公教育の放棄にならないために |
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2008年01月22日(火) 東京杉並区和田中学校で進学塾講師を招いて2年生対象に夜間に学力向上を目的とした講義が予定されている。同校校長は都公立小中学校としては初の民間出身校長で,3月末に任期が切れる。 同校長の談として『一言で言えば、「吹きこぼれ対策」。公立校には偏差値35〜70までの生徒がいる。通常の授業では、下位の生徒を上に引っ張ろうとすることが多く、成績上位の生徒は「自分で勉強をやりなさい」となる。最上位の生徒は、指導されなくても自分で勉強するが、中〜上位の子は勉強の面白さがまだわかっておらず、個人に任せても成績は伸びない。いわゆる「落ちこぼれ」とは逆で、成績が良いために教諭の視界から外れてしまい、上から「吹きこぼれ」てしまう。「夜スペ」では、そのような生徒にきめ細かくフォローができる』として『月、水、金曜日は午後7時から45分間の授業を数学2コマ、国語1コマの計3コマ。土曜日は午前中に英語を3コマ。午後は質問タイムにする。大手進学塾「サピックス」と、うちの教諭が協力して教材を作る。最近、受験で重要視されている「論理的思考力」を鍛える問題を開発して、授業に使う』『月謝は週3回が1万8000円、4回が2万4000円で、サピックスの授業料の半額程度』が伝えられたのは昨年12月であった。参加希望者は19人という。 これに対して都教委は1月7日、杉並区教育委員会に対し、実施の再考を求める指導・助言を行った。その指導文書の内容は『(1)参加方法、費用の負担等について義務教育の機会均等という観点から疑義がある(2)特定の私塾に学校施設を利用させることは営利性を疑わせ、学校施設の公共性に反する恐れがある(3)教材開発に校長及び教員が関与することは、公務員の兼業、兼職の適正な手続きの観点から疑義がある』であった。 杉並区教委は『教育の地方分権が求められている今日、都教委がこのような指導を行ったことはきわめて残念』『理解不足の子には補習をするなど機会均等は確保されている。学校でなく支援団体が実費のみを支払うという点でも非営利性に反していない』『補習は今後も続け、全生徒に目配りしている。授業1コマ500円と格安で、塾側にほとんど利益はないし,教師にももうけはない』と反発しつつも,都教委の指摘を再検討するため、開始を当初予定の9日から1月下旬に延期することを決めている。 ところが,9日になって都教委は『学校の公共性確保などの課題が解決すれば問題ない』と容認する姿勢を示し,『当初から「やめろ」と言ったわけではなく,あくまで再考を求めたということで,判断するのは区教委』と態度を変えている。どうやら8日に『家庭の経済状況に応じた授業料設定などの調整をすれば実施は可能』という都知事の発言があったことと無関係ではなさそうである。 その後16日の報道では,都教委が容認姿勢を示した後、『生徒が学校の教員より塾講師を信頼するようになったら、公教育が破壊されるのでは』などと区教委に質問していたことが分かった。都教委が自ら採用した教員の質を危惧しているともとられかねず、区側関係者は「不適切だ」と反発。この他に、『塾の講師と生徒の関係は、メール交換など私的な関係に発展しないよう注意する必要がある。誰が管理、監督するのか。塾の講師は教員免許が不要で、経歴がわからない。誰が確認するのか』などという。「公教育を破壊する」などとする問いには、「教員が自らの立場にふさわしい対応をとれば、教員の信頼を失うことや公教育の破壊にはつながらない」との反論している。 夜間塾を実施するについて都教委の指導は当然のことである。実施するについていくつかの問題がある。 (1) 都教委が質問したという「特定の私塾に学校施設を利用させることは営利性を疑わせ、学校施設の公共性に反する恐れがある」ことはどう解決したのか。月謝が相場の半分程度といえど,保護者が負担することには変わりない。安いからいい,ということにはなるまい。だいたいにおいて,営利企業である民間塾が,たとえ今回の夜間塾で月謝を安くしたとしてもなんらかの見返りを望んでいることは間違いあるまい。 (2) 月謝をとって行う夜間塾の教材開発に学校職員が関与すれば,公務員の兼業,兼職の適正手続きの問題が残るのは自明である。なぜ教員が関与しなければならないのか。この点,何ら問題解決してないのではないか。 (3) 同校校長は, 保護者への説明で「下の子への取り組みはいくらやっても批判されないのに、上の子をもっと出来るようにすると言った途端に公平性とか平等とか言われる」と不満をもらしているが,正規の授業,校内での補習とそれ以外の,それも民間企業が関与していることと混同に気づいていないのではないか。 (4) 「教員の信頼を失うこと」ことが「教員が自らの立場にふさわしい対応を」をとらなかった結果起こる。問題が発生した場合には,「学校で公共性確保がなされなかったため」などと聞こえてくる。最後は教員に責任が転嫁されかねないことが危惧される。 いくら同中学校関係者が語っても,教員免許をもっていることが義務づけられてない塾の講師が行う夜間塾が校内で実施されることに賛成できない。営利企業の塾が公立校の校舎内で授業をすることは,当該学校の教員の敗北とすら感じられる。なぜ,成績が中〜上位の生徒に対する学校での指導ができないのかが最大の疑問である。「下の子への取り組み」がなされているなら,その上の成績の生徒への対応も考えればいいことである。 現場の教員は授業だけやっていればいいわけでなく,生徒指導,部活動,PTA活動など職務煩多であることは知られていることである。生徒の学力向上に対応できる時間が制限されることは十分考えられるが,もし,そうであるなら,学校は塾に身を任せるのではなく,少人数スタディークラス授業などでかなり対応できるはずである。そのためには職員の増員が不可欠になってくる。教員経験者に依頼するのもひとつの方法である。教員ひとりあたりの持ち時間数を少なくすることは,教員の質の向上に少なからずいい結果をもたらすことになるだろう。授業の質の向上,個々の生徒へのきめ細かい対応が可能になってくるはずである。夜間塾でやるはずの授業がなぜ学校でできないのかの説明を聞きたい。そのことが全く伝えられてない。 進学するためのノウハウに長けた塾講師の授業と,全生徒を相手にし,言いたくなくても小言を言わなければならない教員との間で生徒の気持ちの上での乖離は避けがたいものが出てきても不思議ではない。それが,同じ校舎を使ってだから問題は小さくあるまい。 私が教員になったばかりのときに,教室内に授業の理解度に大きな幅があることをすぐに実感した。それは単に能力のみならず,その大きな要因は授業へ参加する意欲,動機づけであった。県教委の指導を受ける機会があり,このことを質問した。答えは簡単であった。「プロの教員なら,学力の上の生徒も下の生徒も対応できる授業を工夫しなければなるまい」という解答であった。当初は「そんなことができれば,悩むこともないし,質問などするもんか」と思ったが,いくつかの学校を経験した後に,前述の授業の工夫ができることが分かってきた。基礎的な内容ばかりやっていると,理解度の高い生徒は飽きてしまう。予習を前提とした応用的な内容の講義をすると,参加意識の低い生徒は授業についていけない。 基礎的,標準的内容を中心の授業を進め,授業の発展的内容を指摘し,それを考えてきたら結果を見せてごらん,と刺激する。物理の例でいえば,一つの法則がどんな条件で成り立つのか,日常生活といかに関係しているか,その法則を使った問題例の結果に境界条件を考えると内容がどのように発展していくかを示す,などである。 「力には作用反作用があるが,ローレンツ力の反作用は何か,慣性力になぜ反作用がないのか。作用反作用の法則は証明できるのか」などの発問に少なからず興味を示す生徒が出てくるはずである。 一方,基礎学力の十分でない生徒には,「質問の時間」が必要である。これは適宜,常時必要である。その数が多い場合は「補習」が必要になることもあるだろう。ただし,補習はのべつ幕なしでは効果は半減する。「この分野の,この内容について」というような区切りをつけたものが望ましい。学力の高い生徒に対しては,必要なら同様に分野別に絞った形の補習が望まれるが,あくまで授業が中心であることは言うまでもない。添削という方法も一考に値する。応用,発展的問題の添削は手間のかかることだが,教員にとっていい勉強になるし,生徒にはやる気を起こさせる方法である。生徒の質問を授業にフィードバックすることも忘れてならないことである。いずれもただひとりの努力では成り立たない話であることは言うまでもない。職場内の同僚間,特に同一学年,教科科目職員の協調と連携が必須である。 「子どものためになるのだから,夜間塾をやってどこが悪いのか」と思う保護者は,夜間塾に求める前に,授業に求めるべしである。同校以外でも民間塾が関係している学校もあると聞くが,その実態は地域によってはやむを得ない場合もあるらしい。だが,今回のことが前例になりあちこちで夜間塾のような形態が肯定されるなら,公立校などやめにしてすべて私立校にすればいい。公立校がなぜ公立なのかを考えずして,ただ目の前のわが子や自校の利益だけ考えるなら本末転倒である。「夜間塾」の提案が出てきた段階で現場の教員が奮起して「そんなことは自分たちでやることだ」と反発した人物はいなかったのだろうか。夜間塾は現場の教員に対する重大な問題提起である。 |
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