ならまだしも、高校生に詳しい内容を理解させることが困難なことは自明。相対性理論を扱うなら、指導要領内容に含まれてないが、「流体力学」、「剛体の動力学」を復活させるべきではないか。
 教科書出版各社で難易度に応じた複数の教科書を出版している場合があるが、生徒のレベル低下に合わせすぎれば、内容が下がる一方になることは見えている。高校としてこれ以下にできないとする限度が当然あって然るべきでないか。生徒に迎合しているだけ、学力の確保ができるはずがない。一方で、大学入試問題は高校の教科書に基づいて作成され、高校では大学入試に出るから難易度が高くなるという悪循環に歯止めをかけなければおかしい。文科省は高校までは指導要領で規制しているものの、大学入試でその枠を超えた内容の出題があった場合、警告を発し、規制することをしてきているのか疑問である。

 今回の教科書検定で最も問題と思うのは、日本史A、Bの「沖縄戦の集団自決で日本軍が強制した」との記述に修正が求められたことである。教科書会社にとっての修正要求は、教科書が採用されるための命令である。これまでは軍の強制を明記していた教科書も合格していたが、今回から文科省は方針を転換させ、昨年度まで検定合格した教科書についても各出版社に訂正を通知する予定で、強制力をもたず各出版社の判断に委ねられるという。
 具体的には、申請本で「日本軍は・・・くばった手榴弾で集団自害と殺しあいをさせ」に対し、「沖縄戦の実態について誤解するおそれのある表現」と意見を付けた結局、「日本軍のくばった手榴弾で集団自害と殺しあいがおこった」と記述変更。また、申請段階で「日本軍に『集団自決』を強いられたり」とあったものを、「追いつめられて『集団自決』した人や」と変えるなど、合格本は軍の強制を削り、日本軍の関与について否定する表記となっている。

 「集団自決」についての見解が変わったのは何故か。
 文科省によると、「集団自決」の記述を「沖縄戦の実態について誤解するおそれのある表現である」、「軍の強制は現代史の通説になっているが、当時の指揮官が民事訴訟で命令を否定する動きがある上、指揮官の直接命令は確認されていないとの学説も多く、断定的表現を避けるようにした」、「従来の説のみによる記述に検定意見を付さないとバランスを欠く」と説明。
 「集団自決」をめぐる説の主な変遷について文科省には次のような認識がある。
 「自決せよ」との軍命を初めて記述したのは沖縄タイムス社の「鉄の暴風」(1950年)で、聞き取りを基に軍命があったというニュアンスで書かれた。これがさまざまな形で引用されるようになった。1970年の「沖縄ノート」(大江健三郎氏)が、「鉄の暴風」を引用して軍命を下したといわれる元戦隊長を批判。これらに対し、1973年の「ある神話の背景」(曽野綾子氏)が軍命の真実性に疑問を投げ掛けた。また、座間味の「集団自決」に関する女性の証言を基にした「母の遺したもの」(宮城晴美氏)は、「いろんな理由があってそう証言せざるを得なかったが、それは誤りである」という内容になっているとする。これらの出版物を並べて、文科省は「軍命について説は判然としない」との結論付けている。
 特に重視したと思われるのは、大阪地裁で係争中の訴訟での元戦隊長の証言であるらしい。集団自決については、「沖縄ノート」などで、「自決命令を出して多くの村民を集団自決させた」などと記述されている。これについて、沖縄・座間味島の当時の日本軍守備隊長で元少佐の梅沢裕氏らが、記述は誤りで名誉を傷つけられたとして、出版元の岩波書店と大江氏を相手取り、出版差し止めと損害賠償などを求めて2005年に大阪地裁に提訴している。文科省は検定姿勢変更の理由を(1)梅沢氏が訴訟で「自決命令はない」と意見陳述(2)最近の学説状況では、軍の命令の有無より集団自決に至った精神状態に着目して論じるものが多い、としている。
 だが、国自身が当事者ではなく、判決も出ていない訴訟での証言という不確定要素に加え、原告、被告双方からの意見ではなく、原告だけの主張を取り入れ、教科書に反映させる姿勢には疑問を抱かざるを得ない。裁判の事実認定と証人尋問がこれからという段階で、被告側が「軍命があった」という証拠を出して反証しているにも関わらず一方の証言だけを取り上げて教科書内容の訂正を求めるというのは明らかに意図的であり何処からの圧力を感じないわけに行かない。文科省はこれまで教科書検定では係争中の問題を断定的に扱うことを控えてきたのではないか。「カチッとした公的文書が残っておらず、現にそれが争いになっており、従来の片方の主張のみに検定意見を付さないとバランスが取れない」としているようだが、戦時下で軍にとって都合の悪い公的文書が廃棄されている可能性は十分あり、そもそも集団自決を命ずる公的文書が存在しているか否か不明である。
 日本軍に配られた手りゅう弾で「集団自決」を決行しかけた人の「日本軍は各家庭に、軍が厳重に保管していた手りゅう弾をあらかじめ渡し、米軍の捕虜になるぐらいなら死になさいと話していた」、「僕の家族にも一発の手りゅう弾があった。軍のものだから、民間が勝手に取ることはできず、渡されたのは住民は死ねということだ。軍命がないというのは、住民の実感に合わない」などの証言は都合が悪いから採用しないのか。
 今回の「沖縄戦の実態について誤解するおそれのある表現である」とする検定そのものが、「誤解するおそれのある」ものではないか。「集団自決」に対する事実は「学問的」でなく、現場にいた住民の証言が最も信じられるものである。そもそも、軍が沖縄住民を米軍から守れなかったことが集団自決につながり、住民の行動を軍が御していたのではないか。「住民が自ら死んだという殉国美談」で済ませることはできまい。どうみても、「集団自決」に関わる「新しい事実」が出てきた結果の、検定方針を転換とは思えない。

 昨年、中学教科書の誤記が多数(134冊のうち65冊の計208カ所)指摘されていた。今年は大丈夫なのだろうか。

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