赤城の山も今宵限りに |
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2007年08月03日(金) 安倍政権の信任が問われたといえる7月の参院選は自公与党の歴史的大敗に終わった。自民党は改選の64議席から37議席に減じ、1989年宇野首相が退陣した過去最低の36議席に匹敵するする結果だった。公明党も選挙区で擁立した5人中3人が落選する惨敗で、非改選を含む与党の議席は過半数を割り込んだ。一方、民主党は改選議席の32議席から60議席に躍進し、自民党が55年に結党してから参院で占めてきた第1党に入れ替わった。今回の当選者と非改選議席を合わせ野党が134、与党は105議席となった。 首相は29日夜のテレビ番組で「惨敗の責任は私にある」としつつ、「基本路線については多くの国民のみなさまに理解していただいている」と強調した。閣僚の不祥事や年金記録問題などが問われた自民惨敗であり、自らの理念が否定されたわけではないという。安倍首相は同日夜、続投を表明。大臣の相次ぐ失言、自殺などで「任命責任は自らにある」としていた。だが、責任を認めながら「責任をとろうとしない」ことも参院選の一因になっているかもしれないことに気づいていないらしい。責任を認めながら、責任をとらないでいることに国民が不信感を持つのは当然である。「私と小沢さんのどちらをとるのか」として敗北しながら続投することは理解に苦しむ。そう言いいながら、「政権選択の選挙ではないから辞する必要はない」と言うことに矛盾はないのか。「改革への流れをここで止めるわけにはいきません」と安部氏は考えているようだが。、安部流の改革へも意思表示したはずなのに、がむしゃらに前進するだけで国民の声が聞こえないのか。聞きたくないのか。選挙結果が明らかになる前に続投を宣言している姿は、権力にしがみつく者の末期を見るようである。 今回の参院選の結果は小泉政権が引き起こした社会格差、拝金主義などに対する反感、自公与党の相次ぐ強行採決、年金問題に対する対応の不誠実さなどがもたらしたものではないか。年金問題が発覚した直後、首相は「国民の不安を煽るようなことをするな」「払った証拠がない年金を全て受給させろというのか」などと強弁し、長年に亘って国を信じて年金を積み立ててきた国民を欺いていることへの反感が強かったといえるのではないか。戦後、国民が国に対してこれほどの不信感を抱いたことはなかったのではないか。 確かに安部政権が年金問題の原因を作ったのではない。だが、膨大な責任を明らかにしない年金の無駄遣い、無責任な記録の喪失などを見過ごしてきた与党の責任は大きい。労働者年金保険制度を創設した際、当時の年金官僚が「膨大な資金の運用のために財団をつくれば厚生省のOBが天下りするときに困らない。年金を払うのは何年も先のことだから、今のうちにどんどん使ってもかまわない。将来、年金を支払うときにカネが払えなくなったら賦課方式にしてしまえばいいのだから、それまでの間、せっせとつかってしまえ」と発言している記録が発覚し、「福祉施設は保険加入者の健康増進と福祉の充実のために作った」とする厚労省の欺瞞も国への不信感を強くしてきた。 ましてや安部氏は年金記録問題を重大な結果を引き起こすであろう「宙に浮いた年金記録」を国会で問題化する半年も以前に承知しておきながら放置してきたことは重大な問題である。年金問題の責任に対する「賞与の返上」は筋違いというもので、多くの国民はそんなことで騙されないぞと思ったに違いない。 年金問題にも増して、「しょうがない」、「産む機械」「アルツハイマー」など閣僚の問題発言が、現政権ないし任命権者としても首相に対する不信感を増幅させられた。さらに決定的だったのは赤城農水相の架空事務所経費問題、経費二重計上問題に合わせて絆創膏疑惑である。皮膚病になり云々と言えば済むことを「大したことではない」と言い続けたことは、その他の疑わしい行為に対して「法令に従って適正に処理されている」と言って来たことと相似形である。この言い逃れは前任の農水相となんら変わらない。こうしたことに対して首相は当初、「大臣はしっかり説明したと聞いている」と辞任要求を拒否し、問題視しない考えを表明してきたことも、首相の認識の甘さ、優柔不断さの現れに映っていた。 その赤城農水相が1日午前辞表を提出し受理されたという。赤城農水相は、辞表を提出したあと、「わたしから大臣の職を辞したいとお願いした。安倍総理大臣からもわかりましたということだった。わたしに関するさまざまな報道があり、そのことで選挙戦に影響を与え、与党が敗北した。与党の敗北の一因となったことはまぎれもない事実だ。たいへん申し訳なく思い、この際、けじめをつけたいと思った」 この発言には驚かされ腹立たしい。何を今更辞任するのか。「さまざまな報道があり云々」は、恰も報道したことが選挙を不利にしたと言わんばかりだ。そう言わせている原因を自分で作っているという反省が伝わらない。また、「与党の敗北の一因となったことはまぎれもない事実だ。たいへん申し訳なく思い」は、自民党に迷惑をかけたから辞任するということか。選挙に勝っていれば、辞任の要なしということか。最も問題なのは、自民党に謝罪しても国民に対して「国民の政治不信を招いた」ことへの謝罪はないことである。久間前防衛相も同様に「参院選挙への影響を考えて」辞任を決断している。自分の属する党に対する思いやり、発言はあっても国民に対する謝罪は聞こえてこない。つまり、彼らの目は国民に向けられておらず、自らの保身、利害が先決問題なのだろう。 こうした、突然の時期を逸した辞任劇を見るかぎり、現政権はこれからの日本の進むべき旗振りに不適任と思わざるを得ない。そもそも国民が示した選挙結果にも「基本路線については多くの国民のみなさまに理解していただいている」と思い違いをしている「鈍感力」には呆れるばかりである。「戦後レジームからの脱却」と唱えながら、憲法改正を含め戦前に回帰しようとする気配を感じないわけにはいかない。「美しい国、日本」は度重なる国民を失望させる失言を繰り返したり、政治とカネに疑義を持たせ続けることなのか。 「赤城山から吹いた風が与党の大敗につながった」などと伝えられているが、本物の赤城山の裾野に住む人間としては不愉快な物言いである。本物の赤城山からきょうも吹いてくる風は爽やかである。不純で世間知らずな人物が吹き出す風が多くの人に迷惑と虚しさを感じさせているだけだ。時機を失した更迭劇に「いとあわただしきに呆れたるここちし給ふ」(源氏夕顔)というだけである。赤城の山は今宵限りにして貰いたいものだ。 自公与党がこれからどのような軌道修正をするか注視していかなければならないが、同時に憲法改正に両極端の意見を擁する参院野党第一党になった民主党がどのような方向性を出していくかも監視していかなければならない。今回の参院選で民主党への投票数が多かったが、無条件に民主党へ投票したとは思えない。与党への不信があり、憲法改正も賛成できない。そうした他の野党に投票したい選挙民も、現政権にすぐに対抗できる対象として民主党に投票したことを民主党は忘れてはなるまい。 また、マスコミに頻繁に登場する議員の多くが当選している。そうした人物の中の安部チルドレンと称されるひとりは、「総理が続投するとおっしゃっているのだから、応援します」などと公言していて腹立たしい。議員のマスコミ、特にTVへの登場は制限すべきと思う。与野党とも同じような顔ぶれが頻繁に露出し、それが選挙結果に関係するなら公正とは思えない。 今のままで行けば政界再編は不可避に思える。どの政党が与党になっても「まじめに生きる者が報われる」世の中にならなければ政権は長続きするものではない。これほど簡単なことが、なぜできないのか不思議でならない。 |
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