※平成18年1月24日倉渕村は市町村合併により高崎となりました。 | ||||
1 道祖神のふるさと
美しい緑の山河に囲まれた安らぎの故郷、倉渕村は、また、微笑ましい愛の神、道祖神のふるさとです。そもそも倉渕村の道祖神の特色は・・・・・・と言えば、その信仰の源流の多さと古さ、また、愛の神々の形式の多様さと双体像の姿のユニークさです。一村としてはその数の多さ、更には、道祖神祭りに伴う民俗の多彩さにあります。 2 道祖神信仰の源流
〇石棒・陽石の信仰から 村内各地の縄文遺跡出土の石棒に対する性殖器崇拝に、すでに道祖神信仰的要素が見られます。このように特殊な形をした岩石には、特に神が宿り易いとされています。中でも陽石には生殖を現わす偉大なる威力があり、悪霊邪気を威かくし、その侵入を防ぎ、増産増殖の霊力を持つと信じられました。今も自然石の陽石が道祖神として祀られているのは、その継承です。 〇境界・峠を守る手向神の信仰から 権田から榛名神社に行く途中に「杖の神峠」があります。ここに祀られている杖の神は、峠の守護神でありその語源ともなった手向神です。 往古から旅人は突いて来た杖を、この神に手向けて行旅の安全を祈りました。奉賽された杖はうず高く積まれ、いつか旅の守護神「杖の神」として崇敬され親しまれて来ました。この手向神も道祖神信仰の源流のひとつです。また、峠へ上る時に小石を袂に入れると足が軽くなるという「石信仰」も伴いました。手向神は峠の境界に在り、悪しきものの侵入を防ぐため、塞の神とも習合し、更に陽石とも習合し、道祖神となりました。 〇塞(幸)の神と千き引の岩の信仰から 峠や村の境界に在って、悪霊邪気が村へ侵入するのを防ぎ、五穀豊穣、子孫繁栄をもたらす神に塞の神があります。「古事記」の神話に、伊邪那岐が亡き妻伊邪那美を慕って黄泉の国をたずねると千五百匹の醜女に追われ、黄泉比良坂で千引の岩で道を塞ぎ遮ぎった。その為千引の岩は塞の神として信仰され、人々の幸福を守るところから「幸の神」とも呼ばれました。この神も道祖神の始源の一つです。 〇道の神、猿田彦と天鈿女(あめのうずめ)の夫婦信仰から 天孫降臨のときに瓊瓊杵尊(にぎのみこと)のゆくて行手を遮る異形の大男、猿田彦(天狗)に対し、天鈿女(お多福)が色気で手なずけ、道案内をさせることに成功した。後にこの二神は仲むつまじい夫婦神となり、猿田彦は衢神(ちかたのかみ)となり道を守る道祖神として信仰されるようになりました。 前項の伊邪那岐、伊邪那美の夫婦神と共に後の二神併立の神像に姿を現わしてきました。 〇子供の守護神としての道祖神信仰から 古来、道の神、境界の守護神、五穀豊穣、夫婦和合、子孫繁栄の神、道祖神も、生まれた子供が丈夫に育たなければ子孫の繁栄にはなりません。そこで子供と大の仲良しな道祖神は、子供の守護神となり、時には風邪の神、耳だれの神、疱瘡の神、足の神などになり子供を守ってきました。子供の遊び場は道祖神場であり、道祖神のお祭りは子供たちの主管にゆだねられてきました。 3 道祖神の形式
〇自然石、陽石系道祖神 関沢、高野谷戸、上村などに見られる自然石(陽石)の道祖神は、もっとも古い形の道祖神信仰に属します。その源流を神話「千引の岩」に発する「塞の神」縄文時代の原始宗教に発する石棒信仰、この両者は石信仰としても習合し、自然石の陽石や(時には石棒)の道祖神となったと考えられます。 〇脱衣婆(だついばば)・葬頭河婆(しょうづかばば)系道祖神 村の境界を守る道祖神は、仏教の布教浸透に伴って、現世と来世の境界である三途の河畔に在って亡者の衣をは剥ぐ脱衣婆、懸衣翁、又は閻魔と葬頭河婆の夫婦神と習合し、倉渕村では室町期から戦国期に神像となって登場します。三沢に造立された丸彫単座の子供のせきの神、「おばごさま、おじごさま」がこれです。 同じ形式の道祖神が、三沢より数百メートル西北の後通田にもあり、こちらは丸彫単立像で、こけし形で表情も素朴でユーモラスです。両者共に中部地方から関東にかけて、風邪の神、オシャブキさま(しわぶき神)と称する道祖神で、それと同一系統です。 〇伊豆、三河系の道祖神像 三沢より1000mばかり登った三沢入に祀られている通称ミセーリの道祖神は、丸彫単座の男女二神で、戦国時代、下(しも)家がこの地に落人で来る時、三河から守護神として背負って来たという伝承を持っています。万病に霊験があり、その信仰圏も広く長野、埼玉など県外にも及んでいました。願かけにはデングルゲーシをかき、願果しの奉賽物も病により異り、極めてバラエティに富んでいました。祭例も昔から端午の節句に行なわれるというのも珍しく、神像は三沢、後通田のものとも異り、伊豆、三河の形式を備え伝承を裏付けています。 〇双体道祖神 江戸時代に入り世の中が落着いて来ると、経済的にも余裕ができ、戦国期築城にかり出されていた石工たちも、造仏造塔に生活を求めるようになりました。倉渕村でも古い五輪塔・宝篋印塔・板碑を除いては、慶長、元和、寛永の頃より山の神(角落山元和2年造立)庚申塔(駒形山頂元和2年)墓石などの石殿(石宮)が村内各地に造られるようになりました。その頃初めて双体道祖神が造立されました。 〇文字塔の道祖神 文字塔は文化文政の頃より姿を見せますが、その数は少なく10体に過ぎません。しかし、中には相吉、森下、木ノ下などのように、雄渾な筆致で書かれた文字も有り、書風や書家の面から興味をそそられます。 4 双対道祖神の造立
