日々の抄

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  学力の偽造ですか

2007年07月20日(金)

 昨年四月に実施された東京足立区独自の学力テストで一部の公立小中学校が不正をしていた。ある小学校で行った不正は以下の通り。
1.正解を誘導するような指さし行為があった
 試験中に教員が児童の答案に間違いがあると、答案を指さして誤答に気付かせる不正を行っていた。関係した6人の教員が「校長の指示があった。校長自身も教室に来て、自ら率先して『指さし』をした」、「指をさして意味の分かる児童とそうでない児童がおり、不正ぎりぎりだと思った。校長の指示があったかどうかと言えばイエスだ」、「校長は学校の平均点を上げるのが目的だったのだろうが、あんなやり方で1位になっても子どもは喜ばない」などと証言している。
 校長は「普段から問題文を指でなぞりながらよく読むよう指示していた。正答できる児童が間違っていることに気付き、本来の力が出せていないと思った」という。同校の校長と副校長は「全校で指示した記憶はない」としているが、管理職の主幹は「学年会で言ったかも知れない」と話しており、「校長らから指示があった」と言う教員の証言がある。
2.前年の問題をコピーして練習していた
 校長は、本来は問題がすべてそのまま回収され、テスト問題のコピーは区教委が禁じていたが、この同校では校長の判断でコピー。事前の練習は繰り返し行われ、昨春のテスト直前にも、参加した2〜6年の全クラスで各担任が1〜3回、授業中や放課後に練習させていた。2006年のテストは、九割以上が前年と同一問題だった。
 校長は「(前年の問題が)良かったので参考にした。翌年も同じ問題が出るとは思わなかった」とする一方、「過去問をやらなければ1位にはならなかったと思う」とも話している。同様にコピーを取っての事前練習は他に4小中学校が行っていた。
3.障害児3人を採点からはずしていた。
 学力テストは小2から中3まで原則として全員が対象だが、校長の判断で、障害がある子どもなどの答案は保護者の了解を得た上で対象外とすることを認めている。しかし、その線引きはあいまいで明文化されておらず、各校への説明会で口頭で1度伝えただけという。「日本語を習得していない」など障害がある児童・生徒を対象からはずしていたのは、同校を含めて小学校が14校で19人、中学校は4校で5人。同校では保護者に無断ではずしていたが、保護者の了解を得ていなかったのは他に小学校1校の1人だけで、保護者と連絡が取れない状態だったという
 こうした行為の結果、同校は区内72小学校中、2005年は44位だったが、不正のあった2006年は1位になっている。今年度からは業者が代わり、テストの内容も変わった。5日に公表された今年度の成績は59位に落ちている。

 不正の発覚直後、校長は「日常の指導の一環でノートや小テストを指さすことはあるが、学力テストではやっていない」と否定。そもそも、「正答できる児童が間違っていることに気付き、本来の力が出せていない」というが、同校の校長は「本来の力」をどう考えているのか。「正答できる児童」とはどういうことか。「正答できない児童」には指さしをしなかったのか。区教委は「テストは適正に行われたと考えている」としていた。3人の答案を集計から外したことについて区教委は、「決して平均点を上げるためだったとは思っていない」と擁護。
 教育長は、「区教委にも管理不行き届きの責任がある」としているが、区教委は「校長、副校長、主幹のだれが何を言ったのか」という報道陣の質問に対し、「プライバシーなので回答できない」、「管理職が指示をしたのは事実だが、だれかは特定できなかった」と、校長が率先してやったことなのかどうかは断定しなかった。
 公教育の現場で堂々と不正が行われた事に対して、どこが、何が「プライバシー」なのか。まさに「くさい物に蓋をする」「事なかれ主義」を指導的立場にあるはずの教育委員が公然と行っている。こんなことをしているから「教育委員会を変えろ」などの論議につながるのではないか。身内を守ろうとする小役人的な醜さや狡猾さを感じ、腹立たしい。
 また、テストの成績公表について「平均点がいいのか、偏差値のようなものがいいのかは考えなければならないが、各学校の状況は出したい」。具体的な方法は、「今後第三者を入れた検討委員会をつくり結論を出す」とした。不都合なことがあると第三者の検討委員会を、それも、自分たちに都合のいい第三者を入れて検討するなら、どこかで聞いたような方法であり疑問である。なぜ、学力評価に関わる問題解決を教育委員会の力でできないのか。そうしたことをできないことを証明しているようなものではないか。
 テスト中に指さしをしたことをその後認めた校長には適切な対応を求めるとしているが、児童、生徒、学生がテスト中に不正行為を行ったらどう処遇されるのか。大学生なら、すぐに「○○学部○年生某、テスト中に不正行為があったが故に○日間の停学に処す」とされるのではないか。同校長に対する「適切な対応」は訓告、戒告程度ですむ問題ではないだろう。

