日々の抄

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  我が儘は許せない

2007年08月08日(水)

 大相撲の横綱朝青龍が腰などのけがを理由に、地方巡業に参加しないことが7月25日わかった。その病名は「腰の疲労骨折で全治6週間」と診断されていた。ところが、帰国中のモンゴルでサッカーに興じていたことがTV報道で判明。映像を見る限り、到底骨折しているようには見えなかった。師匠の高砂親方(元大関朝潮)は「現地で頼まれてサッカーをした、と聞いている。しかし、ボールが蹴れるくらいなら、巡業に参加するよう本人に伝えた」と話しているがその師匠は朝青龍がモンゴルに帰国していることすら知らなかったという。
 朝青龍は、大関時代に貴乃花に敗れて花道で「畜生!」と叫んだり、同郷の旭鷲山と喧嘩騒動になったり、先代高砂親方の葬式を無断帰国で欠席したり、高砂部屋で泥酔して大暴れしてパトカーが出る騒ぎをおこしたり、と話題に事欠かなかったが、正式な処分を受けたことはなかった。
 今回の仮病疑惑に対して、協会は (1) 9月の秋場所、11月の九州場所の出場停止 (2) 4カ月30%の減俸 (3) 九州場所千秋楽まで特別な事情がない限り、部屋、病院、自宅以外は出歩くことを禁止の処分を下したが、横綱が出場停止になるのは初めてという。
 ウランバートル市民はこの処分に対して「適切な処分だ」などと冷静に受け止める一方、「サッカーをしてどこがわるいのか」「相撲界に対し今まで貢献があることを忘れているのか」「両国間の関係が悪化する」など事情を知らない思い違いと思える不満も伝えられている。今回の処分は相撲界のしきたりや朝青龍の無法な仕儀に対する正当なものと思う。今まで協会がひとり横綱に対する甘い対応をしていたこととは関係ない。

 ふてぶてしいと思える浴衣姿の帰国の様子が嘘のようなその後の様子が伝えられて違和感がある。つまり、処分後朝青龍は家族をモンゴルに帰国させ、自室に籠もって殆ど口もきけない状態だが、母親の作った食事を食べたいと言っているという。親方がわざわざ出向いても、殆ど応答することなく、食事も摂ってないという。わざわざ訪れた親方を見送るという最低限の礼儀の持ち合わせもないらしい。
 朝青龍の懇意にしている精神科医の診断では、抑鬱状態でモンゴルに帰国させて治療することが望ましいとのコメントを出している。これにはさすがの親方も、協会が指定する医師の診断がなければ判断できないと表明。その診断は「急性ストレス障害」で、「入院が一番いい」と国内で治療を続けることが最良としたが、「モンゴルへの帰国も選択肢にある」とコメントしている。協会が判断を下す前に、こうした「モンゴル帰国」を肯定するような発表がなされることは妥当なのか。こうしたことが朝青龍の一方的な我が儘を肯定する準備に荷担していると思われても仕方あるまい。そもそも、モンゴル帰国のみが問題解決の方法であるが如き話の流れになっているように伝えられているが、それが妥当なのか。親方の話しかけには応えられなくても、モンゴルに帰国したいと意思表示できることに違和感を感じないわけにいかない。

 人間誰しもストレスなしにいられない。鬱状態寸前でストレス障害の原因が病的であり、原因が本人にないなら帰国も致し方ないのかもしれない。だが、朝青龍の場合は、無断帰国をしてサッカーに興じていたことの真相を本人がいっさい語ることなく、仮病疑惑が原因で処分を受けたという、明らかな「本人の行為に原因」があるのではないか。このまま帰国を許すなら、自分勝手な、正にジコチューな行為を許すことになりはしないか。そもそも、治療が必要なら日本でなぜそれができないのか。母親の食事を摂りたければ母親が来日すればいいだけだろう。夫が病んでいるのに、なぜ妻子が帰国しているのか。理解に苦しむだけである。
 高校生と雖も処分されたときに、自らを省みて、何が原因だったか、これからどのように身を処したらいいかを考え、不自由な生活の中で成長していくものである。不自由さがあるからこそ、自省の機会が与えられているである。暴走している自分に気づかせるのが周囲にいる者のなすべきことではないか。
 仮に朝青龍の帰国を許すなら、夏巡業で汗を流し横綱が失墜させた相撲界への信頼を取り戻そうと必死に一番々を懸命に務めている関取はどう思うだろうか。「やってられない」と思ってもおかしくないし、伝統と規律を重んじてきたことを否定することにつながらないか。なぜ、土俵に上がる関取が髷を結って、手刀を切って、礼儀作法に則った取り組みをしているのか。相撲をとるときの一つ々の所作にはそれぞれに脈々と受け継がれてきたいわれがあるのではないか。他の格闘技と相撲の違いが朝青龍は分かっていないのではないか。もし他の格闘技に転身したとしても、仮病を使って約束事を守らなければ社会的に通用しないことは当然である。

 7日には大臣経験者が朝青龍と面会し、具に様子をマスコミに伝え「帰国やむなし」と表明しているのは贔屓の引き倒し以外のなにものでもない。相撲協会はモンゴル帰国を許可することの可否の判断を迫られている。どちらの判断をしても批判は覚悟しなければなるまい。だが、どう考えてもモンゴルに帰国しなければストレス障害を回避できないという論調には疑義を感じる。事の仔細が一切本人から語られることなく帰国が許されるなら、「強ければ何をしてもいい」と思われるだろう。私は帰国は許すべきでないと思う。もし帰国するなら引退を勧める。それは弱くても必死に努力している下積みの相撲道を志している者への誠意と思うからである。自分で行ったことに対して処分を受けたとたんに、口もきけなくなるという心の弱さをもった横綱に拍手喝采していたファンは、幻の英雄に踊らされていたに過ぎないのではないか。

 「人間辛抱だ」の名言を残した横綱がいた。ひとそれぞれが辛抱しあうから世の中が成り立っているのではないか。礼節と謙遜さを身につけていない者は真の横綱とはいえない。強い者は強さに応じたブレーキを持ち合わせていなければなるまい。朝青龍が相撲界から去っても何も困ることはない。人々が憧れと敬意をもっているのは「心技体」を合わせもった、心優しい力持ちである。

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