日々の抄

       目次    


  戦後問題は解決してないのか

2007年03月12日(月)

戦時下でのいわゆる慰安婦問題が俄に問題化し、日米間の摩擦にもなりかねない事態に陥っている。この問題について米下院外交委員会で謝罪などを求める対日決議案が審議されている。『日本軍「慰安婦」問題に関する決議案』は、「日本政府は帝国軍が第二次大戦中に若い女性たちを“イアンフ”として知られる性奴隷にしたことを公式に認め、謝罪し、歴史的責任を受け入れるべきだ」で始まり、『日本政府の関与、日本軍による強制連行、強姦、陵辱、強制中絶があったなどと断じ、その上で、日本政府に(1)事実の認知と謝罪、責任受諾(2)首相による文書での公式謝罪(3)日本軍による蛮行はなかったとする説への明確な否定(4)若い世代への慰安婦問題に関する教育を求めている。』というものである。
 これについて、3月5日参院予算委員会で首相は「官憲が家に押し入って人さらいのごとく連れて行くという強制性はなかった。狭義の強制性を裏付ける証言はなかった」と指摘。一方で「進んでそういう道に進んだ方は恐らくいなかったが、当時の経済状況や、間に入った業者が事実上強制していたケースもあっただろう。広義の解釈で強制性があったということではないか」との認識を示した(同様の答弁は昨年10月になされている)。

なぜ戦後60年経過しているのに、いまさらこの問題が注目され、それも米国下院から首相が謝罪しろと要求されなければらないのか。不可解であるが、以前にも米民主党から同様の動きがあったが、議会の勢力図がそれを許さなかったものの、最近になって共和党を押さえて民主党が議会で多数を占めてきたこと、また民主党支持者の中に韓国系の人が多くそれらの人々からの軋轢があると考えられている。この問題は対日本という点で中韓米が同一歩調をとっている気配があり、政治的意図を感じざるを得ない。
首相の発言は米国で正しく読み取られていないようだ。つまり、「民間業者による強制があっても官憲による強制的な連れ去りがあったという証拠はない」と言っていることに対して米マスコミは感情的とも思える報道をしている。ロサンゼルス・タイムズ紙の社説は「日本と近隣の国民とを最も和解させ得る人物は、昭和天皇の子息である明仁天皇」として「家族(昭和天皇)の名において行われたすべての犯罪への謝罪」を求めている。いわゆる慰安婦問題をめぐる下院決議案に関係する有力議員の多いカリフォルニア州では決議案を提案したマイク・ホンダ議員の地元紙サンノゼ・マーキュリー(6日付)も、首相発言について「ホロコーストを否定するようだ」とのコメントを掲載。7日の社説では「下院は歴史の教訓を創出すべきだ」と決議案の採択を強く主張している。
 日本は責任を認めてきたと主張する一歩で、日本の大手の出版社が「慰安婦」制度を詳しく述べ始めたのは1980年代、1990年代に入ってからである。こうした事態の進展にともない日本の河野官房長官が謝罪の談話を発表したが、2006年には下村官房副長官と日本の一部マスコミが河野談話の妥当性に疑義をさしはさみ中山文科相(当時)が「歴史教科書から従軍慰安婦や強制連行という言葉が減って良かった」と発言。これを文科省下村博文政務官(現官房長官)が支持していることなどが、「日本が歴史を書き換えようとしている」と受け止められている。しかしこれらは政府見解ではない。
 自民党の有志議員でつくる「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」の慰安婦問題小委員会は1日、旧日本軍が関与して強制的に慰安婦を集めたなどとした1993年の河野談話に関して、政府に事実関係の再調査を求める方針を決めているが、当初とりまとめを予定していた談話の見直しを求める提言は見送るという。首相は当初「定義が大きく変わったことを前提に考えなければならない」と語り、談話見直しの必要性を否定していなかった。だが、その後、「河野談話を継承する」「政府として再調査しない」としている。

