日々の抄

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  力で問題は解決しない

2007年04月19日(木)

 米バージニア州ブラックスバーグ バージニア工科大学で16日午前(日本時間同日夜)銃乱射事件が発生。大学によると学生ら32人が死亡、15人が負傷したという。男性容疑者は韓国出身の同大生で自殺した。同学内の2箇所で事件が発生し、第1現場で2名殺害、約2時間後第2現場で30名が講義中に次々に殺害され、犠牲者数で米史上最悪の銃撃事件となった。
 第1現場で事件が発生後、大学から学生に対して注意を喚起する旨の連絡はなく、大学、警察の不手際に対する非難が起こっている。第2現場での被害者のひとりに、「60数年前、ユダヤ人大量殺害を生き延びた老教授が、無分別な銃火の前に身を投げ、教え子たちを救った」と報じられている。同教授は、教室の中に容疑者が入ろうとした時に、撃たれながらも手でドアを押さえ続け、学生たちを避難させ」、身を挺して学生を守ろうとしたという。
 容疑者は学内でまったく孤立し、課題の作文の内容も暴力的だったため、担当教授が「問題がある」として心理状態を判断するためカウンセリングを受けるよう勧めていたことが明らかになっている。だが、実際にカウンセリングを受けたかどうかは確認していなかった。容疑者が寮の自室に残したとみられるメモには「お前たちのせいでこうなった」「堕落している」などと周囲の学生への恨みなどが書かれているというが、犯行の動機はまだ不明で、解明を進めている。

 米国の学校での銃による事件は多数発生している。そのいくつかを挙げると次のようなものである。
 1966年8月 テキサス大学16人死亡、31人負傷、1998年3月 アーカンソー州の中学4人、教師1人死亡、1999年4月コロラド州コロンバイン高校 生徒12人、教師1人死亡、2002年1月 バージニア州アパラチアン法科大学院3人死亡、2002年2月 ミシガン州マウントモリスの小学 1年生の男子児童が同級生児童を「お前なんか嫌いだ」と言って射殺。、2002年10月 ワシントン 17歳少年を含む2人による無差別・連続狙撃 10人が死亡、3人負傷、2005年3月 ミネソタ州の高校生徒5人、教師1人、警備員1人死亡、2006年9月 コロラド州の高校 生徒1人死亡、同年9月 ウィスコンシン州の高校 校長死亡、同年10月 ペンシルベニア州アーミッシュの学校6〜14歳の5人の女子生徒死亡、5人負傷などである。
 学校関係だけでもこれだけの犠牲者が出ているのに米国でなぜ銃の規制がなされないのか。米国では年間、暴発などの事故や自殺を含めて約3万人が銃の犠牲になり、このうち約1万2000人は殺人事件による犠牲者が出ており、銃の保有数は億の単位であるという。日本人のひとりとしてまったく不可解であるが、歴史的、政治的背景があるらしい。事件の多くが正規の手続きをへずに販売された銃によるため、違法銃を締め出そうとニューヨークのブルームバーグ市長らが「違法銃に反対する市長連合」を昨年4月に組織。同連合は1年で全国40以上の州の180人の市長に拡大。米国では合衆国憲法修正2条によって「武器を持つ権利」が保障されており、同連合もその権利は認めた上で違法銃に焦点を当てるにとどまっている。首都ワシントンのあるコロンビア特別区とシカゴ市は住民の拳銃所持を禁止する措置を導入しているが、これが憲法違反であるとの訴えがコロンビア特別区に対して起こされ、3月に連邦高裁が憲法違反にあたるとの判断を示している。
 銃の保有を肯定する政治的団体として指摘されているひとつにNRA(National Rifle Association)がある。前会長を俳優のチャールトン・ヘストンが務め、会員の中にはマイケル・ムーア、ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ(パパ・ブッシュ)がいる。「アメリカから銃がなくならない理由、銃による殺人事件が世界各国と比較して圧倒的に多い理由」についてのヘストンの見解は「アメリカには流血の歴史がある。それに国民の中に多様な人種が混ざっている。人種のるつぼであるからだ」と述べている。歴史的背景には「英国から戦争による独立を勝ち得たこと、銃が西部開拓を進めたこと、自立・自衛の精神」などらしい。確かに西部劇を見ると躊躇いもなく銃を発射している場面を目にするが、それが今も一部に続いているということなのか。日本でも刀で殺傷をしてきたが、明治以降、刀剣類の保持が禁じられてきたことが事態の大きな違いを生んでいるのだろう。今の日本で刀剣類を届けるだけで保有することが許されれば、日常的に刃傷沙汰が多発するに違いない。刀で切ってやりたいと思うことがあっても、手元に刀を含めた凶器がなければ、それだけでも大きなブレーキになっている。工作に使う小刀でもいつも手元に持っていれば、鋭い刃先の光が自分の弱さを強い自分にしてくれるような錯覚が起こってくるものではないか。身近に銃、刀剣類がないからこそ、今までの日本に「安全な国」と思わせるものがあったはずだ。
 NRAのスローガンは「人を殺すのは人であって銃ではない」というが 、人の国にまで出かけて大量の殺戮をしている国の国民が自らにブレーキを掛けられると自信を持って言えるのだろうか。銃は米国における闇である。

