日々の抄

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 現場は苦悩している

2008年12月1日(月)

 都立日本橋高校の06年2月に実施した入試で、学力テストなどの結果が合格圏内だった男子生徒2人に、調査書の評価点などを低く改ざんし、不合格としていたこと判明した。2人は05年に同校で暴力行為などを起こして退学。再受験していたという。2人は男子の合格ラインに達していたが、校長が当時の副校長に、2人の中学卒業時の調査書や自己PR書類の評価点を減点させる不正操作を指示し不合格にしたという。当時の校長は2人が再入学することで再び「生活指導上の問題」が校内で発生すると懸念してのことという。
 同校の中退者は、05年度28人、06年度39人、07年度12人。来年4月から墨田区八広へ移転する予定で、生活指導にも力を入れている最中だったという。校長、副校長は12月1日付で都教職員研修センターに異動すると伝えられている。

 高校入試の不適切といわれる行為が神奈川県神田高校でもあった。
 基準点を超えながら不合格になったのは05年度6人、06年度6人、08年度10人。08年度の前期選抜の場合、196人が受験し57人が合格。公表された選考基準では、調査書(86%)と面接(14%)で合否が決まるはずだったが、態度や服装を理由に7人が不合格となった。本来の選考基準では全体で16番目の成績だった受験生も不合格になっていたという。
 同校は校内に飲食物が散乱し、喫煙やいじめ、盗難などが絶えなかった。近隣の公民館やコンビニエンスストアなどには「神田高生の立ち入り禁止」の張り紙が出され、アルバイトを断られたり、バスに乗せてもらえなかったこともあり、中退者は全校生徒約350人に対し、年間100人。謹慎処分を受ける生徒も絶えなかったという。
 06年度入学者選抜では、09年度から統合予定となった同市内の五領ケ台高校と統一選考基準をつくったため、「裏基準」による排除は行わなかったためか、「特別指導」の件数が、前年度に比べて約2倍の220件と激増、翌年から「裏基準」選抜を復活させたという。生徒数350名余の学校でその2/3が「特別指導」を必要とすることは尋常一様なことではない。どれほど学校関係者が心を痛め、家庭訪問を始めとする「特別指導」に時間を割いてきたか。想像を絶する努力が必要だったことに心が痛む。「そうした生徒を入学させて指導することが学校の使命だろう」と語る人物は、所詮他人事で評論家に化し、現場の苦悩を知ろうとしていないのではないか。

 公表された選抜基準にない、「茶髪、まゆをそっている、ピアス、丈がおかしいスカート、胸ボタン外し、つめが長い、、ズボン引きずり」などは、「面接試験」の評価基準に入っていれば問題なかったのではないか。抑も、「異装」で入試に望むのは、合格するつもりがあるのか甚だ疑わしい。然るべき時には、然るべき身なり恰好をするのは、社会人として当然のことではないか。時流に流され、学校生活に相応しくない「目立つ外見」に現を抜かすべきでないことは、家庭において幼時から教育すべきことである。家庭で躾るべきことまでを、学校で何とかしてくれというのは、あまりに虫のいいご都合主義で、何でもかでも学校に責任を負わせる風潮は間違っている。

 神田高校の学校関係者の校長に対する反応が同情的であることは特記すべきことである。
「誤解されるかもしれない格好で入学試験を受けに来た生徒の勉学に対する姿勢や、そこから推測される生活態度が問われたのでしょう。茶髪やピアスが悪いという単純な考えではないと思う」「服装の乱れや態度の悪さで不合格になるのは当然だ」 「学校は一生懸命やっている」 「校長が記者会見で謝罪する必要はない」「服装や態度で選考して何が悪いのか。選考基準になくても当然」「高校は義務教育ではない。(不合格にした)校長の判断は正しい」「風紀の乱れを事前に守ろうとした校長がなぜ解任されるのか」「ピアスや金髪、丈がおかしいスカートなど、『この高校に入りたくない』という態度を前面に出しているような生徒をなぜ入れなければならないのか」などで、「不合格は行き過ぎ」「選抜方法を見直すべき」といった非難する意見は少数だったという。それほど同校の抱えていた問題が大きかったということではないのか。

 日本橋高校は11月7日に都教委への告発があったため、神田高校も今年7月、学校関係者が県教委への「内部告発」で事態が発覚したというが、神田高校では校長以外の複数の教諭がかかわっていたとの証言がある。なぜ、問題のある処理がされる前に校内で問題化しなかったのか不思議でならない。日本橋高校では2年前のことがなぜ今になって露見したのか疑問である。
 「内部告発」した職員はなぜ県教委へ訴える前に校内で問題にしなかったのか。「内部告発職員」に、入試で不適切と言われている処理以外の不正義を感じる。
  神田高校では「荒れた校風から抜け出すための措置のひとつだった」「教師の生徒指導に関する負担を軽減し、まじめな子をとりたかった」「生徒指導に苦慮しており、教諭の負担を軽減したかった」、日本橋高校では「他の生徒への影響を懸念した」が理由だという。
 両校ともに「入試の公正さ」という観点から問題があっただろうが、神田高校では、困難校をなんとかしようと、県教委から送り込まれ、やむにやまれず行った不適切と言われる行為を行った校長に対し、「総合教育センター」への移動という「処分」をして済む問題ではないのではないか。非難をかわすための「トカゲの尻尾切り」に見えてならない。神奈川県の県立高校では「身なりがおかしくても落とされることはない」ということになりはしないのか。

 教員業をやっていて最も苦しみ悩むことは、「自分の努力ではどうにもならないこと」に直面したときである。保護者を含めいくら話し合っても、生徒が問題のある身なり恰好を変えようとせず、他へ迷惑をかけるような問題行動も改善しないことである。神田高校のように校長が問題生徒に直接、接触し、問題解決にあたっているならまだしも、生徒の問題行動があるときに、「担任はなにをやっているのか」と怒鳴り散らすような「指導力を発揮する」管理職もいる。「それを解決するのが教員の仕事だ」という言葉を耳にすることがあるが、家庭や社会の連携なしに解決しにくい問題が多いことも現実である。一度説諭して事が解決するなら、始めから問題は起こらないし、それほど簡単な話ではない。

 「不適切行為はけしからん」と非難することは簡単である。だが、指導困難校で苦しみながら努力している現場に自分が立っていたらどうだか、と想像を働かせて論評を加えてほしいものである。何から何まで「きまりに公表されてない」から構わないというのは問題がある。場面に応じた「不文律のきまり」が、どの社会でもあるはずである。何から何まで「きまり」を文章化することは、米国でやっている「電子レンジで猫は乾燥させないように」「チェーンソーは手で停止させないように」などという類と同じことになりやしないだろうか。

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