日々の抄

       目次    


  政治決断というが

2007年12月25日(火)

 20日薬害C型肝炎訴訟の国からの和解修正案が提示された。
それによると
(1) 血液製剤フィブリノゲンは85年8月〜88年6月、クリスマシンは84年1月以降について国・製薬会社の責任を認めた東京地裁判決を基準に、期間内の原告に対しては直接和解金を支払う。その他の原告らを間接的に救済する。
(2) 国・製薬会社は「訴訟活動支援のための和解金」として、原告弁護団がつくる「基金」に計30億円を支払う。配分方法は原告側にゆだね、今後提訴する患者も含め、「期間外」に製剤を投与された原告を間接的に救済する内容である。
 原告側は「一律救済の理念に反する案だ」として政府案を拒否し、大阪高裁での和解協議を打ち切る考えを表明した。1カ月半に及んだ協議は決裂の可能性が高まった。

 (1)の一定期間が国にとって一番都合のいい東京地裁を基準にすることの合理性はどこにあるのか。名古屋地裁の期間にすれば殆どの被害者は救済されるのではないか。(2)の30億円にもなる「訴訟活動支援のための和解金」の配分方法を「原告側に委ねる」とはいかなることなのか。『金をやるから,適宜配分しろ。後は知らない』なのか。これは,薬害が出た事への国の責任を感じてないことの明らかな証明であり,怒りを覚える。
 厚労相は「再び薬害を発生させたことを反省し、被害者に心からおわびしたい」と頭を下げ修正案が「事実上、全員救済するもの」との認識しているらしいが,原告側が求めている全員救済とならないことに気づいていならしい。「おわびしたい」でなく「おわびします」でなければ謝罪にはならない。
 原告側はこれまで一貫して、血液製剤の投与時期や種類、提訴時期にかかわらない「一律救済」の政治決断を福田首相に求めてきたが、舛添氏は「今日の案が政治決断です」と答えている。原告団がこれを即刻拒否したのは当然である。

 23日午後「C型肝炎訴訟で首相が一律救済を決断」の一報をニュースで知った。突然の報に,肝炎被害者の労苦を考えると,「よかった」と思い,涙ぐみそうになってしまった。だが,その後の報道を聞くと単純に喜んでいいか不安なことが分かってきた。

 C型肝炎薬害被害訴訟に関して首相は、「患者を全員一律で救済する議員立法を自民党との相談の結果、決めた。公明党の了解も得た」と述べ,問題解決に向けて事態が展開する可能性が出てきたものの,国が考える「一律救済」が果たして原告が考えているものと同じなのか疑問に感じられる。それは20日に可能であった「政治決断」がなぜ3日後になったのかが問題であるからだ。
 記者の「薬害肝炎患者救済で決断をしたのか」の問いに対し,「自民党総裁として21日、党に議員立法で対応できないかと相談を始めた。その結果、薬害患者を全員一律救済ということで、議員立法すると決めた。公明党の了解も取ってある。今後は、一刻も早く立法措置の作業を進めてほしい。与党で協議し、国会で審議しなければいけない。可及的速やかに立法作業、国会審議をして、野党の協力も得なければいけない。できるだけ早くこの問題の解決に向かってほしい」「これまでは司法の範囲内でということにこだわっていた。この時期になぜ決断をしたのか」の問いに対し訴訟の問題もあるし、裁判所の判断もあるので、われわれとしては司法・行政の範囲でどこまでできるのかを模索してきた。・・・・21日、党と相談し、検討するように指示を出した。その結果、きのう22日、党との間でそういう方向でいこうと決めた」としている。

 原告が治療期間に関わらず「一律救済」を求めていることを考えれば,政府の修正案が拒否されることは自明だったのではないか。また「国の責任を認める」ことについて「そういうことを今、申し上げたつもりだ。責任を超越して、立法作業をすることになる。しかし立法過程においてどうするか、そのへんは、立法する方に任せたい」と語っている。『責任を超越して』の言葉は今後に大きな問題を残しそうだ。つまり,国の責任があったかどうかは別にして,立法で救済するというだけで,『国の責任を自らの言葉として語るつもりはない』と聞こえる。立法で責任を認めなければ,国の責任ではないとも聞こえる。