河野談話で問題とされるところは『いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。・・・』の下線部分なのだろうか。そうなら、国が関わっていたことを否定する考えに対するいろいろな反論がある。たとえば、政府発表文書にみる「慰安所」と「慰安婦」 の(下注)部分についてどう反論するのか。
 また、「国の関与の証拠がない」について、先日の新聞の投稿欄に79歳の戦争経験者の文章が掲載されていた。その要旨は『狭義の強制性を問題にして証拠や証人が出てこないことを強調しているようだが、終戦時の旧日本軍の厳しい証拠隠滅工作に従事させられた私には、証拠がなくて当然と思える。私は16歳で海軍少年兵に志願し、18歳の夏に横須賀・田浦の航空隊高等科練習生で終戦を迎えた。実戦部隊ではなかった私たちの学校でも、秘密性の高い「軍機」や「軍極秘」はもちろん、秘密性が低い「秘」の修身の教科書さえ全部回収し、練兵場の隅に掘った穴で3昼夜燃やし続けた。こうした証拠隠滅の指示や箝口令は、旧軍のあらゆる部門で出たはずだ。戦地での性や人権が絡む慰安婦問題で、証拠や証人が出てこないのもやむを得まい。この問題では、日本政府を提訴したり米議会で証言したりした被害者の証言を重要視すべきで、安倍首相の姿勢では被害者はもちろん、各国からも理解されないであろう。』というものである。直接の証明にならないまでも、当時のこうした事態があったという証言をどう受け止めるのだろうか。
 いわゆる慰安婦問題は、強制したか否かに関わらず、募集や移送、管理などを通じて旧日本軍が関わっていたことは明らかだろう。そうしたことが多くの人々を傷つけてきたことを考えれば、河野談話を継承するのは当然である。そもそも「国が関与していた」ことを証明することができても、「関与してなかった」ことをどのような形で証明しようとするのか。いまさら狭義、広義を云々することは建設的な未来志向とは思えない。口を開けば非難しようとする人々に対して火に油を注ぐだけである。「強制の定義」に拘っても理解されるとは思えない。そもそも一国の官房長官の談話を、後の政府がその内容に疑いを挟みかねない見解を示せば、国際的な信用を失いかねないのは自明である。
これらの問題の事実関係の再吟味が求められるなら、政治的でなく学問的な立場で検証が行われるべきである。この点について、米国のマイケル・グリーン戦略国際問題研究所顧問の「歴史家に任せるべき問題で、政治が介入すれば難しくなる」「強制性の有無に関係なく、被害者の経験は悲劇的で、日本の国際的な評価はよくならない」には同感であるが、米下院外交委員会は専門家による検証を経ているのだろうか。どのようなことを根拠に国が関与していた根拠にしているのか。

米紙ニューヨーク・タイムズは「恥ずべき過去を乗り越える最初の一歩」として、日本の国会による公式謝罪を要求しているが、米国は先の戦争で日本の首都の8万とも10万人ともいわれる民間人を無差別殺戮し、ベトナムで非人道的なナパーム弾を使って罪なき人々にどれだけの生物学的損害を与えてきたのか。広島・長崎で瞬時にして数万の人々を殺傷し、現在も被爆の影に怯える人がいることに対して謝罪の言葉を発したことがあるのか。最近では事実無根の大量破壊兵器があるという大義名分のもとで行われたイラク侵攻によって何人のイラク国民と自国の若者の命を奪い傷つけてきたのか。これらの人々の人権は尊重されなくていいのか。我国が戦時下で犯した罪に対して、近隣諸国からならまだしも、米国からこの後におよんでとやかく言われる筋合いはない。米国は他国に云々する資格をもっているとは思えない。米下院外交委員会は自国が行ってきたこれらの罪に対して、被害にあった国に対する謝罪決議案を出せばいい。そうした考えと行為がないからこそ、今も世界で最も多い核兵器、クラスター爆弾、劣化ウラン弾を保有しているのではないか。

6か国協議の2月の合意について、「北朝鮮が自発的に核兵器を放棄することなどあり得ない。極めて悪い合意だ」「拉致問題が解決するまでは、米政府による北朝鮮のテロ支援国指定解除は交渉すらすべきでない」などの指摘が前米国連大使からなされている。北朝鮮による拉致問題を第一義に考えている我国の立場を米国はどこまで真剣に考えているか。我国が考えているほど米国が我国を友好国としての立場を尊重しているか疑わしい中での米下院外交委員会の決議案は不可解でならない。我国は今回の問題で「河野談話を継承」する以上の多弁は避けるべきである。特に閣僚の「個人的見解」は無用である。
 河野談話に語られている反省を忘れることなく、「友遠方より来たる。また親しきか疑わしき者に語らず」がとるべき道である。これ以上言葉を重ねれば我国が国際的に孤立することは見えているのではないか。

(注)同史料11頁跋(旧日本軍が深く関与していた事を示すと思われる例)
『実は上海では、軍と領事館が合議して、軍慰安所設置のために協力する態勢が出来上がっていた。昭和12年12月21日の上海総領事館警察署長の長崎水上警察署長あての依頼によると、「将兵ノ慰安方ニ付関係諸機関二於テ考究中ノ他」、このたび「当館陸軍武官室、憲兵隊合議ノ結果施設ノ一端トシテ前線各地ニ軍慰安所(事実上ノ貸座敷)ヲ・・・設置スルコトトナレリ」とある。そのさい各機関が任務を分担しているさまが資料から明らかになっている。領事館は、営業を願い出る者に対する許可、不許可の決定、慰安婦渡航のための便宜取りはからい、上海到着後ただちに憲兵隊に引き渡すことを担当し、憲兵隊が引継をうけた女性を就業地まで輸送する手続きをとり、業者と女性に対する「保護取締」を引き受けた。最後に武官室が就業場所と家屋等の準備を分担した。業者が依頼を受けて、日本と朝鮮に女性を募集しに赴いた。彼らが携帯する身分証明書の中に軍の依頼をうけて、女性を募集する者であると明記されているので、上海総領事館警察署長としては関係当局に「乗船其他ニ付便宜供与方」お取りはからい願いたいと求めていた。とくに「酌婦」lとして募集される女性については、「前線に於ケル貴殿指定ノ軍慰安所ニ於テ酌婦稼業(娼妓同様)ヲ為スコトヲ承諾」するとの承諾書をとることが義務づけられていた』

<前                            目次                            次>