元日の社説を読んで |
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2025年1月4日(土) ことしも元日の社説を読んで思うところを記してみる。 朝日 「不確実さ増す時代に 政治を凝視し 強い社会築く」と題して「不確かさ」「政治への国民の凝視」についての論。 米国トランプ次期大統領の「中国に高率関税を」「パナマ運河を米国に返せ」「軍を動員して不法移民を国外追放する」などという荒唐無稽とも言える発言。 国内では「30年ぶりの少数与党に。石破首相は年末の会見で”臨時国会は熟議の国会にふさわしいものになった”と自賛したがはたして自民党は変わったのか。 米経済学者ダロン・アセモグル氏によると、「自由で繁栄した国の実現には、権力機構である”国家”と、市民が成す”社会”が拮抗して成長することが必要」と説くとともに、5年前に「日本の課題として”人々が社会の足元から変化を促そうとする動きが弱い。約25年間も停滞を経験したのに、反発する運動が起こらなかったのは驚くべきこと”」と語っているというが然りである。 19世紀を生きたホイットマンは「政官まかせにしてはいけない」と、警鐘を鳴らした。<堅実な民衆ならもっと強く政治に介入せよ。常に投票し、常に事情に精通せよ>。また、「民衆こそ民主主義の主役たれ」と説き、強調したいのは政治を「凝視」する大切さだったと説く。 日本国内で「昨秋まで続いた自民”1強”時代は、あまりにも多くがブラックボックスで決められ、安全保障やエネルギーなどの基幹政策ですら、有権者の目が十分に及ばぬところで変えられた。今年は与野党間の政策形成の過程がより可視化されるように、潮目を変えたい。有権者の側が変調や逸脱から目をそらさない。しっかりと声を上げる。強靱な日本の社会を築く。そんな年にしたい」とし、国民が政治を「凝視」することが求められるとしている。 毎日 「戦後80年 混迷する世界と日本 「人道第一」の秩序構築を」 「私たちが求めるのは戦争の終結だけでなく、すべての戦争の始まりを終わらせることだ」と国連の名付け親であるルーズベルト元米大統領が死去し第二次世界大戦の終結から80年の今年、ロシアのウクライナ侵攻は3年近くに、中東では戦火が拡大。トランプ次期米大統領は中国に「貿易戦争」を仕掛けている世界の現状は暗たんたるものである。 「いま世界平和のために創設された国連が存在価値を疑われている。ロシアのウクライナ侵略、イスラエルによるガザ侵攻を止められず、国家による暴力の犠牲になっているのは市民であり、ウクライナでは民間人1万2000人超が死亡し、ガザの死者約4万5000人の過半は女性と子どもだという。トランプは高関税と移民規制を武器に、国境を越えて流入するモノやヒトに歯止めをかけようとする。自由貿易のルールは壊滅に危機にある。」 もし移民規制・排除を強行すれば米国内の移民が担ってきた多くの職種の担い手が失われ米国が危機に瀕することになるという想像力をなぜ持てないか。 「日本に求められているのは、”自国第一” が幅を利かせる世界を”人道第一”へと軌道修正する外交努力である」と説いているが、自らの保身とカネに塗れた政治家に果たしてそれを可能にできるだけの人材がいるとは思えない。 「安保理が機能不全に陥っている現状を直視し、全加盟国が参加する総会の権限を拡充する」ことが現実的な確実な方法だろう。常任理事国のロシアが他国を侵略していることは常任理事国の意味を持つまい。 「戦争の反対語は対話」と説く暉峻淑子氏が世話人をする草の根の「対話的研究会」のような民主主義の実践が全国に芽吹くことがこれから大いに求められるのだろう。 東京 「年のはじめに考える あわてない、あわてない」 独裁的国家と民主主義国家の手続き、結論までの時間などの対比が縷々述べられているが、桟敷で講談をを聞いている気がする論である。 読売 「平和と民主主義を立て直す時 協調の理念掲げ日本が先頭に」と題し現在を歴史の変動期と考え「平和」,「民主主義」,「自由」の三つの危機と捉えての論。 ■「平和の危機」について 核兵器使用の意図まで口にしているロシアのプーチンが北朝鮮軍を参戦させ、危機をアジアにも広げていること、イスラエルのエタニアフは戦火を周辺各地に拡大させ、地域構造を動揺させていること、軍事力拡大が東アジアの緊張を一層高めている中国、独裁者との交流、ディールを好む米国トランプ政権再登場は「平和の危機」と言え、「世界の平和と繁栄を支えてきた国際秩序がいまや風前の 灯のようにみえる」と憂える。 