日々の抄

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  「道徳」を教科にしたがる真意は何か

2013年11月21日(木)

 文科省の「道徳教育の充実に関する懇談会」は小中学校の道徳を教科化する報告案をまとめた。文科省は、12月に懇談会の報告を受け,中央教育審議会に諮問,15年度から教科化する日程を検討するという。
 「道徳」が教科に「格上げされる」と報道されており,学校の授業に格があると言わんばかりである。学活も教科科目も同等の教育活動のはずだが、教科の中でも中学、高校では英数国の教科を主要教科だの重要教科などと考えなしにいう場合もあり、受験で重んじられている教科という意味で使っているなら軽薄である。昔から言われる基礎学力の元である「読み書きそろばん」は、たしかに何をするにも求められる能力である。そういう意味では正しい日本語の「読み、書き、話し」もままならないのに,小学校低学年から英語を学ばせることには大いに疑問がある。

  「道徳」は受験の点取り科目と違って「心、信条」に関わっている。「道徳」の教科化にはたくさんの疑問と問題がある。
 そのひとつは,なぜ教科にしなければならないか,である。教科にすることにより,為政者に都合よい教科書を使用し,「道徳」を通して一律の考え方,価値判断を教え込もうとしてもおかしくないし,その気配は濃厚である。
 もうひとつは,誰がどのような教科書を書くか,である。指導内容について,報告案は「発達段階ごとに精選を検討すべきだ」とし、重要項目として「いじめ防止」「生命尊重」「グローバル社会の中でのアイデンティティー」「善悪の価値が最重要」「自己犠牲や我慢」などを挙げたという。
 もうひとつは,他の教科科目と違って点数化することはなじまない。ただ、「道徳」の授業で学習した内容の知識を点数化するだけならできるだろう。記述式で子どもを評価すると報告案にあるというが,「道徳」の何をどのように評価するのか,そもそも「道徳」を正当に評価できる教員がいるのだろうか。甚だ疑わしい。
 人間の思想信条,宗教,歴史は「地歴公民」の中で扱われているから単なる知識を対象とするために「道徳」を教科化する必要はない。いろいろなことに対する受け止め方,判断で自明なことはひとそれぞれである。
 たとえば,「人を殺めてはならない」ことは自明のことではない。日本では人の命を奪うことは人の道に反すると思っているし,自明のことである。だが,国によっては,教会で祈りを捧げた後,戦争で兵士に殺戮を命じたり,自らの手で敵兵に銃弾を撃ち込むことが今も行われている。
 また,困っている人を目の当たりにしているとき,どう対応するかについて。すぐに手を差しのべることが道徳的なことなのか,困っている人が自分で問題解決することを見守ることが妥当なのか。見解が分かれる。それぞれの児童生徒がこれをどう思うかを評価することなどできようがない。下手をすると,「特定の価値観の押しつけにつながる」ことがなされ,児童生徒は「このように考え,応えれば評価される」と,自らの考えを持つ前に,「評価されること」が先に立ちかねない。教科なら評価が伴い,「道徳」を教科とすることは妥当と思えない。

 いじめや不良行為が後を絶たないで痛ましい事故が起こるのは,人を思いやる心が涵養されてないためで,それに対応するため教科書を作り,学校現場で指導しようと思っての教科化なのか。しかし,ひとを思いやったり,ウソのない誠実な生き方を学ぶのは,学校の教室だけでなく,多くは児童生徒を取り巻く社会生活にあるのではないか。
 昨今の社会での不正,不正義は目を覆いたくなることばかりである。余りに多くの食材の明白な偽装を誤表示と強弁があること,幹部役員が承知していながら知らぬフリをして発覚した銀行の不正融資,何度も事故を起こしながら線路の幅が危険であることを修理しないばかりでなく,査察前にデータを捏造して責任回避をしようとしたこと,憲法違反を司法に突きつけられながら定数是正をしようとしない行政・立法府,福島の原発事故の原因究明も事故の問題解決どころか,いつ大量の放射性物質が飛散するか分からず,汚染水が外洋に出ていながら安全だなどと世界に向かって宣言し,同時に安全な技術をもった日本の原発などといって海外にセールスしている首相の不正義。挙げればキリのない「反面教師」がうち揃った大人たちの作っている社会を見れば,「道徳」を学ぶべきは大人たちである。反面教師とする対象が数少ないなら,反面教師に学ぶところはあっても,あまりに反面教師が多ければ,子どもたちは社会に出てそれが当然のことと思っても同じように振る舞っても不思議ではない。

 憲法違反の選挙で選ばれながら改憲を唱える国会議員,特に現政権は投票率が有権者の約半分の投票率の選挙で,その約半分の支持,つまり有権者の四分の一程度の支持によって,教育を思うように変えようとしている。憲法改正,秘密保護法案,教科書検定改訂など,まるで戦前の社会に引き戻そうとしているのではないかと思える動きが見えている。「道徳」を教科にして戦前の「修身」にしようとしていることなど認めるわけにいかない。

 定数是正もできない政治家が教育を語るなど「ちゃんちゃら」おかしい。
 
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