時は幕末。勘定奉行、海軍奉行など徳川幕府の要職を歴任した小栗上野介忠順は、倒 幕の動きに対して主戦論を唱えていましたが受け入れられず、領地である権田村(旧倉渕村権田)に引き上げてきます。彼の類いまれな実力に危険を感じた明治政府軍は追討
令を発し、遂に捕らえられてしまいます。慶応4年(1868)閏4月6日、上野介は水沼 の地で家臣とともに斬首されてしまいました。享年42歳。その墓は東善寺にあります。
(県史跡)
アメリカへ修好通商条約批准のために渡った上野介は進んだ西欧文化を目の当たりに してすさまじい衝撃を受け、帰国後日本の近代化に力を注ぎます。その功績の一つに
横須賀製鉄所(造船所)の建設があります。今も横須賀市民にとって、横須賀の発展 の礎となったこの製鉄所を建設した上野介は高く評価され、日本の近代化を夢見た、現実主義の優れた官
僚であった小栗上野介の生き様こそは、平成の世にあってもなお学ぶことが多いようです。
|
★★★特別掲載 「小栗上野介に学ぶ」 曹洞宗東善寺住職 村上泰賢 |
◆町内 小栗上野介関連史跡案内・小栗上野介略年表◆ |
小栗公関連ホ−ムペ−ジ |
●小栗上野介顕彰会 http://www8.wind.ne.jp/kura-ck/ |
●東善寺 http://tozenzi.cside.com/ |