日々の抄

       目次    


 途中退場はこれきりに

2008年09月16日(火)

 9月1日、福田首相の突然の辞任は国中に驚きを与えるとともに「無責任」の誹りは免れるわけにいかない。その首相が退陣表明の翌日の閣僚懇談会で「最後までしっかりと国政に当たれ」と気合を入れていた。自ら勝手に国を担う仕事を放棄しながらよく言えるものである。マスコミとのいわゆる「ぶら下がりインタビュー」を拒否し、自衛隊高級幹部会同を欠席するなど、辞任表明以降も在任期間にあることを忘れているような重ねての無責任さである。

 辞任理由について「民主党が国会の駆け引きで、審議引き延ばしや審議拒否を行った。決めるべきことがなかなか決まらないほか、何を決めるにも時間がかかった」「今度開かれる国会でこのようなことは決して起こってはならない。態勢を整えた上で国会に臨むべきだ。新しい布陣の下に政策の実現を図らなければいけないと判断し、辞任を決意した」と説明。民主党が審議引き延ばしをしているから辞任せざるを得ないともとれる言い訳は、安倍前首相が一年前に「民主党小沢氏が話し合い応じないから」として退陣したことに酷似している。2世、3世の政治家は国家国民を考えることなく、自分の思い通りにならないから「職場放棄」するらしい。所詮「お坊ちゃん」は忍耐力に欠けるようだ。民間企業で仕事がうまくはかどらず、経営が危機に瀕し、逃げ出したい気持ちをなんとか抑えて必死に頑張っている一般民衆と違う。喰うのに困っていないからではないか。一般庶民は生活から逃げたくとも逃げられないのだ。政権を途中で放り出す人物は国会議員も辞すべきである。昨年突然辞任した前首相が今更のように登場し、偉そうに政治を語る資格が回復したとは思えない。こうした事態に諸外国からの信頼は失墜していることは言うべくもない。今回の辞任劇は衆院選挙に負けたくないための自民党の手前勝手な政党の論理にしたがっているもので、到底国民目線での発想はなさそうである。

 その辞任記者会見で、地方新聞の記者からの「総理の会見が国民にはひとごとのように聞こえる。辞任会見もそのような印象を持った」という質問に対し、「他人事のようにというふうにあなたはおっしゃったけれども、私は自分自身を客観的に見ることはできるんです。あなたと違うんです。そういうことも併せ考えていただきたいと思います。」と気色ばんだ。マスコミがこれを「あなたと違うんです」と誇張して繰り返し報道していたが、首相メールマガジン(9月1日号)では「あなたと違うんです」であり「あなたと違うんです」ではない。このたった一語である「」があるとないとで意味は大きく違ってくる。そもそも「あなたと云々」とあるが、首相は質問した記者がどういう人物か知らないのに「あなたと違う」などと言えようがないはずだ。「」が入ることにより、「あんたなんかと違うんだよ」と、自らが高い位置にいて見下げた差別的は物言いに聞こえる。マスコミは言葉を正確に伝えるべきである。

 福田政権は補給支援特措法を57年ぶりに衆院で与党の3分の2による再可決、税制改正関連法と改正道路整備財源特例法を成立させるため衆院再可決を連発、日本銀行総裁人事では2度にわたる不同意で、戦後初の「総裁空席」の事態を招いてきた。正に歴史に残る首相と言えるのかもしれない。

 安倍前首相が昨年7月の参院選で「最後の1人までチェックして解決する」の公約が実現不可能になったことに対して、「私はそういうことを言ったことはないから、個人的にはそうは思わないけど、今の立場からするとそうはいかない」と述べたあたりから、「他人事」だったのではないか。北朝鮮拉致問題では「私の総理の代で拉致問題を解決しましょう」と胸を張って見せなにも問題解決の手がかりさえつかめぬ終焉、一月前に内閣改造したことにどんな意味があったのか。基礎年金問題、定額減税、道路財源一般予算化、後期高齢者医療制度など未解決な問題が山積している。

 福田首相の辞任表明以来、後継争いの報道が連日伝えられているが、総裁選立候補の条件である20名の推薦人も集めることができない人物がマスコミに出て、とうとうと自説を説いているは、「売名行為」としか言いようがない不快さがある。マスコミはまるで小泉第2劇場が始まったかの如く報道しているが、5人の立候補者はいずれも小泉内閣の閣僚経験者である。小泉政権によって、日本社会の格差が広がり、規制緩和、自由化経済によってどれほどの中小企業が仕事を失い、地方が疲弊化してきたのか。そもそも自民党総裁選挙は自民党員でなければ選挙権がないにも関わらず候補者が全国行脚している様をTVで垂れ流ししていることに違和感がある。自民党の戦略にうまく乗せられているだけにしか見えない。小泉改革政権時代でのマスコミ報道の反省が生かされているとは思えない。経済政策しか伝えられない全国行脚は正に、民主党に対抗するための「茶番劇」にしか過ぎない。女性候補を小泉氏が応援するなどということを、なぜ詳細に伝える必要があるのか。TVはもとより、新聞各紙は、あたかも麻生氏当選が当然であるように伝え、国民の支持率まで伝えている。「マンガが好きだから国民的人気がある」ようなミーハー的な伝え方は、国民が人気投票を歓迎するかもしれないという思い違いなのではないか。

 「社保庁職員が善良な国民の厚生年金を不正に改竄することを勧め『消した年金』作成を誘導した」、「消えた年金問題が一向に解消せず、政治家の『約束』がつぎつぎに反故にされている」、「『汚染輸入米』を食い止め、国民の安全に関わるまともな仕事ができない役人がおり、汚染米に問題ない、とうそぶく農水相がいる」など、書き出せば切りがない。役人の無駄遣い、天下りによる浪費を解消せずして増税を語る怠慢。こうしたことに、今までの政府が政治力を発揮できてこなかったことはなぜか。「国交省で無駄なタクシー代が9割減し1月に約1億円が浮いた。公用車の発注方式を見直した結果、1月あたり約6千万円の削減効果があった」などは無駄削減の一例にしかすぎない。

 自民党総裁選で語られている経済政策だけでなく、拉致問題、食糧自給問題、安全保障問題、年金問題、医療制度について語って貰いたい。都合のいい見栄えのいい話だけ伝えていただけではマスコミが使命を果たしているとは思えない。来年の9月にまた突然の首相の辞任劇が見られないことを願いたい。一方で民主党が政権をとったとしても、野党ならではの「夢物語」をどれだけ実現できるのか。どれだけ期待できるか未知数だが、少なくとも現状より悪くなることはあるまい。福田内閣が「国民目線の安全安心内閣」でなかったことだけは確かだ。これが「せいぜい頑張った」結果なのか。
 喧しく白々しい虚言を並べた街頭演説を近い将来聴かされるのは気が重い。

<前                            目次                            次>