 あたかも首相の政治決断で事がうまく運びそうだが,行政の長が,立法府に問題解決を丸投げしたような印象を持たせる。だが,少しでも問題解決につながると考えれば前進だが,これが「政治決断」と言えるか否かは疑問である。
 国の提案した和解修正案から3日後の急転直下が起こったことは,内閣支持率が急落したこと,与党内特に公明党からの働きかけを無視できなかったことがあるらしい。だが,最大の理由は,政府の修正案を国民が支持しなかったことではないか。
 公明党幹部が20日,国の修正案に対し「がっかりだ。これでは全員救済にはならない」「役人の言いなりというイメージで、これでは内閣支持率は上がらない。こんなことでは自民党も公明党もつぶれてしまう」と語っていることが印象的である。その後,首相の政治決断ができないなら与党離脱も考えるべしとの強硬論が伝えられているが,C型肝炎訴訟問題を「内閣支持率」を上げるために考えている政治家のいじましさは見下げたものである。

 政府の修正案が提示された後の21日,鳩山邦夫法相は「命の線引きは絶対にしないが、国の法的責任については線引きをせざるを得ない」「和解金を払うのは血税で、何の制約もなく使うことはできない」「国側は事実上の全員救済が可能となる提案をしていると思う。最大限の譲歩をして、訴訟が円満に終結するよう努力したい」と話している。この発言が政府関係者の代弁のように思えてならない。「円満に集結」は政府にとってだけ「円満」なのではないか。この発言は,肝炎訴訟で原告が不法な要求をし,国の責任を問いかけることが間違いであるかのようであり,命まで失われた国の薬事行政の責任を感じていないように感じられ腹立たしい発言である。肝炎訴訟問題がなぜ起こったのかを全く考えていない為政者による,原告が法外な無心しているような印象さえ持たせる発言である。肝炎被害者の労苦をまるで他人事にしか感じていないことは看過できない。今の政府関係者はこの程度の意識しか持てない人物に法相を任せているということか。この法相の発言を,原告がどのように受け止めるかという想像力はないのだろうか。血税を使って無駄遣いしている,天下りをはじめとする多数の無駄遣いを法相はどう考えているか聞きたい。

 厚労省の役人が,原告が求める「一律救済」に抵抗し,同省から「数兆円かかる」と説明を受けた首相が「国民の税金をそこまで使っていいものなのか」と、官僚に同調したらしい。原告団が「一律救済」の対象を1000人前後と定義したことで、「数兆円」というのは350万人いるとされる肝炎患者全員を対象にした数字ではないかとの疑問が明らかになったことも事態の好転につながったと伝えられている。厚労省の役人の責任回避は見え透いており,責任回避しようと思っているなら「無責任」の一語に尽きる。
 被害者には一点の落ち度もない。「お金で解決できる問題ではないです」という被害者の言葉にどう答えるのか。国の薬事行政の責任を認めない限り根本問題は解決しない。首相は3日前に「政治決断」していれば世論を味方につけることができたかもしれないのは残念至極だ。薬事行政の責任を国が認めた暁には,必ず関係者の謝罪と処分がなされるべきである。いつ命が失われるかもしれない「薬事認可」に関わっていた関係者が,何のお咎めなしでは国民は国に信頼を置くことはできまい。

 首相の考えている「全員一律救済」が、原告たちの考えと同じであることを望むのみだが,事態が以前よりいい方向に向かっていることは確からしい。本来は,国が肝炎被害者を提訴するか否かにかかわらず調査し,積極的に国,製薬会社の責任を明らかにした後,被害者の経済的負担をかけない「保証」をなすべきではないか。あたかも,国が被害者である原告を高い位置から見て「救済」してあげるなどと思っているなら,とんでもない思い違いである。首相は原告を21日の会見で「薬害患者を全員一律救済」としているが,「患者」ではなくて「薬害被害者の皆様」と改めるべきではないか。原告が「薬害被害者」,国が加害者であるという認識がない限り,原告の望む問題解決はできまい。

 原告団との直接面会については首相は「お会いしてお話しするのは、やぶさかではない」と述べているが,「是非お会いしたい」と言った方が気持ちが素直に伝わるのではないか。官房長官は「国にある種の道義的責任が行政府にあった」としているが,「ある種」とは何か。道義的責任だけあるなら,法律的に問題はないと言いたいのか。行政府の責任回避への守りを固めているとしか思えない。

 いかなる「救済策」がなされても,そのことで肝硬変,肝ガンをはじめとする生命の危険が原告から取り払われないことを,薬事行政に関わる役人,製薬会社は知るべきである。また,「薬剤を投与すべき患者が自らの家族だったら同じ判断ができたか」という想像力を,薬事行政に関わる人々が持ち合わせることを望みたい。

<前                            目次                            次>