日々の抄

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  死して花実が咲くものか

2007年06月04日(月)

 入居したばかりの議員宿舎で松岡農水相が自殺した事件は大きな波紋を投げかけた。松岡氏をめぐって、資金管理団体のいわゆるナントカ還元水で有名になった光熱水費・事務所費の不透明な支出、入札談合事件で理事らが逮捕された農水省所管の独立行政法人「緑資源機構」に関連する団体からの献金問題など「政治とカネ」をめぐる問題が野党から次々と追及されていた。
 資金管理団体では、電気代も水道代もかからない議員会館が事務所であるにもかかわらず、政治資金収支報告書には05年までの5年間に光熱水費計約2880万円への支出、家賃のかからない議員会館の事務所経費を年間約2500万〜3300万円を支出していたと政治資金収支報告書に記載していることを追求されると「適切に報告している」などと繰り返し説明責任を果たしているとは思えなかった。また、緑資源機構をめぐっては、林道などの事業と関係のある7政治団体を含む計9団体が松岡氏に約1億3000万円の政治献金をしていたとの指摘があった。これらの他にも「政治とカネ」をめぐる問題を指摘されることが絶えなかった。

 首相は悲報に接し、「大変残念です。慚愧(ざんき)に堪えない思いです。ご冥福を心からお祈り申し上げたいと思いますし、残された奥様はじめ、ご遺族の皆様にお悔やみを申し上げたいと思います」、「任命責任の重さを改めて感じている。私は松岡大臣の任命権者。当然、責任を感じている」「有能な農水相だっただけに、政権への影響は大きい」と語った。
 この発言を耳にして、大いなる違和感があった。「慚愧に堪えない」の言葉である。「慚愧」は「恥じ入る」の意であり、「慚愧に堪えない」は「恥ずかしさに堪えられない」の意味を持っているはずである。首相周辺は「こういう結果に至ったことへの自らの責任を、この言葉に込めた」と解説しているそうだが、事件直後の発言として聞くと、「自殺したことは恥ずかしいことです」と聞こえてならない。「慚愧に堪えない」は本人が使うべき言葉なのではないか。また、「お悔やみを申し上げたいと思います」としているが、「お悔やみを申し上げます」と言うべきではないか。「・・・したいと思います」は、「お悔やみ」をする予定を述べている状態にすぎない。
 首相は28日夕、入札談合事件で逮捕者が出た農水省所管の独立行政法人「緑資源機構」の関連団体と松岡氏との関係について「ご本人の名誉のために申し上げておくが、緑資源機構に関しては捜査当局から『松岡大臣や関係者の取り調べを行っていたという事実もないし、これから取り調べを行うという予定もない』と発言があったと聞いている」と語っているが、捜査中の内容を首相が語ることは異例のことであり、問題発言である。

