日々の抄

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  第二の惣吉になって帰れ

2008年02月28日(木)

 海上自衛隊イージス護衛艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故から1週間が経過した。つぎつぎに伝えられる報道に驚かされることが余りに多い。そのいくつかを挙げてみる。

■ なぜ衝突が起こったのかについて
(1) 自動操舵だったことの不可解
 「あたご」はハワイでの訓練航海の後,いくらもしないで帰還できる状態だった。沢山の船が行き来することで知られている野島崎沖約40キロで自動操縦をなぜしていたのか。漁船の存在に気づきながらも手動操縦に切り替えたのは衝突1分前だったという。当時10ノット(時速約18.5キロ)で航行していた状態から,衝突回避のために「あたご」が「後進」に切り替えたが停止するまでに数百メートル進むことを考えれば,全力で衝突回避したとは到底思えない。
(2) 監視体制は万全だったのか
 事故当日「あたご」の当直は、艦橋の十人と戦闘指揮所の七人など計二十六人。艦橋の左右に計2人の見張り員が前方の漁船を確認。これが艦橋の当直士官に伝えられていたのか。レーダーでの確認はできていなかったのか。午前4時前後に行われる要員交代の前後で漁船の存在確認についての引き継ぎができていたのか。『午前3時55分と、次の午前4時5分に灯火を視認したのは「同じ見張り員だった」』と防衛省側は説明しているが本当なのか。
(3) 衝突回避をなぜしなかったのか
 「12分前に漁船に気づいていたなら衝突回避できるはず」との専門家の言葉にどう答えるのか。警笛で知らせる努力をしたのか。「清徳丸」は左側面を見せながら、「あたご」の進行方向に右側から接近しており、第3管区海上保安本部は「清徳丸」を右手に見る「あたご」に回避義務があったと断定しているが,回避義務がなぜ行われなかったのか。

■ 事故発生後の現場での対処について
 「あたご」乗組員が作業艇2隻を降ろしたのは衝突14分後で,海上保安庁への通報は衝突16分後だったという。防衛省によると『1分後に救助指令が出され、作業艇を降ろすまでの間、乗員は甲板などに集まり双眼鏡で被害者を捜し、探照灯で衝突海域を照らし、艦橋や甲板から呼び掛けた』というが,遭難者を発見したために作業挺を出したのではないらしい。ならば,作業艇を出すためにこれほどの時間がなぜかかったのか。現場での狼狽えぶりがみえるようであり,非常事態時への敏速な対応が行えなかったと思える。1988年,海自潜水艦「なだしお」事故で、ほとんどの乗員が救助のため飛び込まなかったことが強く批判されているが,その教訓が活かされなかったのではないか。
 事故時に,艦長は仮眠をとっていたという。間もなく帰還し船舶往来の激しい海域を航行しているときに,艦長が指揮をとるべきではなかったのではないか。

■ 報じられた内容が変わったのはなぜか
 監視員が「清徳丸」を視認した時刻は当初事故発生2分前と伝えられていたが,事故の翌日である20日には12分前と変更されている。
 防衛省によると、海幕は事故当日の19日午前10時、「漁船に気付いたのは2分前」と報告を受け、正午過ぎに防衛相に伝えたという。しかし、海幕は、午後4時18分ごろに護衛艦隊幕僚長から「実際は12分前だった」との報告を受け、防衛相に夜に報告した。ところが、この日午後11時からの海幕防衛部長による会見では「あたご」が漁船の灯火に気付いたのは衝突2分前」と発表。その後、海幕は「あたご」の乗組員に衝突が12分前だったかどうかの確認を行った結果,12分前で正しかった旨を防衛相に報告。同日夕方の自民党部会で発見時刻を修正した。
 しかし,一方で 「清徳丸」の仲間の漁船は事故発生30分前に「あたご」が接近していることを認識しており,衝突直前は漁船が危ういところで衝突回避行動をとっていた。漁船を視認していた時刻が衝突12分前だったということと,漁船の認識の違いをどう説明するのか。

