日々の抄

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  終戦記念日の週に

2007年08月22日(水)

 終戦記念日の週、ことしも戦争記録のTV番組を観た。平和を考えるためである。いずれもNHKの映像だが、13日は『沖縄 よみがえる戦場 〜読谷村民2500人が語る地上戦』、『戦争と市民 NHKスペシャル「東京大空襲 60年目の被災地図」』、『裁かれなかった毒ガス作戦』、14日は『硫黄島・玉砕戦・生還者61年目の証言』、『「カウラの大脱走」日本兵捕虜千人空前の事件』、『証言記録・マニラ市街戦・死者12万・焦土への1カ月』、最後は映画「ひめゆりの塔」(1968年制作)であった。
 これらの中で「カウラの大脱走」を観て、オーストラリアの日本捕虜兵の大量脱走事件で亡くなった人々の死が「戦陣訓」((陸軍省、昭和16年1月) によるものと伝えていた。戦陣訓第八「名を惜しむ」の『恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ』の教えが常に日本兵にあり、捕虜になることが汚名を残すことである、虜囚になれば敵兵に殺害されると教え込まれていたという。そう思わない人は非国民といわれた。これは硫黄島で玉砕した人も、沖縄で集団自決した人々も、目玉をくり抜かれる、女は辱めを受けると教え込まれた結果という。
 ジュネーブ条約 第二編 第十三条[捕虜の人道的待遇]に『捕虜は常に人道的に待遇しなければならない。抑留国の不法の作為又は不作為で、抑留している捕虜を死に至らしめ、又はその健康に重大な危険を及ぼすものは、禁止し、且つ、この条約の重大な違反と認める。特に、捕虜に対しては、身体の切断又はあらゆる種類の医学的若しくは科学的実験で、その者の医療上正当と認められず、且つ、その者の利益のために行われるものでないものを行ってはならない。A また、捕虜は、常に保護しなければならず、特に、暴行又は脅迫並びに侮辱及び公衆の好奇心から保護しなければならない。B 捕虜に対する報復措置は、禁止する』とある。
 もし、戦陣訓が存在せず、ジュネーブ条約を知っていれば、失われずに済んだ命がどれほどあったろうか。米兵は生きるために戦い、日本人は死ぬために戦ったと言う人がいる。戦陣訓は当時の陸軍大臣・東條英機が示達した訓令である。その孫は靖国分祀論に対し、「天国から神様を引きずり落とすことを意味し、不謹慎だ。全く認められない」と言っているが、戦地で兵士を死に追いやった人物と、追いやられた人々が同じ場所に祀られていることに抵抗があるのは当然だろう。また,「生きて虜囚の辱を受けず」と説いた人物がなぜ敵の手に渡ったのか。これこそ戦陣に散った英霊達に対する最大の背信ではないのか。

 マニラ市街戦では日本軍と米軍がマニラ市民を巻き込んだ市街戦を展開し、12万人の犠牲者を出した。罪もない市民が逃げ場を失い家族、友人を失った。映像の中でひとりの米兵が行った証言『なぜ、参戦したか。戦わなければならなかったか。戦争をはじめた人間が前線に立てば戦争など起こらない』が印象的だった。また家族を失った老婦人の『60年前の事を話すと心が痛い。もう話さない。この後は神に委ねましょう。私は許します・・・・・・』は心打つものだった。彼女はきっと敬虔なクリスチャンなのだろう。
 ひとりを殺せば殺人者、多数殺せば英雄。それが戦争である。戦後62年。今回観た多数の戦争にかかわる証言に共通していることがある。それは今まで心の痛みが大きすぎて話すことができなかった戦争経験は、今自分が話さなければその悲惨さ理不尽さを伝えられないと思っての証言であった。証言の後に「もう、こんな悲惨なことは話したくない」という人が多かった。

終戦記念日の前に懐かしい人の映像を見た。11年前長崎への修学旅行で被爆体験を講演して貰った吉田勝二さんが「被爆の語り部」として元気にご活躍の様子が伝えられていた。見ていて懐かしくもあり、嬉しくなった。彼の講演に触発され、地元の中学生が被爆体験を紙芝居にしたという。その紙芝居は中学生が自校だけでなく、地元の小学校に伝えているという映像を見た。吉田さんの播かれた種が着実に次の世代に受け継がれていることを知って嬉しかった。私とともに11年前に被爆体験談を聞いた当時の生徒はすでに社会人として活躍している。どれほどが彼らの中に残っているか知りたいと思った。

 私は小、中学生の頃、戦地から復員した教員から戦争体験を聞いた。親戚にも戦地に赴いたものがいた。断片的ではあるが、戦争の悲惨さ、日本人の所業を伝えられた。そのためか、勇ましいだけの戦争もののドラマ、映画を観ると腹立たしい。いつもへらへらしているタレントが生死を分けた戦場の壮絶な場面を再現しようと思ってもお芝居にしか見えない。BC級戦犯の悲惨さをいくら熱心に演じようとも、当の主役が浮気騒ぎで離婚騒動が伝えられていることを聞けば、白けた気分にならないわけにいかない。
 教育現場での歴史教育は大抵、年代をおって明治あたりで終わってしまう。日本人が関わった戦いを含めた、史実に基づいた客観的な現代史を正確に伝えるべきではないかと思う。ただ、沖縄集団自決に軍が関わったか否かも、現に沖縄で集団自決した人々に関わった証言が取り上げられず係争中の裁判の証言を根拠に教科書が書き換えられている現状を考えれば、全国規模での戦争経験談を書物にすることができるといいと思う。戦争を経験した人々の記録を「戦争をどう思うかの見解」によらず、読者が事実を読み取ればいいのではないか。戦争経験を語れる人が少なくなってきている。二度と愚かな戦を繰り返さないために一日も早い、今でなければできない記録を残さねばなるまい。
 「経験に学ぶことのできない人間は愚かでしかない」

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