日々の抄

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  許すまじ原爆

2007年08月21日(火)

 被爆から62年になる「原爆の日」を迎え、ことしも広島、長崎で平和祈念式典が行われた。
 6日、広島で被爆しこの1年間に死亡した5221人の名簿が原爆死没者慰霊碑に納められ、死没者は25万3008人になった。海外から過去最多の42カ国の政府代表が参列した。秋葉広島市長は平和宣言の中で『唯一の被爆国である日本国政府には、まず謙虚に被爆の実相と被爆者の哲学を学び、それを世界に広める責任があります。同時に、国際法により核兵器廃絶のため誠実に努力する義務を負う日本国政府は、世界に誇るべき平和憲法をあるがままに遵守し、米国の時代遅れで誤った政策にははっきり「ノー」と言うべきです。また、「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め、平均年齢が74歳を超えた被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を求めます。』と訴えた。
 9日長崎では、この1年間に亡くなったり、新たに死亡が確認されたりした3069人の「原爆死没者名簿」3冊が平和祈念像前の奉安箱に納められた。名簿の累計は14万3124人となった。田上市長は平和宣言の中で『核軍縮は進まないばかりか、核不拡散体制そのものが崩壊の危機に直面しています。米国、ロシア、英国、フランス、中国の核保有5カ国に加え、インド、パキスタン、北朝鮮も自国を守ることを口実に、新たに核兵器を保有しました。中東では、事実上の核保有国と見なされているイスラエルや、イランの核開発疑惑も核不拡散体制をゆるがしています。
 新たな核保有国の出現は、核兵器使用の危険性を一層高め、核関連技術が流出の危険にさらされています。米国による核兵器の更新計画は、核軍拡競争を再びまねく恐れがあります』『今日、被爆国のわが国においてさえも、原爆投下への誤った認識や核兵器保有の可能性が語られるなか、単に非核3原則を国是とするだけではなく、その法制化こそが必要です。長年にわたり放射線障害や心の不安に苦しんでいる国内外の被爆者の実情に目を向け、援護施策のさらなる充実に早急に取り組んでください。被爆者の体験を核兵器廃絶の原点として、その非人道性と残虐性を世界に伝え、核兵器の使用はいかなる理由があっても許されないことを訴えてください』と誓った。
 首相の挨拶は両式典ともに『長崎、広島の悲劇は、いかなる地においても繰り返してはならない。今後とも、憲法の規定を遵守し、非核三原則を堅持していくことを誓う』というものであった。

 秋葉、田上市長がともに危惧する核不拡散体制の崩壊の危機、援護施策の充実、平和憲法遵守を求めているが、昨今の情勢は応えているだろうか。
 首相の言う「非核三原則」はいうまでもなく『日本が核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず』だが、米国の原子力潜水艦が公然と日本の港に入港していることが問題にならないことがおかしい。来年8月には米海軍横須賀基地に原子力潜水艦が配備され、その浚渫工事が始まったと伝えられている。原子力潜水艦に核が搭載されているのは当然である。原潜が躊躇いもなく入港していて「持ち込まず」などとどうしていえるのか。極論する議員の中には、「非核三原則は非現実的だ。非核二原則にせよ」などと語る者もいる。また、核保有肯定論が取りざたされたことに対して、外相が『核保有及び武装の論議自体をも許さないかのような状態は、憲法の保障する言論の自由を奪っている』などとの発言している。従来は議論することも憚られるほど国是としてきた非核三原則が北朝鮮問題と無関係でないことは明らかだが、唯一の被爆国が、今も被爆の苦痛に耐えている人を忘れ、核保有の安易で危険な議論を進めるべきではない。『核保有の議論は否定しない。だが保有しない』と言っても、現役閣僚の発言となれば諸外国への影響は無視できまい。議論したければ、マスコミに漏らすことなく個人的にやればいいことである。TVの政局番組での核保有発言など、とんでもない思い違いである。
 『憲法の規定を遵守し、非核三原則を堅持していくことを誓う』なら、長崎市長が訴えているように、『非核三原則の法制化』が求められるのではないか。核を保有する先進国がいくら、核不拡散などと訴えても説得力をもたない。彼らにはそれをいう資格がないのではないか。我が国こそが、反核について世界の先頭に立つべきである。

