土壇場の修正があった |
---|
2008年04月04日(金) 3月28日付の官報で小中学校の改訂学習指導要領が告示された。2月の改訂案公表後,1カ月かけて意見を公募し,インターネットなどを通じて全国から約6000件の意見が寄せられたという。修正は全部で181カ所でその大半は字句の修正や用語の整理というが,中教審が約3年におよぶ公開審議を積み重ねて出された答申をもとに改定案が作成されていたものが,たった1カ月の意見公募で修正されるの安易さに疑問をもたないわけにいかない。 2月に発表された改定案から修正された内容で特記すべき事は次のようなものである。 小学校,中学校学習指導要領改定案総則で,『道徳教育は人間尊重の精神と生命への畏敬の念を生活に生かし、伝統と文化を継承・発展させ、公共の精神を尊び、主体性のある日本人を育成する基盤として道徳性を養うことを目標とする』とあったものが,『道徳教育は,教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき,人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念を家庭,学校,その他社会における具体的な生活の中に生かし,豊かな心をもち,伝統と文化を尊重し,それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛し,個性豊かな文化の創造を図るとともに,公共の精神を尊び,民主的な社会及び国家の発展に努め,他国を尊重し,国際社会の平和と発展や環境の保全に貢献し未来を拓く主体性のあらる日本人を育成するため,その基盤としての道徳性を養うことを目標とする』に変更。 小学校『音楽』で改訂案に「指導計画の作成と内容の取扱い」の指導計画の作成」当たっては,次の事項に配慮するものとする」において『国歌「君が代」は,いずれの学年においても指導すること』とあったものが,『国歌「君が代」は,いずれの学年においても歌えるよう指導すること』に変更されている。 文科省は「意見公募のほか、改正教育基本法の趣旨や国会審議などを踏まえた」と説明し,「とくに重要な修正ではない」と言う。学習指導要領の総則は,最も重要な部分であり,その文言は簡単に修正されるべきことではない。君が代を「歌えるように」という加筆について文科省は「現行指導要領の解説書の記述に合わせた。強制の意図もない」と言う。解説書は指導要領の本文にたいする「解説」であって本末転倒ではないか。指導要領に書かれている「歌えるよう」が文科省が言うように「強制の意図はない」では済むまい。これまでの説明で「学習指導要領には法的拘束力がある」なら,「特に重要な修正部分はない」では済む話などとは言えまい。 こうした内容に変更を要するなら,中教審に正式に諮問したうえで,専門家や教育現場の意見を踏まえて判断するのが公正な手続きではないか。文科省は,一部の与党議員からの強い働きかけがあったことを認めているそうだが,教育行政が一部政治家の強硬な申し入れで変更されることがあっていいものだろうか。 君が代を「指導すること」が「歌えるよう」に加筆されたことが,東京都がやっている「歌うこと」が強制され,処分の対象になるようなことが,日本全国の教育現場で起こりかねない。1999年の国旗国歌法の成立時に発表された当時の小渕恵三首相の「新たに義務を課すものではない」という談話,野中広務官房長官の「法律ができたからといって強要する立場に立つものではない」と言葉が反故にされることにつながらないだろうか。 中教審の答申を基に作られた改定案があっという間に,これからの教育現場に大きな影響を与えることが十分想像できる修正がなされたことに対し怒りをもって抗議しないわけにいかない。「国を愛せ」などと言われなくとも,国民が国を信頼でき,安心できる生活ができ「日本に生まれてよかった」と思えれば,「日本がいい国で好きだ」と思えるのではないか。年金をはじめ国民が国を信頼できない現状で,一部のエリートさんだけが甘い汁を吸っていることを直すことができない国が,「国を愛せ」などと言われることに違和感をもたないわけにいかない。そうしたことを解決することが先決である。 |
<前 目次 次> |