日々の抄

       目次    


 放言は続く

2014年1月30日(木)

 このひと月のうちに許しがたい放言が続いたので記しておきたい。
その1
 岸田外務大臣による核兵器使用発言。外相は20日長崎大学で行われた講演で、核兵器の使用について「集団的自衛権に基づく極限の状況に限定すると宣言すべきだ」「核兵器使用の可能性を広くとっている国もあるが、少なくとも個別的、集団的自衛権に基づく極限の状況に限定するよう宣言すべきだ」と発言。会場の被爆者から「核戦争が認められるということなのか」との質問に対し外相は「現時点で一歩一歩前進させていく、その過程の議論としての例」と説明。「決して我が国として使用を認めるという話ではない」とも話したという。
 集団的自衛権の確立を急ぐのはそういうことだったのかと思わせられる。現政権は日本をとんでもない方向に持って行こうとしているのか。
 外相の発言は限定的なら核兵器の使用を認めると受け取れる。明らかに非核三原則に反するものであり、唯一の戦争による被曝国の外相の発言は、国内はもとより、諸外国から「日本は核廃絶に反することを国の代表が考えているのか」と思われることは確実である。
 外相の発言が問題なのでなく、そのように考えている人物が政治家、それも外相をやっていることが国として大きな誤りである。

その2
 籾井・NHK新会長の発言も許しがたい。
 25日のNHK会長としての記者会見での、慰安婦を巡る問題についての質問に対し、「戦時中だからいいとか悪いとかいうつもりは毛頭無いが、この問題はどこの国にもあったこと」「韓国だけにあったと思っているのか。戦争地域にはどこでもあったと思っている。ドイツやフランスにはなかったと言えるのか。ヨーロッパはどこでもあった。なぜオランダには今も飾り窓があるのか」「慰安婦そのものは、今のモラルでは悪い。だが、従軍慰安婦はそのときの現実としてあったこと。会長の職はさておき、韓国は日本だけが強制連行をしたみたいなことを言うからややこしい。お金をよこせ、補償しろと言っているわけだが、日韓条約ですべて解決していることをなぜ蒸し返すのか。おかしい」と語った。
 また、尖閣諸島などの領土問題について、「日本の明確な領土ですから、これを国民にきちっと理解してもらう必要がある。今までの放送で十分かどうかは検証したい」「国際放送は国内とは違う。領土問題については、明確に日本の立場を主張するのは当然のこと。政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」としている」
 NHKの番組に対して、自身の考えを反映させたいか否かについて「私がどういう考えであろうがなかろうが、放送法に基づいて判断していく」としているが、放送法第1条によれば、『放送が守るべき原則として「不偏不党」「自律」「表現の自由」「健全な民主主義の発達に資すること」』を第4条では『番組の編集にあたって政治的に公平であること、意見が対立している問題では多様な角度から論点を明らかにすること、などを求めている。』としているが、政府の主張そのままの番組制作が当然という会長の意向が反映されれば、NHKは単に、政府の広告機関にしか過ぎなくなるのではないか。
 記者から、「会長の職はさておきというが、公式の会見だ」との指摘に、「では全部取り消します」と言ったが、一度発した言葉は消えない。

 籾井氏の問題発言に対し菅官房長官は「個人的見解、取り消したから問題はない」としている。都合の悪いことは個人的発言とすり替える手法は無節操としかいいようはないし、発言があまりに軽すぎる。

 自民党政権は、原発やオスプレイなどのNHKの報道が偏向していると抗議している。経営委員は政府の意向を汲んだ人物が選ばれている。その内のひとりである百田尚樹氏は、自身のツイッターで「他国が日本に攻めてきたら、9条教の信者を前線に送り出す」などと述べ、物議を醸し、顰蹙を買っている人物である。経営委員の殆どは首相に通じる人物ばかりが選ばれていると思われている。同時に、秘密保護法の、秘密指定の基準のあり方などを議論する「情報保全諮問会議」の会長に首相と懇意な読売新聞グループ本社会長・主筆の渡辺恒雄氏が就任している。諮問機関を作って、あたかも国民の民意を汲み取っているように見せかけていても、政権に都合にいい人物を集めて、諮問した結果が多くの民意を汲み取っているなどと到底考えられない。

 NHK会長の上記の発言が私人の発言だなどと言い訳しているが、NHK会長会見の場での発言であることを認識してない、およそ酔っぱらいのおじさんの世間話を聞かされた感があり、全く公人であることの意識のなさは語るに落ちたと言うべきである。立場をわきまえない人物はNHK会長に値しない。籾井氏の発言が問題なのでなく、彼がNHK会長にいること、選考したことが問題なのではないか。

その3
 首相が22日、スイスのダボスで行われた主要メディア幹部ら約30人に限定した会合で、現在の日中関係を「今年は第1次世界大戦から100年目だ。イギリスもドイツも経済的な依存度が高く、最大の貿易相手国だったが、戦争が起こった」と述べた。
 この発言に対して、アベノミクスにとっても、日中関係に大きなリスクがあることを認めていることになり、欧州に対して第1次世界大戦を持ちだすことが微妙な問題であることの認識が不足している。100年前とは社会情勢、経済状況も異なっており、この比較は間違っている。会議の参加者が、日本の指導者による「日中開戦の可能性を否定せず」と受け止めた衝撃は大きなものがあったと伝えられている。
 この発言は首相の靖国参拝に続いて中国、韓国の日本への絶好の攻撃材料を与えたに違いない。手ぐすね引いていた両国にとって、「日本攻撃」の材料を提供することは明らかに国益を損ねることである。首相は、いい喩え話をしたつもりだろうが、自分の発言がどのような受け止められかを考える想像力に欠けているのではないか。後になって、言い訳を考え「自分はこういうつもりだった」ということは一国の指導者としては見識に欠ける。

 いずれにせよ、現政権にある人、あるいはその関係者は、多数の力を借りた奢りとしか思えない発言が続いている。昨年、甘利経済再生相の終末期の延命措置について「チューブにつながれて最期を迎えるのは悲惨だと思う人は多い。本人の意思確認をして『平穏な道を選びたい』という人ならば、それだけで医療費は下がる」の発言。高市政調会長の、「原発事故によって死亡者が出ている状況ではない」と述べ、その発言について「福島のみなさんがつらい思いをされ、怒りを持ったとしたら申し訳ない」とする震災被害の認識不足、自分のメンツ尊重発言。麻生副総理による「ナチス発言」などがあった。

 第一次安倍内閣が、閣僚の連続した放言で崩壊したことを思い出せば、現状は政権の瓦解の終わりの始まりに見えて仕方ない。

<前                            目次                            次>