日々の抄

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 元日の社説を読んで

2014年1月1日(水)

ことしも元日の新聞各紙の社説を読んだ感想を書いておきたい。
朝日新聞は
「政治と市民―にぎやかな民主主義に」と題して『強い行政、弱い立法。「補強パーツ」必要、有権者から主権者に』などの項立てにおいて、
 『…ものごとを実質的に決めているのは「行政機関」ではないかという。選挙で議員や首長を選べば民主主義は機能していると思いがちだ』という。特定秘密保護法にしても、『行政府による情報の独占を可能にする。何が秘密かを決めるのも管理するのも、結局は行政府の人である。肝心の国会は監視できる強い立場を与えられていない。国会で多数派が賛成したから成立したのだが、皮肉なことに、この法律は行政府の権限を強め、立法府を相対的に弱める。行政府が民意の引力圏から一段と抜け出すことになった』『行政府は膨大な情報を独占し、統治の主導権を握ろうとする。その結果、多くの国民が「選挙でそんなことを頼んだ覚えはない」という政策が進む』。したがって、『議会は不可欠だが、それに加えて行政を重層的に監視して「それはおかしいと伝える回路が欠かせない」。そのために住民投票や審議会などの諮問機関の改革、パブリックコメントの充実などを提案する』
 と、その多くを哲学者國分功一郎氏の言葉を引用して論じている。最後に『これから2年半、国政選挙はない。それを「選挙での多数派」に黙ってついていく期間にはできない。異議申し立てを「雑音」扱いさせるわけにもいかない。静かな雑木林からの呼びかけに、もっとにぎやかな民主主義で応える新年にしたい』としている。同感である。
 たしかに、国会議員は選挙で当選しない限り政策に参加できないが、行政府は余程のことがない限り、その職にあって自分たちに都合のいい権益を守ることができ、新米の大臣を言いくるめれば、天下りをはじめとしてこの国を思うがままにできるのだろう。そうした人物を国民はその職から解くことはできない。そのために国民は、『有権者から主権者に』なるような市民運動を進めなければならない』。その通りである。一人の声小さくとも、集まれば大臣の本音を公にできるのである。

毎日新聞は
『民主主義という木 枝葉を豊かに茂らそう』というタイトルで、『強い国や社会とは、指導者が、強さを誇示する社会でなくて、異論を排除せず、多様な価値観を包み込む、ぶあつい民主社会のことである』
 特定秘密保護法、初の国家安保戦略、そして靖国参拝。政権与党と安倍首相の、力の政治があったが、『「反対するのなら次の選挙で落とせばいい」などと政治家が開き直ったり、多数決に異を唱えるのは少数者の横暴だ、といった主張がまかり通ったりするのは、民主主義のはき違えではないか。・・・民主主義とは、納得と合意を求める手続きだ。いつでも、誰でも、自由に意見を言える国。少数意見が、権柄ずくの政治に押しつぶされない国。それを大事にするのが、民主主義のまっとうさ、である』
 『首相の靖国参拝は、民意を集約するどころか、熱狂する一部の支持者たちと、異なる意見を持つ』者との間に、深い亀裂をつくった』『政権与党は、国民に国を愛する心を植えつけたい、という。愛国心とは、本来、故郷や家族などの懐かしい場所や集団に対する、自発的な愛情である。他人に押しつけようとはしないものだ』『・・母国の迫害から日本に逃れてきた人々の相談に乗ったり、定住のための支援や政府への政策提言をしたり、雇用や教育、介護、医療など、格差社会の問題解決を政治任せにせず、自分たちで取り組む5万近いNPOがあり、…自分たちは「統治する側」にいると考えている政治家は、こうした無数の、無名の貢献が私たちの社会を支えていることに、もっと尊敬の気持ちを持ってもらいたい』『「統治する側」が自分たちの「正義」に同調する人を味方とし、政府の政策に同意できない人を、反対派のレッテルを貼って排除するようなら、そんな国は一見「強い国」に見えて、実はもろくて弱い、やせ細った国だ。「排除と狭量」ではなく、「自由と寛容」が、この国の民主主義をぶあつく、強くすると信じているからだ』と熱く締めくくって、現政権の奢りを諫めている。これらの論はまったくく同感である。