 日本は銃を使った事件が日常化していないので安心、と思っていたら、17日夜長崎市長が市長選の中、至近距離からの銃弾に倒れ絶命した。容疑者の犯行理由は、政治的背景はなく、伊藤氏個人でなく長崎市に対する私憤をはらすためと伝えられているが、詳細は解明中という。私憤をはらすために公衆の面前で発砲するなどということは、俄には信じがたい。前長崎市長も戦争責任に対する発言を理由に銃撃されたが命は取り留めた。伊藤長崎市長は被爆都市の市長として、核廃絶運動に奔走し世界に発信してきた。当選から半年後には、オランダ・ハーグの国際司法裁判所大法廷で「核兵器使用は国際法に違反している」と証言。毎年8月9日の平和宣言で世界に向かって核廃絶を訴え続けてきているが、2002年には、同時多発テロ後の米国の核政策を「国際社会の核兵器廃絶への努力に逆行している。こうした一連の独断的な行動を断じて許すことはできない」と米国を名指しで批判。2005年には「アメリカ市民の皆さん。私たちはあなたがたが抱えている怒りと不安を知っています。9・11の同時多発テロによる恐怖の記憶を、今でも引きずっていることを。しかし、1万発もの核兵器を保有し、臨界前核実験を繰り返し、そのうえ新たな小型核兵器まで開発しようとする政府の政策が、ほんとうにあなたがたに平安をもたらすでしょうか。私たちは、あなたがたの大多数が、心の中では核兵器廃絶を願っていることを知っています。同じ願いを持つ世界の人々と手を携え、核兵器のない平和な世界を、ともに目指そうではありませんか」と呼びかけている。
 国連事務総長は伊東氏が「平和の闘士」だったとして、その死を悼んでいる。
昨年8月の米国による未臨界核実験に対して「自国のことのみを考え、日本のこと被爆国のこと、長崎、広島のことをまったく無視している」と怒りを露わにしてきた。日本の非核化、核廃絶の旗手だった伊藤氏を失ったことは日本にとって余りに大きな損失である。
 惨劇が伝えられるなか、久間防衛相は17日夜に「万が一のことも考えないといけない」「共産党と一騎打ちだと共産党の候補が当選してしまう」などとと言及。多くの市民、国民が伊藤氏の身を案じているときに、目先の利益だけを公然と語っている人物が政治に関わっていることは悲しい。また、首相は事件発生直後「捜査当局において厳正に捜査が行われ、真相が究明されることを望む」とコメントを出しているが、首相なら「暴力行為で言論を封殺するようなことが選挙戦の最中に起こったことに対する怒り」を声高に語るべきではないか。首相のコメントに血が通っているとは思えない。

 日本でも米国と同じように銃が簡単に手にすることができたら、沢山の命がいわれなく失われることは見えている。自分の不都合、鬱憤を晴らすために凶器を使って殺傷することを胸を張って否定できる社会でなければならないことは言うまでもない。力による問題解決は断固として否定しなければならないし、力で問題が解決できないことを改めて確かめなければならない。力には憎しみと力が返ってくるだけである。
 一方で、今の日本では「言葉」と「数」が殺傷につながりかねないことも忘れてはなるまい。

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