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大渡橋



大正十年十一月に開通した大渡橋は昭和五十八年に改築され、これを記念して詩碑が設置された。利根川を市内中心部から市西部に架けられている。大渡橋の南には中央大橋、群馬大橋、利根橋、平成大橋、昭和大橋、横手大橋がある。中央大橋近くに山村暮鳥、群馬大橋の近くには萩原恭次郎の詩碑が設けられている。
大渡橋の北に敷島公園(かつて小出松林)の松林、朔太郎記念館がある。




碑文左側には、『最初の大渡橋は大正十年十一月に開通した。長さ五〇〇メートル(「総社町誌」より)。利根川に架かる橋としては超大橋のひとつであった。完成後間もない冬の日、萩原朔太郎はここを訪れ、 自らカメラに橋の景観を撮影し、詩「大渡橋」を書いた。二十行にわたる詩は郷土望景詩と名付けられ、詩人の第四詩集「純情小曲集」に収録されたが、自註として右の一文を付した。萩原朔太郎がこの橋に寄せた思いをここに忍ぶ。昭和五十八年一月萩原朔太郎研究会 記』と記されている。

碑文右側には、「郷土望景詩の後に」の
大渡橋おほわたりばしは前橋の北部、利根川の上流に架したり。鐵橋にして長さ半哩にもわたるべし。前橋より橋を渡りて、群馬郡のさびしき村落に出づ。目をやればその盡くる果を知らず。冬の日空に輝やきて、無限にかなしき橋なり。」
が記されている。

大渡橋
ここに長き橋の架したるは
かのさびしき惣社の村より 
ちよくとして前橋の町に通ずるならん。
われここを渡りて荒寥たる情緒の過ぐるを知れり
往くものは荷物を積み車に馬を曳きたり
あわただしき自轉車かな
われこの長き橋を渡るときに
薄暮の飢ゑたる感情は苦しくせり。
ああ故郷にありてゆかず
鹽のごとくにしみる憂患の痛みをつくせり
すでに孤獨の中に老いんとす
いかなれば今日の烈しき痛恨の怒りを語らん
いまわがまづしき書物を破り
過ぎゆく利根川の水にいつさいのものを捨てんとす。
われは狼のごとく飢ゑたり
しきりに
欄干らんかんにすがりて齒を噛めども
せんかたなしや 涙のごときもの溢れ出で
につたひ流れてやまず
ああ我れはもと卑陋なり。
くものは荷物を積みて馬を曳き
このすべて寒き日の 平野の空は暮れんとす。                     
          

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