倉渕の神社・もろもろの神仏 2
 地蔵と観音
 地蔵信仰はインドの神話に起源をおき、その説くところは、地蔵菩薩は大地のようなもので一切衆生に変わって苦しみを受けて破傷されず、また地中に種子や宝を蔵して朽ちさせることなく、よく衆生を繁栄させる力をもつものとされている。また仏教の上では、冥途に赴いた死者が地獄でえん魔の裁きを受けて苦しむのを救ってくれると説かれた。
 日本には奈良時代に伝来してその御利益が説れ、中世以降急速に広く深く民衆の中に入り込んで行った。また中世末期から江戸時代ころになると単に地獄の救いの主であるばかりでなく、現世利益的期待にもこたえてくれるものとして、延命地蔵・身代り地蔵・子育て地蔵などといって地蔵をまつる風習が益々盛んになって行った。
 本村にあるじぞうのうち最も古いのは、全透院の延命地蔵で室町時代の作といわれる。これは木彫であるがそのほかは石仏で、地蔵峠頂上・石津・陣田・大反・権田元村にある。権田元村の坂下山ぎわにある地蔵を子守り地蔵といい、享保四年四月十七日建立、明治中頃どこかへ持っていかれ、その後捜したところ高崎市九蔵町の藤崎氏方にあったので貰い受け、昭和五年三月現地に復帰した。四月17日に縁日とし、いまも祭りが行われている。

 観音菩薩の発生は古い中国の経典にあって、最高神である仏が衆生の苦厄を救い人間を済度する場合、仏と人との間にあって仲介する神といわれている。日本には奈良時代に伝わり、その頃から観音の霊能がいろいろの経典に書かれている。衆生を救う分野によって千手・聖・十一面・如意輪・准低・馬頭観音があると説かれた。地蔵信仰と同じように、中世室町以降一般庶民の間に広まり、江戸時代になると、一層広く、深く、民衆の中に根を下ろして行った。本村の伝来がいつごろ行われたかは明らかではないが、水沼の観音は室町時代、西ヶ渕の観音は室町時代末期といわれている。
 馬頭観音
 馬頭観音は、もとは仏教の観音説に基づいた六観音の一つで、悪人調伏・衆病息除・天変地異排除を司る仏であった。つまり仏が馬に乗って四方を駆けめぐり、一気に悪魔を排除するという意味で頭上に馬をのせ、精悍さを象徴したものであったが、後世になってそれが極めて通俗化され、本来の意味から転じて専ら馬を守る仏として、農家や馬方の間に信仰されるようになったものであるという。
 江戸時代中期から、馬は農耕用としてばかりでなく、第一の物資輸送方法として多く飼育され。農家や馬方にとって貴重な財産であった。農家では家族の一員として可愛がり、寝食を共にし、ほかの動物以上に愛情をかけていった。したがって常に馬の無病息災を祈り、馬が死ねば碑を立ててその供養をする気になったのも当然であろう。そして馬を専門に守り、また死後を見守ってくれる仏が必要であり、馬頭観音をそれにあてて、これをまつり拝んだということであろう。
 
 不動明王薬師如来
 不動様の姿は岩の上にしっかりと立ち、左手に索(つな)を、右手に剣を持ち恐ろしい形相をして睨んでいる。インド教の神の一名を密教にとりいれ仏教化したものといわれ、密教では不動は大日如来の使者で、仏が一切の悪魔を調伏するため身を分怒身に変じ、左手の索は悪魔を引き寄せ、右手の剣は迷いと恐れを断ち切る力を示すと説く。
 不動信仰がいつごろこの村に入ってきたかは明らかではないが、隣村室田の滝不動は、古文書の示すところによれば中世のころ創始された模様である。本村地方にもこのことから不動信仰が伝わってきて、各所に不動様が祭られたものと考えられる。そしてそれを伝えたものは密教を奉ずる山伏・修験者であったであろう。
 仏教では、薬師如来を当方浄瑠璃界の救主で、衆生の病苦病疾を治してくれる神と説く。日本には奈良時代に伝わり、いくつかの経典に訳され中世以後仏教の民衆化と共に次第に地方民間に信仰されていった。
 愛宕さま・電電さま・弁財天・水天宮
 愛宕さま火防の神として信仰され、本社は京都愛宕山の愛宕神社、神仏習合して愛宕大権現といい、中世、修験者によって全国各地に広められた。火伏せの神にはこのほか秋葉さまがあり、これは静岡県秋葉山の秋葉神社を本社とする。
 雷電さまは雷神をまつるもので、雷神は風神に相対する神、仏教の経典にでてくる。昔の人にとって雷は地震と共に火事よりおそろしいものであった。そこで、このおそろしい雷の災難に遭わないように雷神をまつった。

 弁財天は印度のインダス河を神格化した川の神で、人の汚れを払い、富・名誉・知恵・弁説を授け、また音楽の神としても尊ばれた。江戸時代に庶民の間に信仰者が増え、池とか泉のほとりにまつった。水天宮は水神をまつったもので、村内水沼神社境内・中石津・桑本・大反にある。いずれも石宮か石碑である。
 庚申・産泰・十二講
 村内のそこここに庚申塔と書いた石碑が立っている。また権田の小学校裏に猿田彦の社がある。そしてまた時に青面金剛塔と書いた石碑をみることがある。これらはいづれも庚申をまつったもので、者で、仏教名を青面金剛菩薩、神仏習合での祭神を猿田彦大神という。農作物増産の神として江戸時代から信仰され、六十日に一度廻ってくる庚申(かのえさる)の日を縁日とし、農家ではご馳走をつくっておまつりをした。またこの晩は十二時過ぎまで起きていて、早寝をしてはいけないという戒めがあった。これは、昔中国に庚申の夜には、人の身体にいる三戸虫(さんしちゅう)という虫が、人の寝ている間にひそかに昇天し、天上の神にその罪過を告げるから、この晩は眠らずに三戸虫がにげださないようにするという道教の説によるものという。この庚申待ちの行事は日本の神、猿田彦と習合し、三戸虫の監視のほか、農産物の増産を願う行事として庚申まつりが行われるようになった。
 産泰さまは子供の安産を願って若い嫁たちが集まり産泰様を拝んだ後、飲食をするのを産泰講という。
 淡島さま これは婦人病を治す神で本社は和歌山県の加太神社。

 昔の人は、山中で仕事するとき山犬に襲われたり、怪我をしないよう神に頼った。山中で人を守ってくれる山の神は、神道の上では大山神を祭神とした。
 山の神十二様の祭祀をすることを十二講という。
上記 昭和50年発行『倉渕村誌』より抜粋
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