 一方で、原爆症の認定がほとんど認められてない現状には驚きである。被爆者の平均年齢は74歳を超えている。悲惨な体験に加え、戦後も大変な苦労を重ね、今もがんをはじめさまざまな病気に苦しんでいる。しかし原爆症と認定され医療特別手当を支給されているのは、約25万人の被爆者のうち2200人余にすぎない。被爆者の1%にも足らないことに大いに驚きと疑問を感じる。
 原爆症認定が、『爆心地からの距離を基に被曝線量を推定し、病気が発生する確率を計る「原因確率」が厳しい認定基準』に基づいていることに問題があるのではないか。確率はあくまでも確率に過ぎない。病状は被爆者の体に起こっているという視点に欠けているのではないか。日本が唯一の被爆国なのに、被爆の後遺症についてのデータがどのように作られてきたのか知りたい。関係者は「残留放射線や内部被曝の影響を過小評価している」と批判してきており、司法の場で、原爆症の認定を求めて相次ぐ集団訴訟で国が六度の敗訴を重ねたのも、基準を機械的にあてはめるだけのような認定作業に司法が異議を唱えたためである。被爆者をできるだけ救済する方向での運用を求めているともいえだろう。
 こうしたこともあったためか、首相が「専門家の判断のもとに、見直すことを検討させたい」と表明したのは、就任後初めての平和記念式典出席を前に、被爆者たちと懇談した席でだった。厚労相は、専門家による検討会発足を約束しながら「科学的」を強調している。「これまでの基準と認定の結果を照らし合わせたときに、何か見直すべき点がないのか、という観点を中心に見直しをお願いしたい」「検討会で一年かからないタイミングで議論し、知恵を出していただきたい」と述べているが、62年もの間、明日をも知れぬ不安と苦痛を感じている人々のことを考えているとは思えない。「国民の声を聞きます。人の痛みの分かる施政を」などという言葉が白々しい。被爆者が高齢化していることを考えても、原爆症を積極的に認定しないことによって、いったい誰が利益を得るのだろうか。62年前の傷が癒えることはない。だが、国の行った戦争によって被爆したことが、国によって「原爆症」と認定されないのでは救われないのではないか。
 国は速やかに、東京地裁の判決にある「科学的根拠の存在をあまり厳密に求めることは、被爆者の救済を目的とする法の趣旨に沿わない」を受け止め動き出すべきだろう。原爆症と認められると、医療費のほかに月14万円ほどの医療特別手当が支給されるという。財政赤字を減らすために、認定を厳格にすることがあってはならない。被爆者が高齢化していることを考えると一日も早い早い対応を望みたい。

 長崎の爆心地に近い神社にある2本のクスノキは被爆した。そのクスノキは蘇り、被爆2世となるその苗は、子供たちの手で配られ、全国の学校や街で育っているという。被爆した人々の気持ちをおもんばかる事なく原爆投下を「しょうがない」と暴言を吐く愚かな地元国会議員をはじめとし、核保有の議論をしてどこが悪いのかという流れも出てきつつある現状を考えると、いったい人類で唯一の被爆国の日本人は被爆したことから何を学んだのかと思う。今も被爆の後遺症に苦しむ人々を考えれば到底考えつくことではない。被爆クスノキはこうした愚かな人間を諭しているように思えてならない。
 時流れ、事過ぎたれども、核兵器のない未来を求めなければならない。それが、被爆で亡くなった人に報いることであり、今生きていられる人間のなすべき使命である。

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