初期の双体道祖神は、子供の守護神である地蔵菩薩が、現世と冥界の境界である六道の辻にいて衆生を化導し、子供の死後は賽の河原(この賽が塞の神の塞と習合)で救護者となるという地蔵信仰と習合します。そして熊久保に円頂合掌形の二神併立像が寛永2年(1625)に姿を現わします。かっては長井から亀沢と熊久保集落の分岐する三叉路に像立され、落人伝承をもつ矢野一族から、道祖神として祀られて来ました。 堀之沢の集落入口の三叉路にも、同形式の双体像が、寛永四年に造立されています。また形式と風化摩耗度からみて寛永期前期と推定される双体像は、坊峰から下久保まで13体あります。これが造立ブームの第1期です。 それから60年程間をおいて元禄(1688)宝永(1704)期をピークとして盛んに造立されました。造像も地蔵像より脱却し、男女神の区別がはっきりした像となりました。頭に冠を頂き髷を結い、雛人形のような優雅な姿となり、元禄末期より宝永になると、男女神が肩をかかえ、手をつなぐ擁肩把手形の像も現われました。 双体像造立の第三のピークは享保(1716)を頂天に、その前後に造立され、神像の姿も行儀の良さがくずれて、人間臭さが漂い始めます。男神像の伸びた手が、女神像の胸や股間に触れてくるのもこの頃からです。 第4のピークは寛保(1741)から宝暦(1751)にかけての10年間で、この頃江戸文化の爛熟期を迎え、枕草子の筆法を持つ中原村の抱擁道祖神(現在落合に固定)や長井の気儘頭巾や下道のお高祖頭巾のカップルのような傑作も生まれました。 それからは一時期に集中することなく、明和(1764)から慶応(1865)の約100年間に、ほぼ10年間隔ぐらいに造立され、特に年代が下がるにつれて、天孫降臨形(猿田彦と天鈿女)神道形(伊邪那岐、伊邪那美)祝言形、時にはこれらが交り合って造像されています。もっとも若い造立に明治・大正がありますが、これらはどんどん焼き毎に火に投げ込まれ焼かれた為に再建されたものです。 昭和51年しっかい悉皆調査の結果は、寛永2年より大正13年の約300年間に94体(双体神のみ)が造立されています。 5 道祖神祭りの民俗
倉渕村の道祖神祭りに伴う民俗も、極めてたくさんあります。 〇小正月の水祝(現在、この風習は見られません) 正月14日、その年嫁に来た家へトムコ(友婿)がヌルデの木で男根2本をつくり押しかけて祝う習俗で、長井でゴモットモサマ、権田でオヤオヤ、赤竹、矢陸で、キンマラサマと言い、行事も各地域によって少しずつ異っています。 ○どんどん焼き 1月14日早朝、村内六十数ヶ所に建てられた道祖神小屋に一斉に火を点けて燃すどんど焼きは、拝火教(ゾロアスタ教)や修験道の護摩、あるいは聖火等の火祭りと結びついた行事で今も盛んに行われ壮観な祭りです。 〇その他 三ノ倉の「福の神」亀沢の「悪魔払い」下郷の「道祖神の火事見舞」水沼の「スミツケ」その他村内全域で行なわれた「アボー」「ヒボー」など多彩です。 6 道祖神の造立者 倉渕村の愛の神々の造立者は、一体誰であったのでしょうか。造立を発願した施主と、それを彫刻した石工がいるはずです。しかし、ほとんどその名は両者共に刻んでありません。かろうじて明神に池田源九郎、上ノ久保に塚越氏及び池田氏、鉄火に佐藤氏及び久兵衛、三ノ倉に上町中願主戸塚平八と個人の名が、そして落合に中原村中、水沼に坂下邑と刻まれたものがあるにすぎません。 石工に至っては、中原村の道祖神に高遠の石工が刻んだという言い伝えが残されていますが、その他大部分の道祖神は誰とも知らない村人たちと石工たちの合力の所産です。 7 終わりに
人々に和の尊さを教えつつ、愛を囁く道祖神は、祖先の残した貴重な文化遺産です。倉渕村の誇るべき象徴でもあります。この村を旅するすべての人々は、村々のいたる所で愛の神々から優しく呼びかけられることでしょう。 数百年の風雪に耐え、今日も、そして、また明日からも、村の平和と人々の幸福を守りつつ、た佇ち続ける道祖神たち、その神々を心のささ支えとして、いとおしみ、さまざまな習俗を伝承しつつ祭る村の人々の、心の豊かさ優しさに、いい知れぬ感銘を覚えます。この村人と共に愛の神々よ永遠であれかしと祈る。 (元倉渕村文化財調査委員 小板橋良平 安中市在住)
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