日々の抄

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 学校は安全であるべし

2008年06月23日(月)

  また学校で起こってはいけない事故が発生した。18日、東京杉並区の小学校で6年生男児が、校舎屋上にあるドーム状のアクリル製採光用窓(厚さ4.5ミリ、高さ約70センチ、直径約130センチ)を突き破り12メートル下の1階の床に転落、全身を強く打ち、約4時間後に死亡した。事故当時は算数の授業終了直後で、担任は階段付近でほかの児童に教室に戻るよう促しており、児童が天窓に乗っていることに気づいていなかったという。

 事故に対し、同校校長は「指導していた教諭は、子供が上に乗って落ちるという危険性は予見できなかったと思う」とかばっている。学校は児童らにドームに乗ることを禁じる指示を出しておらず、学校側から天窓の強度や危険性について、各教諭に知らされていなかったという。警察の現場検証によると、校舎の屋上には、ドーム形の覆いがある天窓が5か所に設置されており、児童が転落した天窓以外の4か所から、児童のものとみられる複数の足跡が確認されたという。以前から同様の危険性があった可能性がある。学校側から天窓の強度、危険性を知らされてなくとも、教員は目の前にあるものが児童にとって安全か否かを判断する配慮があるべきではないか。少なくとも管理職は学校全般について、児童の安全には十分すぎるほどの配慮を払うべきではないか。自分が天窓に足を乗せ、へこむ様子を確認していれば、今回の悲しい事故は避けられたのではないか。

 記者会見で、区教育長は「安全管理を徹底しないまま授業をしていたのは、決して好ましいことではない」と話し、学校側の姿勢に疑問を示しているが、学校だけの責任だけとは言い難い点がある。
 同校校舎の設計をした1級建築士によると、「当時、学校側から屋上に児童は立ち入らないと聞かされていた」として、柵で囲うなどの対策をとらなかったという。校舎は1986年に完成。建築士によると、その数年前の設計打ち合わせの際、区教委や学校の担当者が「3階屋上への児童の立ち入りはない」と話したという。建築士は「授業で使うと知っていれば、柵を設けるなど天窓に近づくことが出来ない措置をとった」と話している。同校の2階屋上ベランダにも天窓があるが、近づけないように柵がある。建築士は「『洗濯物を干すため、立ち入るかもしれない』と学校側から説明を受けたので、柵を設置した」と話している。学校建設、安全確認が学校現場だけで行われるはずはない。少なくとも天窓の安全性についても、建設時に教委が検査点検に立ち会っているはずである。

 天窓の製造業者によると、一般的に天窓に使われるアクリルのカバーは降雪などを考慮して数百キロの荷重に耐えられ、強度は10年で1割前後劣化する程度というものの、「人が乗ることは想定しておらず、一点に力が集中すると壊れることもある」という。この会社ではホームページなどで天窓の上には乗らないことや防護さくの設置を呼びかけている。降雪と異なり、人間などが点加重として加わった場合、「70キロの重さが高さ30センチから落下した場合は破損する」としていることが正しいなら、小学生児童が繰り返し天窓の上で飛び跳ねれば確実に破損し、人身事故につながることは自明ではないか。

 同様の事故は、愛媛県伊予市の小学校で昨年3月、今回の事故と同様に屋上の天窓の上で跳ねた6年男子児童が踊り場に落ちて重傷を負ったり、本年5月、山梨県笛吹市の小学校で、6年生男児が体育館の天井裏に入り込んで遊んでいたところ、天井ボードが抜け落ちて死亡している。群馬県内では1997年、県立高校の1年生女子生徒が採光窓を破って約6メートル落下し死亡する事故が起きている。また、本年1月、桐生市立の小学校で、5年生女児が1階屋上の天窓から転落し、左足や左手を打撲するけがを負う事故があった。家庭科の授業の一環で校舎2階の廊下の窓掃除をしていて廊下外側部分の窓を拭こうとして屋上部分に出て採光用の天窓に乗ったところ、編み目ガラスが割れて約4メートル下の1階多目的室の床に落下したという。このことは今月20日に報道されている。

 今回の事故の以前に死亡事故が起こっているにもかかわらず安全対策がとられてなかったことの原因のひとつは、公立の小中学校の場合、施設で事故が発生しても学校の管理責任は市区町村教委にあるため、国に報告する義務はなく、文科省もこれらの情報を把握しておらず、全国的な安全対策が周知徹底していなかったことにある。都教委でも「事故が多発しているとの認識はなかった」という。同省施設企画課は「天窓は子供が上にのることを想定していないが、子供が利用する場所にある場合は周りに柵を設けるべきだった」としている。児童が天窓に乗ることが可能な状況があるなら、「のることを想定してない」は通用しない。

 今回の事故は、最も重視すべき「学校現場での安全対策」への配慮不足であり、大人の怠慢といえるだろう。予見することができない初めての事故ならまだしも、すでに学校現場で死亡事故が起こっているにもかかわらず、「想定していなかった」は通用しない。学校は、学力を上げることより、「命を大事にする」ことが第一義である。大人が、目の前で起こっていることの先に起こるであろう事態を予見する知恵を今回の悲しい事故から学ばなければなるまい。

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