日々の抄

       目次    


  消えた年金記録

2007年05月25日(金)

 社会保険庁が管理している年金保険料の支払い記録のうち、誰のものか分からない「宙に浮いた年金」が5095万件余あることが判明した。現在の年金受給者が3000万人余ということだから驚くべき数である。年金の受給資格があっても受給できない人、受給していても正当な金額の年金を受給していない人が気の遠くなるほどいるということである。お役所のやることだから間違いないだろうと思っている信頼が裏切られる結果である。
こうしたことが起きた原因いくつかある。国民年金や厚生年金は制度ごとに年金番号を管理していたが、転職や結婚で加入先の年金が変わり、複数の番号を持つ人がおり、1997年に一人に一つの基礎年金番号を導入する際、国は複数の年金制度に入ったことがある人に氏名や住所など必要事項を記入したはがきの返送を求め、それに基づいて基礎年金番号への一本化を進め、その際返送がなかったことや、社保庁分の入力ミスなどで「宙に浮いた年金記録」となったという。
これらの中には、生年月日が間違っていたり、記載されていない記録が約30万2000件あることを明らかになっている。生年月日が正確ではないと「名寄せ」によって基礎年金番号に統合することが通常より難しくなるため、最悪のケースでは年金の受取額が減る可能性が出てくるという。「9月31日」などあり得ない記入例もあったことが過去の入力ミスを裏付ける結果となったというが、社保庁の責任は重大である。

 民主党の長妻昭氏の国会での質問に対する当初の首相の第一声は、「不信感を煽るようなことはないようにしなければならない」などの発言は他人事のようであり、所轄の柳沢厚労相は「個人の問い合わせがあって調べるべきもの」として、少なくとも不利益な受給を受けている者の立場に立った発言ではない。まるで、どこが悪いのかといわんばかりの保身の発言であった。
公的年金は受給開始時点で、本人が申請した加入歴に基づいて金額の裁定が行われ、社会保険事務所の窓口などで、社保庁が保管している記録と申請を照合することになっている。しかし、転職を繰り返した場合などで本人の記入ミスなどから、合算すべき記録の一部を社保庁が見落とすことが多いという。また、社保庁が記録を紛失する例もあり、その場合は受給者本人が領収書などの証拠書類を保存していない限り本来の年金額を受け取れないのだそうだ。30年も以前の領収書を保存している人が何人いるというのか。
一方で社保庁による名前の読み方の間違った登録もあるという。国会審議の中で紹介された例では『高田(たかた)を「タカダ」、古谷(ふるたに)を「フルヤ」、秀一(しゅういち)が「ヒデカズ」、成子(せいこ)が「シゲコ」』などがあるという。現行法では年金支払いが証明されても、「時効」が5年だというが、社保庁のミスが原因でも時効があるなどというのは理不尽な事だ。今国会の審議で、『社保庁が納付記録を紛失し、約16年間にわたって年金が支給漏れとなり、時効分の約11年間で500万円近い年金が受け取れない被害者の存在が明らかになっていた』ような例を考えれば、救済法案が作られ、時効など設けるべきでないのは当然のことだ。
 一番の問題点は、「年金保険料の証明義務が社保庁にある」とすべき点である。勤め人が毎月の給料から自動的に引き去られている年金保険料納付を証明しろ、などというのは論外な話である。確実な方法は、毎年年度末になったら、社保庁から「あなたの本年度の年金保険料納付額はいくらです」と証明書を発行することだろう。そうしないと、社員が年金を支払っているつもりでも、悪徳経営者がピンハネをしないとも限らないからである。

 年金積み立てを何十年も続け、いざ受給されると思っていたら、金額が少なかったり、払っていたにも関わらず記録がないなどと言われては、国が行っている年金制度、政治に対する不信感を募らせるのは当然である。民間の生保会社で、同じように「あなたの保険料の納付記録はありません」などとしたら、重大な責任を問われるだろう。社保庁が行っているこうした仕事は、所詮他人事のようであり、「責任など問われることはない」と思わせる無責任ぶりではないか。5095万件余もの「宙に浮いた年金」がなぜ放置されていたのか。放置していた責任は誰がとるのか。無責任さに腹の煮えくりかえる思いがする。行政の失策が糾弾されることはあっても、その責任が明確にされることがないからこそ、同様の失策が続くのではないか。「国の制度を変える」「改革なくして前進なし」などときれい事を並べる前に、努力した結果が返ってくるような仕事をしっかりすること、それを監督することが行政の行うべき最優先事項なのではないか。今回のことで再び年金未納者が増えても不思議ではあるまい。

 爪に火をともすようにして、年金暮らしをしている市井の人々の痛みを知ってこその政治ではないのか。参院選に不利になりそうだから「5年で失効」を改めるなどと考えているなら、彼らは政治屋であって国家、国民のことを考える政治家ではない。
社保庁は、過去に行ってきた壮大な無駄遣いを反省し、国民が当然受け取るべき年金を全部支給できるよう粉骨砕身努力するべし。今回のような不正義が罷り通っているようでは、国民は「国」を信用しないし、こんな国が「美しい」などと思うはずがない。だいたいにおいて「日本の何が美しいのか」を公募しているそうだが、こういう「美しい国」を作りたいと国民に具体的に提案するのが政治の役目ではないか。「美しい国」という耳障りのいい名に反対する人はいないだろうが、その実体が何であるか分からないし、こうした抽象的な言葉を政治目標に据えることが、嘗てあった「皇国や臣民」という曖昧さにつながらないことを願うのみである。

 歌手の前川清がディナーショーを予定したところ、主催者に代金を持ち逃げされたという。彼は「一番の被害者はお客さま。何百万かかるとしても(代替を)果たさないといけなかった」として、チケット購入者の特定・確認作業に着手。名簿も残ってなかったが、ネットで告知するなどして、購入者の約9割にのぼる人数が参加し、本人と事務所が約700万円を負担してディナーショーが行われたという。
 前川は「これを果たさないと、この先、自分として生きられないと思っていた」という。この潔さと誠実さこそ、今の世に忘れ去られている日本人の「美徳」ではないか。社保庁と政府関係者に、この前川の言葉を贈りたい。

<前                            目次                            次>