読売新聞は
『「経済」と「中国」に万全の備えを、アベノミクスに試練、成長戦略は首相主導で、偶発的衝突の恐れも、地域の安定に寄与せよ』
などの項立てをして書かれているが、3311文字にもおよんだ各論が多く、そのほとんどは政府の出先のような論説であり、コメントは控えたい。

東京新聞は
『年のはじめに考える 人間中心の国づくりへ』と題して、『株価を上昇させ、企業に巨額の内部留保をもたらしたアベノミクスへの自負と陶酔からでしょう、安倍晋三首相は大胆でした。就任当初の現実主義は消え、軍事力増強の政策にためらいは感じられませんでした』『米国と軍事行動を共にするには集団的自衛権の行使容認の憲法解釈変更は前提で憲法九条改正は最終の目標です。このままでは米国の要請で「地球の裏側」まで自衛隊派遣の義務が生じかねません。安倍政権が目指す「強い国」は「急速な台頭とさまざまな領域へ積極的進出」する中国を念頭に自衛隊を拡大、拡充します。それは他国には軍事大国の脅威ともなるでしょう』
 と現政権への強引な手法と政治の方向性を記している。
 そして冒頭で、『経済や軍事でなく人間を大切にする国に未来と希望があります』として、『何が人を生きさせるのか−。ナチスの強制収容所で極限生活を体験した心理学者V・E・フランクルが「夜と霧」で報告するのは、未来への希望でした。愛する子供や仕事が、友や妻が待っているとの思い、時には神に願い、誓うことさえ未来への希望になったといいます。…社会にも未来と希望があってほしいものです。四月から消費税率引き上げとなる二〇一四年度の税制大綱は企業優遇、家計は負担増です。企業には復興特別法人税を前倒しで廃止したうえに、交際費を大きく減税するというのですから国民感情は逆なでされます。税もまた教育や医療と介護、働く女性のための育児や高齢者福祉サービス、若者への雇用支援など人間社会構築のために振り向けられなければなりません。そこに未来や希望があります』としている。
 東京新聞は、昨年12月30日付け社説で、『年のおわりに考える 民主主義は深化したか』と題して、特定秘密保護法の成立を強行、靖国参拝を行うなど一連の動きに対して『そこには多数党の頂点に立つ首相なら何をやっても乗り切れる、という「慢心」があるように思えてなりません』とし、宮崎駿さんの「世の中の大事なことって、たいてい面倒くさいんだよ」を引用して、『民主主義を実践するのは面倒です。しかし、その地道な作業に耐える忍耐力こそが、民主主義を深化させる原動力になるのです』としていた。

 この東京新聞の社説も元日の朝日、毎日ともに、共通していることは、強権と傍観によって危うくなっている民主主義への憂慮である。
 今の日本の政治、行政がはたして主権者たる国民のために動いているか、権力者の独善と奢りによる行為が、真の民主主義を破壊する方向に向かっているのではないか、ということをマスコミの一端が憂慮していることは心強いことである。だが、昨今のTVなどは首相が頻繁に顔を見せ、まるで政府の広報機関ではないかと思いそうな報道がなされている。マスコミがかつての大政翼賛会の一翼を担うことになれば、この国の進む方向は、ナショナリズムに走り、海へ向かって列をなして進んで命を落としていくネズミの行列と同じことになる。

 日本が、社会や家庭を崩壊させた二度と犯してはならない国の方向の危うさををしっかり見据えた監視と報道を新聞に望みたい。体制に迎合したら「体制親聞」となり、お終いだが、いずれの新聞も先の戦争で軍部のニセ情報を流して国民を欺いた。だが、反戦的な記事を書けば購読者が激減し企業として成り立たなくなる運命にあったという。不幸に至る最大の驚異は、戦地で玉砕した若者を「軍神」とまつりあげ、敗戦後は「非国民」と罵った市井に住む、権力に組み敷かれていた一般国民であったことは忘れてはなるまい。
 
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