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利根川のほとり


敷島公園付近の利根川 大渡橋から見た利根川
前橋市には利根川と広瀬川が流れている。郷土望景詩に出てくる、中学校、波宜亭、小出新道、利根の松原、前橋公園、監獄裏の林のいずれも利根川に近い位置にある。朔太郎にとって2つの川の流れが、それまでと様相を変えてゆく故郷が時代という流れとともに変貌することに相通じるものを感じていたのかもしれない。また、利根川は流れに身を任せると前橋という地方都市から都会へ通じる川である。多くの詩人は都会に出向き、そして再び戻るものも少なくない。戻ることのなかった詩人の多くは、故郷への想いを募らせていた。望郷、それは雑踏の中にいて自分を取り戻せる心の支えであったのかもしれない。
 利根川は板東太郎と称され、昭和22〜24年の間に襲ってきた台風で大きな被害を受けた(東宮七男の「冬の赤城山」に書かれている)が、朔太郎はそのことは知らない。それ以前も前橋に架けられていた橋は洪水のたびに流されていたという。
  私が幼い頃も、台風が来ると、恭次郎の家に近い石倉の崖が水に流され音を立てて崩れていくのを目撃していた。また流木とともに牛馬や家財道具が流されてきた。その後灌漑・治水工事が進み、荒れた利根川を見ることはない。

利根川のほとり
きのふまた身を投げんと思ひて
利根川のほとりをさまよひしが
水の流れはやくして
わがなげきせきとむるすべもなければ
おめおめと生きながらへて
今日もまた河原に來り石投げてあそびくらしつ。
きのふけふ
ある甲斐もなきわが身をばかくばかりいとしと思ふうれしさ
たれかは殺すとするものぞ
抱きしめて抱きしめてこそ泣くべかりけれ。
 


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