 松岡氏の自殺の原因は不明のままだが、「ナントカ還元水をはじめとする国会答弁などで行き詰まり、袋小路に入ったためではないか」とすることが衆目の一致するところである。はじめは何とか言い逃れができると考えたらしいが、ナントカ還元水が通用しなくなってから、「法に従って処理されている」で通してきた。首相もそれを肯定してきた。本人は最後に、真相を吐露したかったが、国対からの指示でそれができなかったと伝えられた。これに対し自民党幹事長が「そのような事実はない」と一蹴した。これに対し長年の知己であった鈴木宗男議員が自らのホームページで激しく抗議している。
 それによると、『5月28日のムネオ日記で、24日の松岡さんとの会食の席での松岡さんの話を載せた。今一度、28日ムネオ日記のその部分を乗せたい。私は松岡大臣に「明日決算行政監視委員会で私が質問するから、国民に心からのお詫びをしたらどうか。法律にのっとっている、法律に基づいてきちんとやっていますと説明しても、国民は理解していない。ここは国民に土下座し、説明責任が果たされていませんでしたと率直に謝った方がいい」と進言したら、力無く「鈴木先生、有難いお話ですが今は黙っていた方がいいと国対からの、上からの指示なのです。それに従うしかないんです」と、弱気な言いぶりだった。
 この松岡さんの話に対し、自民党の中川幹事長は記者会見で「国対に確認したがそういう事実は一切ない」といっている(毎日新聞5面)。しかし私はこうお聞きしたい。こうした問題が出た時、答弁のすりあわせや確認を、自民党の国会対策委員会はしていないのですか。「ぶれてはいけない。言った以上それで押し通せ」と指導していないのですか、と。松岡さんが国対の職員に相談したことも私は確認している。何も改まって幹事長が事を荒立てる話ではない。事実を正直に言っているだけである。あの時、松岡さんと私の他に3人の人がおり、私は念には念を入れて表現している。
 安倍首相は「政府で方針を決めるという事は勿論ない。鈴木議員がどういう意図でそういう事をおっしゃっているのか私はわかりません」と述べたという(朝日新聞1面)。私は松岡さんとの長い付き合いの中で、今となってはこれが松岡さんの最後の言葉となり、松岡さんの遺言を、胸の内を、国民に知らせるのが松岡さんへの供養になると思って書いたのだ。これが私の意図である。そして私は更に言いたい。「人は死ぬ前にウソはつかない」という事を。』(原文のまま)
 これに対する幹事長の反論は耳にしない。

 松岡氏の自殺に対して関係者がいろいろな発言をしているが、その中で石原都知事が「彼は武士だ」と語ったことが気になった。自害して武士の如しと思ってのことなのか。自殺を美化するような発言は看過できない。国会で何度繰り返されたかわからない「法に従って処理されている」の言葉で「政治とカネ」が明らかになったなどと誰一人思っていないだろう。政治家たるもの出所身体は自ら決めるものというが、国民の疑惑をそのままにしたまま真相が闇に葬られては堪らない。「責任をとる」とは逃げることでなく、真相を明らかにすることではないか。松岡氏は自殺を選ぶ前に、大臣を辞することを何故選ばなかったのか、なぜ議員を辞することを選ばなかったのか。自らがこの世から姿を消すことが、どれほど周囲、特に家族を悲しませるか。そんなことが考えられたら自殺などしなかったのかもしれないが、熊本に残された継母がどれほど悲しんでいるか想像したことがあるのだろうか。政治家は死して責任は果たせない。事の真相を明らかにしてこその責任である。
 安倍内閣は5月22日、自殺率を20%以上減少させるとの目標を盛り込んだ「自殺総合対策大綱案」を自民党内閣部会に提示して了承されている。それによると「自殺予防は社会的要因と心の健康問題について総合的に取り組むことが必要」と指摘している。身内に自殺者が出たことをどのように生かそうとするのだろうか。首相は松岡氏の任命責任を感じているというが、どのような責任をとっていくのか見守りたい。

 松岡氏の死で何も変わっていない。松岡氏の死が事実として残るだけである。天下り、政治と金が問題視されているにも関わらず、政治献金問題も、関係していた「緑資源機構」が廃止になると伝えられている。問題と責任の所在が明らかになる前に臭いものに蓋をして事が解決すると思っているなら大間違いだ。問題を公にし国民に納得できる説明をしないで済ませると思っているならこれ程国民を愚弄することはない。国民はそれほど愚かではない。

 人はいかに心労が、躓きがあろうとも「袋小路」に入ってはならない。行きどまる前に、自らを安全な場所へ移動させる知恵を持たなければならない。仕事に耐えられなくなったら仕事を辞めればいい。学校が嫌になったら辞めればいい。社会的地位を失っても自らの命は守らなければならない。「生きて、前に進もうと思う気持ちがあれば必ず道は拓ける」。そう思うと、目の前が少し明るくなってくる気がする。自ら命を絶とうと思わなくとも、失われていく命があることを忘れてはなるまい。

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