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新前橋駅


新前橋駅はJR上越線、JR両毛線が通る。新前橋駅は、上越南線(現在の上越線)と両毛線の分岐駅として開業した。
碑文には、「上越南線新前橋停車場大正拾年六月開業」と記されている。 
詩碑は、前橋ライオンズクラブ結成25周年記念に1987年11月1日作られた。
「郷土望景詩の後に」の「新前橋驛」には
朝、東京を出でて澁川に行く人は、晝の十二時頃、新前橋の驛を過ぐべし。畠の中に建ちて、そのシグナルも風に吹かれ、荒寥たる田舍の小驛なり。」と記されている。現在は高崎から上越新幹線を使うと一時間で東京に行ける。
詩碑に刻まれている大正時代の新前橋駅の駅舎である。後方は榛名山か。
  私がこの駅からはじめて汽車に乗ったときも木造の駅舎だった。周囲に殆ど人家がなく麦畑に 囲まれていた。冬は吹きさらしで北風が強く感じた。駅舎右側にあったトイレの鼻を突く匂いが刺激的だった。改札を通ると上り線は右に続く地下道をくぐってホームに上がった。昭和58年に現在の目覚まし時計のような三角形をしたスマートな駅舎に変わってしまった。 


       



新前橋驛
野に新しき停車場は建てられたり
便所の扉 風にふかれ
ペンキの匂ひ草いきれの中に強しや。
烈烈たる日かな
われこの停車場に來りて口の渇きにたへず
いづこに氷を
まむとして賣る店を見ず
ばうばうたる麥の遠きに連なりながれたり。
いかなればわれの望めるものはあらざるか
憂愁の暦は酢え
心はげしき苦痛にたへずして旅に出でんとす。
ああこの古びたる鞄をさげてよろめけども
われは瘠犬のごとくして憫れむ人もあらじや。
いま日は構外の野景に高く
農夫らの鋤に蒲公英の莖は刈られ倒されたり。
われひとり寂しき
歩廊ほーむの上に立てば
ああはるかなる所よりして
かの海のごとく轟ろき 感情の
きしりつつ來るを知れり。
          

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