草野心平
「春」の詩碑 | 詩碑のある広瀬川にかかる朔太郎橋。右側に白秋の記念碑がある |
春 |
天下は実に春で。 雲はのぼせてぼうつとしてるし。 利根川べりのアカシヤの林や桃畑の中をあるき。 おつけのおかずになづなをつみ土筆をつみ。 なんとも美しいバラの新芽をつみ。 樹木や草からは新しい精神が。 それらがやはらかにぬくまつて燃え。 五六羽小鳥たちはまぶしくうるむ空をかすめて。 流れてゆくその方向遥かに。 雪の浅間の噴煙が枝々の十文字交叉をとほして……。 虫けらたちも天に駆けあがりたいこの天気に。 ああ。実際。 土筆の頭の繁殖作用や。 せきこんで水を吸ひ上げる樹木の内部の活動や風のそよぎや。 よろこびのものうい音楽はみち、 なづなをつんでるおれとおまへよ。 尾長猿のように木をとびまはり夜叉になり。この豊満をなき たくなり……。 |
草野心平(1903-1988)は、福島県石城郡上小川村に生まれ「蛙の詩人」で知られる。1928年、26歳のときに東京麻布の下宿屋である福生館にいた頃、前橋出身の友人である、横地正次郎、坂本七郎に「前橋に行かないか」との勧めに前橋との関わりがはじまったという。「上州という言葉の持つ音感がまず私を引きつけた。」「赤城・榛名・荒船・そして浅間、初めて見る上州の景色は見事だった。旅ではなく、私は前橋に住もうととっさにきめた。」(わが青春の記より引用)
それから2年3ヶ月間の前橋暮らしが続いた。はじめは横地正次郎の家に近い神明町(現大手町3丁目)に居を定め、ついで紅雲町(龍海院の東)に移った。1929年〜1930の間、上毛新聞社に勤務。二十八円の月給で、親子三人(前橋で長男が生まれた。名は'雷’)の生活は苦しく、「前橋では食いつめた形」、「凄烈な前橋生活」と述べ、電気代が払えずランプをつけ、食卓代わりに新聞紙を敷いて食事をするような生活の中で、詩作への意欲に燃え、第一詩集「第百階段」を出した。前橋に来て間もなく、「上州は錆びた刃で畳を切るような味がある」と、心平は友に語っている。前橋での暮らしの50年後、心平は「前橋に住んでみて、前橋について問われたときに、「だんだん人間というものがわかってきた。前橋は詩人は生まれても、小説家は生まれないところ」と答えた。前橋は心平にとって第二のふるさとという。1987年文化勲章を授賞している。
生活が苦しかった心平の前橋生活だったが、前橋の人に対して温かさを感じていたようである。紅雲町についての詩が残されている。私も心平の住んでいた家の近くで子供の頃遊んでいたので懐かしさを感じている。
前橋紅雲町五十六番地の一角 朝顔が今朝はひとつしか咲かない。
鯖雲が出て寒い。
そんでも清ちゃんは鳩ぽっぽへ行くといっておばあさんはみよちゃんを裸のまま背中に入れてキヨちゃんの手をひいて後ろになり先になり鉄っちゃんもゆく。
朝は四時に起きる。
堀さんは連雀町の東京新聞集配店に出かける。小鳥の鳴き出す前。自転車煮豆電気をつけて。
午前十時。
どんどん焼き。
十一時。
おでん屋。
午後二時。
玄米パンのほやほやあ。
三時。
朝鮮あめ。
四時。
ベッコウ飴。
龍海院の鳩ぽっぽから豆腐屋の喇叭まで
六十一のおばあさんは三人の孫のおもりをする。
「三軒長屋のはじっぽにひとつ離れたのが私たちの家だったが、この三軒とはよくつきあった。屋根職人、石炭運び、綿屋兼新聞配達、の連中だった。屋根職のじいさんは大前田大五郎の乾分だった人で、ゴミ箱の中にアルコールをかくしたりしていた。石炭運びはあとで一家心中。数年前、前橋へ行ったとき寄ってみると綿屋(といっても繭をつむぐだけだったが)、そこの子供たちも大きくなっていた。屋根屋のおばさんは私たちの長男雷(らい)のお産にもなにかと手伝ってくれた。」(わが青春の記より引用)と当時を懐かしんでいる。大成してからの心平は、朔太郎と親しかったこともあって、しばしば前橋を訪れている。 前橋時代の生活やわが子に対する思いが書かれた詩が「子供に」である。困窮する生活の中でありながら、子供に対する愛情に満ちている詩である。最終行の「夜の仕事」は上毛新聞での仕事であろう。今、はな垂れ小僧はほとんどいなくなった。トタン屋根の家で前橋の北風の吹きすさぶ冬はさぞかし寒かっただろう。 |
子供に |
遠い蒼い空の奥の窪みのやうに。俺の中に沈み。 おれは抱きすくめる。 毎日は買ってやれない飴ん棒達をこんなによろこぶのを。 お前の頬にこすりつける。 おれは想い出す。 前橋の冬。 お前はそこのトタン屋根の薄暗い長屋の六畳 に生まれた。 おむつの万艦飾の下で一ダース程の貧しいはなたれ天使達が。お前も裸でよちよち歩いてゐた。 そうして、今。おれらは一枚の布団を四人で着。 その中の一人が小さいお前でおれの胸に埋まってねるのだ。 やがてはそれをお前に話すことが出来る。お前はむしろそれをうれしく思ふだろうことを信じ。 おれはお前をだきすくめる。 (何んたる声をたてたい吸い込む空) さ。べい ナ。 夜の仕事に。おれは出掛けて行かにゃならん。 |
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