■ 事後の対応は適切なのか
 事故同日19日午前10時ごろ、「けがをした乗組員を搬送する」として,航海長をヘリコプターに乗せて海幕に向かわせ事情聴取した。海上保安庁に事前に許可を得ているとしていたが,事後の連絡であったことが判明。虚偽の報道をしていたのである。本当にけが人がいたのだろうか。
 航海長は、メモに従い「衝突2分前に緑の明かりを発見、1分前に漁船を見つけ全力後進で避けようとした」などと述べたとみられる。さらに、これとは別に大臣室で、防衛相,防衛事務次官,統合幕僚長、海上幕僚長の4人が事情聴取していた。海幕による聴取と同様の説明をしたとみられる。航海長は午後2時半ごろ、再びヘリコプターで帰艦。
 防衛相は、航海長からの聴取内容について、海幕から報告を受けたと説明しており,偽りの説明をしていた。海上保安庁の捜査段階で、海上自衛隊が当事者から聴取することは、禁止はされていないとしても,事故当日の事情聴取が捜査妨害の恐れがあると批判されても致し方あるまい。事故の直後は事情聴取よりも,人命救助が優先するのではないか。

■ 親族,関係者への対応は適切なのか
 事故発生の翌日,海上自衛隊横須賀地方総監部幕僚長が「清徳丸」の親族に対し,「あそこに報道陣がいますが、知らんぷりしてください。ひと言も話さないで通ってください」と口止めとも受け止められる要請をしたと伝えられた。無残に切断された船体にハンカチで目頭を押さえる親族もいる前でのこの発言は,『言葉に詰まり,報道陣の数が多かったので驚いてしまった。おわびしたい』と陳謝しても,関係者を傷つけたことは消えまい。事を穏便に解決しようと思っての発言なら言語道断である。

 事故の翌日,「清徳丸」の親子の安否を願って一睡もできなかった関係者がいる中で,自民党の衆院議院運営委員長は「救命胴衣を着けていないので恐らく生存の可能性はない。なかなか発見も難しい」と発言している。誰しも厳しい状況を承知しつつ無事生還を願っている中での無神経さはあきれるばかりだ。自分が親族なら同じ事が言えるのか。

「あたご」衝突事故で思うことは
(1) 最新鋭のイージス艦とはいえ、高性能レーダーはもともと水上の事故回避には機能せず、人的な警戒に頼っていることは驚きである。1988年に多数の犠牲者を出した潜水艦「なだしお」事故の教訓は生かされなかったのではないか。
(2) 事故後の関係部署への連絡体制が不十分であることは大きな問題点を残している。
(3) 船舶が衝突事故を起こすことは想定できることであり,事故時の対処の整備の必要性を十分活かすべきである。
(4) 事故状況の把握,報道について,情報隠蔽の疑い,または責任回避しようとしたと思わせるような行為が伺える。防衛相は「隠蔽があれば責任を取ることは当然」としているが,虚偽報告があったことを考えれば,「清徳丸」の関係者が言っているように,事故の処理に区切りがついた段階で辞任するべきだろう。親族の悲痛な声を聞いた防衛相が全力で努力してくれると願うのみである。一連の防衛省の行為は自分たちの体面を繕い,責任を回避したいように見えることは明白である。

 「あたご」の乗組員は,『相手がよけると思った』などと証言しているという。関係者の奢り,弛みの結果と思えてならない。まるでダンプカーの運転手が,『自転車なんか怖くない,おまえ達がよければいい』といっていることと同じではないか。今回の事故で,選り抜きのエリートさん達を乗せた,漁船の1000倍もある重量の最新巨大海上自衛隊イージス護衛艦が,木の葉のような船舶に乗り命がけで漁をしている善良な国民を砕け散らした姿は,国家という権力が市井にひっそり住む国民を踏みつぶしたように感じられてならない。それは,「消された年金」,「利権を貪る天下り」,「権力による冤罪」などと重なって見えてならない。
 国を守るべきイージス艦が,国民の命を危うくしてどうするのだ。国民の安全も確保できないイージス艦など無用の長物である。

 NHKドラマに一世を風靡した『澪(みお)つくし』があった。「銚子に住む主人公惣吉が漁で遭難し行方不明となったが,5年後に外国船に救われ帰還する」という内容のものであった。同じ千葉県の吉清さん親子が第二の惣吉になり,無事に生還してくることを願ってやまない。

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