 同区の学力テストについて次のような証言もある。
 区内の小学校に勤務経験のある50代の教諭によると「授業中に過去問を何回も受けさせたり、試験中に校長自らが間違っている子の机をたたいて書き直させたりしているという話を聞いたことがある」、「うちの校長も『やればよかった』と冗談で言っていたほど。でも命令されても、普通の感覚なら『おかしい』と反対するはずだ」。区内の中学校の経験の長い教諭も「成績の悪い子の答案を採点しても、上にあげない学校があるという話はきいていた」。同区は学校選択制をとっており、保護者にとっては調査結果が数少ない判断材料になっていることが「大きなプレッシャーにもなっていたのではないか」。

 今回の不正原因の多くは、学校予算が学力テストの結果が反映されていることにあるだろう。
 足立区はテストの順位を公表しているほか、学校予算の傾斜配分や学校選択制を取り入れており、教育関係者からは「競争原理の導入が不正の背景にあるのではないか」との指摘も出ている。足立区長は記者会見で「(テストの成績の伸び率を学校への予算配分の判断材料にしている)傾斜配分については疑問を感じている。見直す必要があると認識している」と述べているが、競争意識を過度にあおる仕組みが不正の背景にあるとは否定できないだろう。
 「勉強のできる子にはお小遣いをたくさんあげる」ような、学力テストの結果を予算に関連づけることは誤りである。

 物心がついて善悪のいろは、人として生き方、社会的ルールなどを初めて組織的に学ぶべき義務教育の現場で、校長が旗振りをして教員が抗うことなく不正を行っていることを、子ども達はどう見ているだろうか。子ども達にどのように弁明するのだろうか。今回のような不正は校長の「自分の指導で優秀な学校を経営している」などと思われたいという考え違いがあったのではないか。功名心がそうさせているなら、この校長は教職失格である。
 「子どもを目の前にしていながら、子どもが見えてない、見ようとしていない」結果ではないか。こんな行為が教育現場で行われていたことは教壇に立つ同業のひとりとして恥ずかしい。テスト結果の数値に目がくらんで「子どものため」を考えない教員が批判されることは吝かではない。だが、「だから教員なんてダメなんだ」などと言われたくない。

 国が行った「全国学力・学習状況調査」についても、「いい結果」を出そうとする疑問に感じられる事例があった。
 本年4月に実施された「全国学力・学習状況調査」で、広島県北広島町教委が、調査の直前に出題内容が類似した独自の問題集を作成。時間配分、解き方を児童・生徒に指導するよう各学校長に指示していた。町教委は指導結果の報告も求めていた。町教委は「平均点を上げる意図はなかった」としているが、事前対策は調査の公平性を損なうとの指摘がある。関係者によると、北広島町教委は2月末、文科省がホームページ上で公開している全国調査の予備調査用の問題などを参考に独自の問題を作成するよう各校に指示。各校の教員が分担してつくった問題をもとに約120ページの問題集を作り、4月初めに町立の全小中学校21校に配布した。問題集には、全国調査の出題と似た問題も多く収録されていた。
 4月10日には教育長名で「『全国学力・学習状況調査』実施にかかわって」と題した文書を各小中学校長に送付。その内容は、『問題集を取捨選択し、児童生徒にやらせる。集中して一定の速さで問題を解くことに慣れさせる。時間配分・問題の解き方を指導する』『4月24日までの期間を有効かつ計画的に活用する』であると書かれていた。その後、問題集を何ページ解かせたか、正答率などを全国調査の4日前までの報告を要請。各校は授業や宿題で問題集を解かせ、町教委によると全21校から報告があったという。
 同町教育長は「2週間程度の対策で平均点が上がるはずがない。上がればうれしいが、問題集は授業の改善を図るためで、通常の教育活動の一環だ。全国の結果に大きな影響が出るとは思わない」と話している。一方、同町教委の対応について、町内の小学校教諭は「学力調査で町内の平均点を上げるための対策だと受け止めていた」と話しているが、どう見ても「傾向と対策」を組織的にやったとしか思えない。自分たちの町の学校がいい成績をおさめるようにしたいと思うのは当然のことだが、見え透いた言い訳はみっともない。「平均点を上げる意図はなかった」なら、詳細な指示を盛り込んだ公文書を配布し、短期間にその結果を報告させたのは何のためだったのか。

 子ども達の学力を向上させ、学ぶことのおもしろさを教えることが学校の使命だと思うが、今行われていることは、野放図に競争を煽り立て、学校を序列化し、格差を公然とさせるような結果になっているのではないか。「学力を向上させることと競争させること」は同じではない。ただ、競わせれば学力が上がると思うのは誤解である。
 国がなんと言おうと、目の前にいる子ども達のために何が必要かを考え、実践していくのかが現場に立つ教員のなすべきことである。子どものためにならない不正に対して猛然と発言する、そうしたことを現場の教員がしていかなければ誰が子ども達を守るのか。

 当然の行為が今は保身のために失われつつある。不正を証言した教員の勇気ある行為は立派である。彼らは子ども達から信頼されているに違いない。

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