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広瀬川詩の道


広瀬川沿いのとてもいい感じのプロムナード 前橋文学館前の朔太郎像
壁に凭れ掛った不安定な姿勢で顎に手を当て思索に耽る象徴的な姿だ

萩原朔太郎賞詩碑



萩原朔太郎賞制定記念レリーフ


谷川俊太郎「言葉の素顔を見たい」
萩原朔太郎賞(1993年前橋市市制100年により創設)

第1回   谷川俊太郎  『世間知ラズ』
第2回   清水哲男     『夕陽に赤い帆』
第3回   吉原幸子     『発光』
第4回   辻 征夫      『俳諧辻詩集』
第5回   渋沢孝輔     『行き方知れず抄』
第6回   財部鳥子     『烏有の人』
第7回   安藤元雄     『めぐりの歌』
第8回   江代充        『梢にて』
第9回   町田 康       『土間の四十八滝』
第10回 入沢康夫     『遐い宴楽』(とほいうたげ)
第11回 四元康祐    『噤みの午後』
第12回 平田俊子    『詩七日』
第13回 荒川洋治    『心理』
第14回 松本圭二    『アストロノート』
第15回 伊藤比呂美 『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』    
第16回 鈴木志郎康 『声の生地]』
第17回 松浦寿輝    『吃水都市』
第18回 小池 昌代  『コルカタ』
第19回 福間健二   『青い家』
第20回 佐々木幹郎 『明日』
第21回 建畠晢       『死語のレッスン』
第22回 三角みづ紀 『隣人のいない部屋』
第23回 川田絢音    『雁の世』
第24回 日和聡子    『砂文』
第25回 岡本啓       『絶景ノート』

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月夜

                        月夜

重たいおほきな翅をばたばたして
ああ なんといふ弱弱しい心臟の所有者だ。
花瓦斯のやうな明るい月夜に
白くながれてゆく生物の群をみよ
そのしづかな方角をみよ。
この生物のもつひとつのせつなる情緒をみよ。
あかるい花瓦斯のやうな月夜に
ああ なんといふ悲しげな いぢらしい蝶類の騷擾だ。

青猫(1923年刊)より 
月夜の詩碑(広瀬川諏訪橋際)
1987年10月利根川治水100年を記念して記念碑・ガス灯とともに設置
「月夜」の詩碑にある朔太郎のレリーフ

詩集「蝶を夢む」に,同名の「月夜」という詩がある

『へんてこの月夜の晩に
  ゆがんだ建築の夢と
  醉つぱらひの圓筒帽子しるくはつと。』

がある。また、

「悲しい月夜」
  『ぬすつと犬めが
  くさつた波止場の月に吠えてゐる
  たましひが耳をすますと
  陰氣くさい聲をして
  黄色い娘たちが合唱してゐる
  合唱してゐる
  波止場のくらい石垣で。

  いつも
  なぜおれはこれなんだ
  犬よ
  青白いふしあはせの犬よ。』

がある。詩碑の最終行にある'騷擾'の詩もある。
                      「騷擾」
  『重たい大きな翼(つばさ)をばたばたして
  ああなんといふ弱弱しい心臟の所有者だ
  花瓦斯のやうな明るい月夜に
  白くながれてゆく生物の群をみよ。
  そのしづかな方角をみよ
  この生物のもつひとつの切なる感情をみよ
  明るい花瓦斯のやうな月夜に
  ああなんといふ悲しげな いぢらしい蝶類の騷擾だ。』

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前橋望景の碑

前橋望景の碑(千代田町五丁目銀座通り東端)
1981年5月11日建立

朔太郎が撮影した風景のレリーフ
碑文裏面
「萩原朔太郎が郷里前橋にあった頃、この辺一帯は榎町と称し、繁華街の中心地であった。碑面の写真は詩人自らが撮影した昔日の風景である。ここから西へ約二百米。そこには萩原家の菩提寺「政淳寺」があった。詩人はしばしば墓参のため訪れ、晩年には父の墓に詣でて、「物みなは歳月と共に亡び行く」の散文詩を書き残した。いまはその寺院も他へ移転し、跡かたもない。詩人の胸中を去来した、ありし日を偲び、時の市民ゆかりの地に記念碑を建立する。」(萩原朔太郎研究会)

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室生犀星

 
室生犀星詩碑。犀星(1889−1962)は朔太郎の招きで大正3年に来橋、約1月間滞在し、「寂しき春」「前橋公園」「桜と雲雀」「土筆」「燻し銀」「蒼天」などを書いている。これらは上毛新聞に掲載された。   前橋文学館前の「朔太郎橋」。朔太郎はこの名を喜ぶだろうか。迷惑そうな顔をしそうだ

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北原白秋


     
                                    鵞ぺん
 
信州の沓掛ではまだ冬だったが、碓氷峠を越えると、妙義へかけて燃ゆるやうな新緑であった。そのところどころに また深山つつじが咲き盛ってゐた。晩冬から初夏へ一二時間で飛び越して了った。それから前橋まで下るといよいよ夏らしくなって、楓の花などが、そこらの寺の庭にちりしいてゐた。桑の畑も緑が深かった。
   萩原朔太郎君をたづねると、日の丸の旗が門先にひらひらしてゐた。ほう今日は何の祭日かなときくと、いや、あんたが来るから出したのだと云った。さう云へば日の丸の國旗を出してゐるのは萩原君の家ばかりであった。目睚があつくなるほどうれしかった。私は妻子と一泊さして貰って翌日上京した。

「詩と音楽」(大正十二年六月号)より
北原白秋来橋記念写真(於前橋東照宮)右から3人目 朔太郎、4人目白秋(1885−1942)
北原白秋碑(「朔太郎橋」に北原白秋、室生犀星、草野心平の詩が書かれた銘板がある)


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