人道的配慮だけでいいのか |
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2008年03月27日(木) 難民と認められず強制退去処分を受けていた川口市在住のトルコ国籍のクルド人タスクンさん一家に東京入国管理局は25日,1年間の定住を認める在留特別許可を出した。一家は父親がクルド人,フィリピン国籍の母親と小学1年生の娘の3人である。クルド人への抑圧を経験し,トルコでの兵役を逃れて来日したタスクンさんが国に難民認定を求めてから7年が経過。やっと安住の生活を得た一家は「これからは日本社会の一員として地域に貢献したい」と喜びを語っている。 クルド人難民申請者に対する許可は4件目で,家族に対しては初めてという。在留許可を更新すれと滞在延長が可能で,永住権の資格取得も近づき,東京高裁で係争中だった退去処分取り消し訴訟は取り下げられるという。一家は、地域の清掃活動に参加するなど一市民として生活してきたものの定職には就けず,月11万6000円の生活保護に頼った生活を送り,国民健康保険に加入できず治療費が2万円以上かかったこともあるため病院にも行けなかったという。在留が認められたことで,国民健康保険にも加入でき,タスクンさんは4月から越谷市内の建設会社で働くことも決まったという。 タスクンさんが17歳だった1993年,「同じクルド人に対し銃を向けられない」として徴兵を拒み,偽造パスポートで来日。違法入国し不法滞在していた。同じく不法滞在だった妻と出会い,間もなく娘が生まれた。婚姻は認められず,娘は父と異なる国籍を持つものの,日本語しか話せず,家族の会話も日本語という。 一家は度々、東京入管に難民申請をしてきたが,申請が却下された2004年1月,東京入管から父親はトルコ,母親と娘はフィリピンに,家族を引き離す別々の送還命令が出されていた。娘は両親と離れて埼玉県内の児童相談所に送られた後,母親の親族宅に預けられた。当時はまだ3歳で親のいない生活に泣き叫び,食事もとれない日々が続いたという。約50日後,母親は体調を崩して仮放免。父親も持病のヘルニアが悪化するなどして仮放免が許可された。 一家は弁護団を通じて退去強制処分の取り消しを求めて提訴。一審判決は「父母どちらかの母国で一緒に暮らすことに著しい困難は認められない」として請求を棄却し敗訴。2007年11月2審の東京高裁で東京高裁の審理で裁判長から「話し合いで解決できないか」との提案を受けていた。鳩山法相は25日,一家3人について,日本での滞在を認める在留特別許可を出すことを明らかにした。在留特別許可は子供がおおむね中学生以上であることが目安の一つになっており,今回のケースは異例という。法相は「お子さんの学校のことなどを総合的に判断した」「高裁の提案を受け、人道的配慮から,在留特別許可が最善の方法と判断した」としている。法相の温情采配により万事めでたし々の結果に思えるが,忘れてならないことがある。 それは昨年4月末,強制国外退去させられたイラン人アミネ・カリルさん一家のことである。アミネ・カリルさん一家は高崎に在住していた。一家はアミネさん,妻,当時18歳の長女,当時小学4年生の次女の4人家族だった。カリルさんは1990年5月に短期滞在ビザで入国。翌年に妻と長女も来日。来日後に妹が生まれた。2000年6月に国外退去処分を受け,在留を求めて提訴したが,2006年10月,最高裁で退去処分が確定した。一家は再審を申し立てたが,アミネさんは2007年2月,入管側に長女マリアムさんの残留が認められるなら帰国すると伝えた。保育士をめざして地元の短大に進学した長女マリアムさんだけは2年間の在留特別許可を受け,マリアムさんを残して一家は昨年4月に帰国。 アミネ一家での難題は,帰国後の生活の見通しがまったく立ってなかったこと,ペルシャ語を話せない次女の生活にある。宗教の自由が認められている日本と異なり,イスラム教国家のイランでは女性は「チャドル」と呼ばれるスカーフで顔を隠さなければならないなど多くの習慣の違いもあり,アミネさんは「イランの学校で勉強できるのか。文化の違いなど見えない部分で大変なことばかり」と困惑していた。「日本語しか話せず、日本の文化しか知らない子どもたちはイランで生活するのは不可能」と訴えたことが受け入れられなかったことになる。こどもが日本語しか話せない点は両家族になんら相違はない。 クルド人一家に対し鳩山法相が述べている「お子さんの学校のことなどを総合的に判断」「人道的配慮から,在留特別許可が最善の方法と判断した」という事情はイラン人一家になぜ適用できなかったのか。当時の法相が長勢甚遠氏でなく鳩山氏だったら結果は違ったのか。偽造パスポートで入国したことと短期滞在ビザで入国後滞在が認められなかったことのどのに違いがあるのか。そもそも,タスクンさんはクルド人として難民認定を求めるため入国したのではないのか。 クルド人一家とイラン人カリルさん一家ともに入国してから結果が出されるまで15年,20年経過し,時間がかかりすぎたことはないのか。クルド人一家の場合は難民として受け入れたから,夫婦の国籍が異なるため家族離散の懸念があるから,という点が違いなのか。今回は難民認定申請したクルド人に対する人道的配慮により「在留特別許可」が出されただけで,難民認定したとは伝えられてない。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が,日本に住むクルド人父子を難民と認定したケースはあるものの,法務省が難民認定したケースがないのは何故か。難民認定を申請しているもののそれが受け入れられず,今回のような事情を抱えている他のクルド人家族がいる。我が国の難民に対する「難民認定」を含めた対応は,国際的にみて適性に行われているのだろうか。 違法残留に対する判断が,最終的に法相の判断で決まることは如何なものなのか。また法相が誰であるかによって結果が異ならないことを願いたい。 |
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