倉渕 小栗上野介関連史跡案内


◇◆東善寺 
小栗上野介忠順の墓(県史跡)
 幕末開明の人、上野介は遣米使節の後、勘定奉行などの要職につき、横須賀製鉄所(造船所)の設立を初め日本の近代化のために多くの業績を残した。主戦論破れ権田こ隠棲したが、「反逆の企て」あるとされて非業な最後を遂げた。東善寺境内に小栗上野介父子の墓がある。
◇◆観音山小栗邸跡(村史跡)
 江戸から権田村に隠棲した上野介は、東善寺を仮住まいとし、観音山に田畑と用水路を開発し、邸宅の普請を進めた。しかし、それも、西軍から「陣屋厳重に構え」と追討の口実となり、完成には至らなかった。用水路は今も利用され屋敷跡には礎石が残されている。また、昭和43年小栗公殉難百周忌にあたり記念碑が小栗上野介顕彰会により建てられた。
◇◆小高用水
 小高地区は水利に恵まれず、水田耕作に困っていた。上野介は村人のために1868(慶応4)年4月尾根むこうの稲瀬沢を検分し、器械測量で用水路の場所を決め、村人の掘削により完成した。以来、交替の水番により水路の管理を行ない今日に至っている。延長1,260m。
◇◆顕彰慰霊碑
小栗上野介忠順終焉の地(村史跡)
 慶応4年閏4月5日、上野介と家臣3人は捕縛され何の取り調べもなく、翌日水沼河原において斬首された。上野介42歳。終焉の地には、 「偉人,小栗上野介罪なくして此処に斬らる」と刻まれた碑(顕彰慰霊碑)が、昭和7年地元の有志等によって建てられた。
◇◆姉妹観音
 小栗上野介用人塚本真彦の妻は共倒れを避けるため、幼女2人を川底に沈め、忘れ形見である乳飲み子の
嫡男を背負い無事脱出した。この姉妹の慰霊のため、平成5年相聞川「通らず」のほとりに小栗上野介顕彰会と有志により、姉妹観音が建てらわた。
◇◆地蔵峠の殉難碑
 小栗上野介用人塚本真彦一家6人(母・妻・子)は権田から七日市ヘの脱出にあたり、母と妻二組に分かれ行動した。この殉難碑は、水沼山中で自害した母と長女の慰霊碑。自害した場所は深い山中のため、地蔵峠の西方道端の丘上に昭和57年小栗上野介顕彰会により建てられた。

倉渕村商工会 〒370-3402 群馬県高崎市倉渕村町三ノ倉303
TEL.027-378-2029 FAX.027-378-3829 E-mail:kurasho@apricot.ocn.ne.jp