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公園の椅子


朔太郎の時代の椅子は棘が刺さるような木製だったろう 現在の前橋公園
朔太郎が「前橋公園」と言っていた場所はどこか。群馬県庁の北に位置する、堤防に桜の古木が並ぶ周辺である。現在はその堤防の西に、群馬県の形を模した、鶴舞う形をした幸の池(1959年に皇太子成婚記念として作成)が、東に緑豊かな野外ステージのある公園がある。私が幼い頃は、ここを上公園と呼び、そこから北東に位置する児童遊園地(これがルナパーク)を下公園と呼んでいた。ここで模擬飛行機がくるくる廻っていた。朔太郎の生家から歩いて10分もしない距離にある。朔太郎の生家から南に行くと中学校だが、弁当をもってエスケープするため北に歩を進めれば、前橋公園に簡単に行ける。更に北に進めば30分もしない距離に小出松原(現 敷島公園)、西に行けば利根河原に行ける。朔太郎が周囲から理解を得られないことに怒りを感じ、公園の椅子にナイフで傷をつけたり、思索に耽るには格好の場所だったろう。朔太郎の作品はこの緑多い環境の中での孤独が大いに影響していたと思われる。なお、前橋公園のすぐ東には山村暮鳥が通ったマッテア教会がある。
  朔太郎は運動は苦手で体力はなかった印象があるが、12キロも離れた駒形にある国定忠治の墓まで自転車で出掛けている。

公園の椅子
人氣なき公園の椅子にもたれて
われの思ふことはけふもまた烈しきなり。
いかなれば
故郷こきやうのひとのわれに辛《つら》く
かなしき
すもも・・・たねを噛まむとするぞ。
遠き越後の山に雪の光りて
麥もまたひとの怒りにふるへをののくか。
われを嘲けりわらふ聲は野山にみち
苦しみの叫びは心臟を破裂せり。
かくばかり
つれなきものへの執着をされ。
ああ生れたる故郷の
つちを蹈み去れよ。
われは指にするどく
げるナイフをもち
葉櫻のころ
さびしき椅子に「復讐」の文字を刻みたり。


郷土望景詩の後に
  前橋公園
 前橋公園は、早く室生犀星の詩によりて世に知らる。利根川の河原に望みて、堤防に櫻を多く植ゑたり、常には散策する人もなく、さびしき芝生の日だまりに、紙屑など散らばり居るのみ。所所に悲しげなるベンチを据ゑたり。我れ故郷にある時、ふところ手して此所に來り、いつも人氣なき椅子にもたれて、鴉の如く坐り居るを常とせり。


恭次郎が朔太郎の純情小曲集の跋で「非感覺的な櫻の花が咲きみだれてゐた」と言っている時季の前橋公園

 

  

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