日々の抄

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 何が封印を解いたのか

2008年08月20日(水)

  ことしも終戦記念日の前後に「戦争記録」のドキュメント番組がたくさん放映された。国家が戦争という暗黒の世界に突入していった背景、望むことなく南方の島で家族を思いながら理不尽な死を迎えたこと、フィリピンをはじめ東南アジア諸国の国民が他国の戦に巻き込まれ何の罪もない市民が非業の死を迎えなければならなかった様子を見ると、戦争の愚かさ、無意味さに怒りを感じないわけに行かない。

 そんな中で、NHKスペシャル「解かれた封印から米軍カメラマンが見たNAGASAKI〜」が印象的であった。米軍カメラマン オダネル の記録である。彼は日本軍の真珠湾攻撃に怒って入隊し、軍専属カメラマンになったという。被爆後の長崎の記録を撮る任務に就き、その惨状を知った。彼は戦後43年後、偶然教会で長崎被爆の写真の貼られた彫像jに出会い、それまで封印していた30枚の写真を公開した。彼は原爆投下後の長崎で、その破壊力を記録するため写真を撮影する一方で、軍に隠れて内密に自分のカメラで写真を記録していた。帰国後、被爆者の記憶に悩まされ、悲劇を忘れ去ろうと全てのネガを自宅屋根裏部屋のトランクの中に閉じこめ、43年間封印したが、晩年になって原爆の悲劇を訴え母国アメリカの告発に踏み切っていく。原爆投下が正当であると信じる周囲から非難の声を浴びながら、去年8月9日に85歳の生涯を閉じた。奇しくも長崎原爆投下から62年後の日であった。
 「日本は中国や韓国でひどいことをした。だが(長崎で残された)子ども達の母親を殺す必要があったのだろうか」「原爆投下は誤っていた。歴史は繰り返されると言うが、繰り返されてはいけない歴史もある」と思うようになったという。また、被爆者を目の当たりにしたとき、「それまでの日本人に対する憎しみは失せた。哀れみを覚えた」と語っている。
 原爆を命じたトルーマン大統領の専属カメラマンになっていたとき、大統領に話す機会があった。「原爆投下が正当と思っているか」と問うと、大統領は顔を真っ赤にして、「前の大統領から引き継いだだけだ」と答えたという。

 オダネルは、軍の規則に違反して写真を撮影し、なぜその写真を長年隠し、晩年になってトランクを開け母国を告発したのか。その足跡を追う息子が、遺品の中に残された録音テープを発見した。そこには写真に秘められた過去と、真実を伝えざるを得なかったオダネルの思いが記録されていた。

 シーファー駐日米大使が8月1日、福岡県宗像市で開かれた高校生対象の「第5回日本の次世代リーダー養成塾」の特別講座に招かれ、「私が高校生だったころ」をテーマに講演した。質疑応答での中で、高校生から「原爆投下は必要なかったのでは」と問われた同大使は、「戦争被害者を最少限に抑えるためだった」などと答え、広島、長崎への原爆投下の正当性を主張したという。いまも原爆投下が、戦争を早期に終結させるため正当であると信じてやまない米国民が多いと聞く。真珠湾攻撃があったのだから、広島、長崎の原爆投下は正当だとする米国民と、「原爆投下は誤りだった」とするオダネルの違いは何か。それは、『自らの目で被爆の悲惨さ、惨さを確かめた否かの違い』ではないか。真珠湾攻撃が正当だったとは思わないが、広島、長崎への原爆投下は、武器を持たない一般市民への無差別殺戮だったことを米国民は分かってないのではないか。被爆者の悲惨な姿、被爆後60年を過ぎても原爆症で苦しむ人びとの姿を目にしてないのではないか。米国で原爆の悲惨さを伝える展示が、退役軍人を中心とする人びとの反対で行われてないのは、惨さを目にしたくないためではないか。

   原爆投下をいまだ正当だ、と考える人びとに平和を語る資格があるとは思えない。オダネルのような米国民がいたことを知り、少しだけ救われる思いがした。

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