日々の抄

       目次    


  昭和の日ができたが

2005年5月16日(月)

 改正祝日法によって「昭和の日」が、13日午前の参院本会議で、自民、公明、民主各党などの賛成多数で可決成立、2007年から施行されるという。4月29日が「昭和の日」、5月4日は「国民の休日」から「みどりの日」に変わることになったという。4月29日が昭和天皇の誕生日だったから、「昭和の日」になったのだろうが、すでに自然愛護を記念する祝日として12年経過し定着している「みどりの日」を軽々に日を変えていいのだろうか。4月29日を「昭和の日」にすることで、現在では名づけることができないであろう「天長節」の復活を思い浮かべるのは私ひとりではなかろう。

 「昭和の日」にすることの趣旨を、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧みる」と定めているそうだが、なぜ昭和に拘るのか。大正、明治はどうなのか。以前にも国会で廃案になったことのある(過去に2度廃案になっている。最後の改正案は2002年に議員立法で提出され、03年の通常国会で衆院を通過したが、参院で継続審議となり、03年秋の衆院解散で廃案となっている)この法案がなぜ今必要なのか。多くの国民にその趣旨が周知しているとは思えないし、変えるべき必要性が伝わってこない。

 かつて明治天皇の誕生だった11月3日の明治節が文化の日に替えられたが、昭和天皇の誕生日をわざわざ「昭和の時代を顧みる」ために昭和の日にする必然性は感じられない。近代日本の歴史の中で、昭和の時代ほど近隣諸国へ負の影響を与えた時代はなかったはずだ。昭和の日の制定を近隣諸国が快く感じなくても不思議ではない。「侵略戦争の犠牲となったアジア諸国からどう見えるか考えるべきだ」とする主張は当然である。 アメリカでさえ、14日付の米紙ワシントン・ポストが、改正祝日法を国際面で取り上げ、昭和の日を「第2次世界大戦当時の天皇をたたえる祝日を定めた」などと伝えている。

 「日本の祝日をどう決めようと、国外でとやかく言われる筋合いではない」とする考えが当然一部にはあるだろうが、この考えがいつまでも「日本を許せない」という気持ちに繋がっているのではないか。中国、韓国などが日本に対して今までにない敵対的な感情と対応をしているこの時期にわざわざ「昭和の日」を制定しなければならない理由が分からない。「祝日が変わったみたいだぜ」と多くの国民が思っているなら思うつぼである。

 また、「国民の祝日」が日曜日にあたるときは、「その日後においてその日に最も近い国民の祝日でない日を休日とする」、と改正されている。学校現場の立場で考えれば、祝祭日が多すぎる感は否めない。休みが多いことは必ずしもゆとりを持つことにはならない。ハッピーマンデー法によって成人の日、体育の日(施行は2000年1月1日)、海の日、敬老の日(2003年海の日から施行)を連休にするために月曜日にしたため、月曜日の授業が相当数潰れている影響は少なくない。

 現在の日本にとって必要なのは「復興を遂げた昭和の時代を顧みる」ことではなく、「世界、特に近隣諸国といかなる将来に繋がる考えと行動が必要かを考えること」であろう。そのために「国民が未来の日本を考える日」を制定することでできれば多いに意義のあることと思う。

 4月29日を昭和の日にすることに賛成はできない。

<前                            目次                            次>