日々の抄

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 8月のはじめに思う

2008年08月08日(金)

 ことしも広島原爆の日がやってきた。被爆から63年。ことしの広島市長の「平和宣言」は核廃絶に対し、より積極的なメッセージを送った。その中に『核兵器の廃絶を求める私たちが多数派であることは、様々な事実が示しています。地球人口の過半数を擁する自治体組織、「都市・自治体連合」が平和市長会議の活動を支持しているだけでなく、核不拡散条約は190か国が批准、非核兵器地帯条約は113か国・地域が署名、昨年我が国が国連に提出した核廃絶決議は170か国が支持し、反対は米国を含む3か国だけです。今年11月には、人類の生存を最優先する多数派の声に耳を傾ける米国新大統領が誕生することを期待します』として、核を最も多く保有している米国に対し具体的な希望を述べた。

 一方で、首相の平和記念式へのあいさつに『・・・ 本日、ここ広島の地で、改めて我が国が、今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立っていくことをお誓い申し上げます・・・』『・・・被爆により苦しんでおられる方々には、保健、医療並びに福祉にわたる総合的な援護策を実施してまいります。本年3月には、原爆症認定の新たな方針を策定し、できる限り多くの方を認定するよう努めています。さらに、6月には、在外被爆者の方々の被爆者健康手帳の取得を容易にするための改正被爆者援護法が成立しました。今後とも、苦しんでおられる方を一人でも多く援護できるよう取り組んでまいります』という内容が述べられていた。

 非核三原則は語られて久しいが、現実はどうだろうか。米海軍は8月1日、原子力潜水艦ヒューストンが今年3月下旬、長崎県の佐世保基地に寄港した際、微量の放射能物質を含む水を漏らした可能性がある、と日本外務省に伝えた。佐世保には3月27日から4月2日と、同6日の2回入港していている。米政府から漏水の連絡が外務省に入ったのは今月1日午後だった。7月にハワイで実施した定期点検で発覚したが、人体や環境には影響がない「極めて微量の放射能」という。沖縄県うるま市の沖合にも一時停泊していたという。ところが、外相がこの事実を知ったのは、2日朝の米CNNテレビの報道によってだったというから驚きである。外相からの確認で担当部局が認め、外相が公表を指示したという。外務省は報告を遅らせたのでなく、CNNの報道がなければ、外相、首相への報告もすることなく、公表もされなかった可能性が高いと言われても仕方あるまい。「放射能漏れ」の外務省による隠ぺいである。これは国民への背信行為であり、外務省の思い違いである。
 「核兵器を持たず、つくらず、持ち込ませず」が非核三原則なのではないか。米国原潜は米同時テロ後、入港の事前通告もせずに自由に出入りしているという。非核三原則を無視する米軍、それを政府が容認しているなら、首相が平和記念式で述べた『非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立っていくことをお誓い申し上げます』は事実に反しているのではないか。

 また、今年4月から原爆症の認定基準が大幅に緩和されたが、被爆者側はさらなる基準拡大を求めている。新基準は、被爆した場所や時間の要件を満たし、がんなど5疾病であれば「積極的に認定する」としているが、爆心地から約20キロ離れた海軍病院で、マスクや手袋なしに約1カ月間看護し腎炎、肝機能障害などを患う救護被爆者に対し認定されいないことをひとつの例とすれば、「特定の疾病だけを、定規で測ったようにあてはめるのは間違いだ」と憤りの声が上がるのは当然ではないか。「微量なら人体に影響がない」と考える米国に同調していることはないか。「疑わしきは認める」という被爆者援護法の立法精神は生かされないのか。
 平和式典後行われた被爆者代表との「要望を聞く会」で、4月に運用が始まった原爆症認定の新基準を再び見直す点については首相は、「今後、厚労省で皆様の要望をどうくんでいくか、具体的に考えていただきたい」と述べ、明言を避けている。厚労相とともに再改定には慎重な姿勢を示している。『被爆により苦しんでおられる方々には、保健、医療並びに福祉にわたる総合的な援護策を実施してまいります』という言葉との乖離はないのか。被爆者の平均年齢が75歳という。60年を越える苦しみを思うとき、これが「安心実現内閣」の実態なのかと白々しい気持ちになって仕方ない。

 一方で、小学六年生男女二人のこども代表による「平和への誓い」は心うたれる内容だった。その中に『原爆は、やっと生き残った人たちも苦しめます。放射線の影響で突然病に倒れる人。あの日のことを「思い出したくない」と心を閉ざす人。大切な家族や友人を亡くし、「わしは、生きとってもええんじゃろうか?」と苦しむ人。でも、生き抜いてくれた人たちがいてくれたからこそ、私たちまで命が続いています。平和な街を築き上げてくれたからこそ、私たちの命があるのです。今、私たちは、生き抜いてくれた人たちに「ありがとう」と心の底から言いたいです。』という一文がある。『生き抜いてくれた人たちがいてくれたからこそ、私たちまで命が続いています』という言葉は、今も原爆症に苦しむ人びとをどれほど励ますことだろうか。また、『失われた命の重さを思う時、何も知らなくて平和は語れません。・・・私たちは、原爆や戦争の事実に学びます。私たちは、次の世代の人たちに、ヒロシマの心を伝えます』と続く。核の問題を学校教育のどの教科科目で、「歴史、核保有数、保有国、核実験した国・・・・・」について学んできているのか考えてしまう。少なくとも被爆国として組織的に学んでいるとはいえないだろう。また、日本だけが唯一の被爆国でないことをどれほどの人が知っているだろうか、も考えてしまった。

 毎年八月は、望むことなく命を不条理な戦で失った人びとへの鎮魂と、平和に感謝し、人類の将来を考える大切な時と考えなければならないだろう。

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