「トランプ氏のパワーを危機回避の方向へ活用してもらうことも求められる」としながらも、「侵略は許さない、人道無視の 殺戮は許されない」ことが前提のはずが、米国がガザへの侵攻に協力していることを考えれば期待はできまい。ウクライナへの侵略を続けているプーチンも何をか況んやである。 ■「民主主義の危機」について 西欧諸国では、排外的な自国第一主義の極右勢力が力を増し、英、独、仏など主要国の政治体制が揺らいでいる。経済の低迷や移民問題などを背景とした、社会的な分断が表面化している。 既成政治に対する不満や 苛立、英雄待望論は、民主主義の根幹を揺るがす危険な兆候である。平和の危機は、民主主義の危機と重なり合っている。 「いづれの国家も、自国のことのみに専念してはならない」と日本国憲法前文で謳っているという日本国がはたしてこれら自国第一主義に対して「国際協調を訴える行動の先頭に立つにふさわしい」と論じているが、裏金問題の原因・事実すら明らかにしようとしない政治家が選挙で再選されるこの国にできようか。根本問題は国民の意識改革であろう。正に、朝日の社説に引用された<堅実な民衆ならもっと強く政治に介入せよ。常に投票し、常に事情に精通せよ>がいま求められているだろう。 ■「自由の危機」について 「選挙において、匿名で、真偽不明の内容や人を 誹謗中傷するような情報を流し、有権者の判断に影響を与えること、昨年の東京都知事選、兵庫県知事選などにみられたSNSを活用した切り抜き動画など、ネットを使った謀略情報、虚偽情報の流布」は「自由の危機」といえるという。 結語として「日本が、激動する世界の荒波にのみ込まれず、新しい秩序の形成に力を発揮していくためには、人類共通の理念、そして節度ある国民レベルの行動の積み重ねることが不可欠の資質となるに違いない」とあるが、「人類共通の理念」とは、「節度ある国民レベルの行動」とは何かについての具体的言及がないのは残念である。 終わりに 世界的な自然災害、非人道的な他国からの侵略による虐殺、日本国内の政治的変動など数え切れないほどの出来事があった昨年であった。 特に身近で気になることは、政治活動がSNSによって大きな影響を受け始めていることである。匿名で根拠のない責任を負うつもりもなくフェイク記事をばらまいて、それを考えることなく信じている輩が少なからずいることは大いに危険をはらんでいることである。「既存のメディアは信じられない、騙されてきた」と尤もらしく伝聞されているが、TVのコメンテーターの中には、政権にベッタリとした意見を垂れ流し、「あいつの言うことは聞かなくても分かっている」という人物も少なからずいる。政治家と飲食をともにして報道官のごとき発言をしている政治評論家を自称している人物もいる。 SNSで無責任に書き込む人物の多くは、新聞、雑誌など読まず、ネット編集者が一方的に選んだ、または自らが好む内容の記事を読んで自己満足に陥っているのではないか。 既存の新聞のほとんどは意見も,反対意見も可能な限り偏らず意図的に報道していることを知るといい。また記者名が記されていることも信頼につながっているのではないか。 マスコミは報道した内容が誤っていれば訂正・謝罪するが、SNSの書き込みは訴訟騒ぎにならない限りそうしたことをしていない。浅はかな考えで書き込みをして相手先がどれほど傷ついているかも考えないことも多かろう。自分の意見を言うのでなく、自分の欲求不満、ストレス発散のためにやっていないだろうか。自分の発言に自信と責任を持っているなら、実名を書くべきである。SNSはすべて実名にすればいいのではないか。そうすれば自由な発言ができなくなるなどとの反論はあるだろうが、実名を名乗れないような発言はしなければいいだけである。 マスコミは最近の選挙行動での揶揄・誹謗など気にすることなく堂々とマスコミ人としての責任と誇りをもって真実の報道を続けてくれることを願う。新聞は、社会悪、政治の監視役であることを任じて大いに国民に問題提起・指摘をしてくれることを願っている。 |
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