日々の抄

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 携帯電話は悪くない 

2008年12月8日(月)

 大阪府の橋下知事が、子どもによる過度の携帯電話の使用が問題になり、いじめや犯罪に巻き込まれる危険も増えているとして、公立小中学校への児童生徒の持ち込みを禁じるアピールを発表した。政令市の大阪、堺両市を除く全域が対象で、都道府県単位で持ち込みを禁止した例はないという。文科省も「聞いたことがない」と話しているという。
 府教委が約1万3600人に調査したところ、中高生の4人に1人がメールを1日に31通以上送信するなど、「携帯依存」が広がっている。その分、学習時間が少なくなり、学力に悪影響が出ているとみて、禁止を決めたという。
 大阪府枚方市のある中学校校長は、知事の方針を高く評価しているという。授業中は机の下でメールばかり。顔を上げたと思えば今度は携帯で教室内を写真撮影しているような生徒たちに手を焼き、学校への携帯電話の持ち込みを禁じたものの、持ち込んだ生徒の保護者を呼んで注意すると逆に「他校では許可しているのに、うちはダメなのか」と抗議されるという。「これからは保護者にも『府全体で決まっていることだ』と説明できる」と校長は語っているという。
 他方で、これまで多くの学校で校内使用が認められてきた高校には、戸惑いを隠せない。「家庭との緊急連絡に必要では」「部活の連絡に使っているケースもある」などがその理由である。ある府立高校では、携帯が普及し始めた数年前に学校内の公衆電話は撤去され、携帯電話のあることが当たり前になっている現状から、説得に不安をのぞかせるという。

 一方、都内は子どもが携帯電話を所有する割合は小学生が38%、中学生が66%、高校生では96%に上っている。都教委はことし10月に、都内の公立の学校に対しては、原則として携帯電話を校内に持ち込むことを禁止するよう文書で通知したうえで、最終的な判断は各学校に委ねている。都知事は、防犯上のことなどさまざまな意見があるとしたうえで「本来、親が買って与えるものだから、親がいけないと思ったら買わなきゃいいし、使用の制限もしたらいい。ほんとうはこういった問題は子どものしつけにかかわることで、親が判断することだと思う」と述べ、子どもの携帯電話の使用は基本的に家庭で決めるべきだという考えを示し、大阪府知事と対照的な対応を示している。

 これらに対する閣僚の発言がいくつか伝えられている。文科相は「個人的には歓迎したい」と述べた。携帯電話などを通じた「ネットいじめ」が増えているのを念頭に、「必要性より弊害の方が多いと感じている」と理由を説明。一方で、総務相は、携帯電話の利便性を指摘した一方で「メール人間は会話能力がおかしくなる。携帯が人間性を失わせる側面を持つのは、疑いのない事実だ」と述べている。「人間性を失わせる側面を持っている道具」が世の中でどれほど出回っているのか。
 総務相の発言は極論にしか聞こえないが、人間性を失わせる側面を持つような道具ならなぜ放置しているのか。携帯電話のみならずPCメールによる、子ども間のいやがらせ、いじめが原因で多数の問題を引き起こし、殺人事件も引き起こしている。「便利な道具の野放図な使用」による弊害に対し緊急に対応しなければならないことは確かである。
  ある中学校では、「午後10時以降はメールしない」「うわさを書かない」など、五つの取り決めを生徒たち自身が作り、「ルールがあるから『また明日』とメールを終わらせられ、携帯に振り回されなくなったという。
 
 府知事が通達を出したことにより、子どもに携帯電話を持たせたくなかった親や、指導を徹底できないで悩んでいる学校は、「府知事のお達しだから」と言えば、自らが子どもと対峙しなくても事が済むかもしれないが、携帯電話そのものが悪いのではない。携帯電話を自分の憂さ晴らしに使う子ども達、使うルールを教えることができない親や学校に問題があるのではないか。
 そもそも、府知事が高い位置から「携帯電話持ち込みや使用禁止」と命じることには大いに問題がある。教育現場で携帯電話が諸問題を引き起こしているなら、府知事がもの申す前に、教育委員会がまず問題提起をして学校現場、教師集団、地域社会が子ども達に教えるべき事ではないか。府知事にしてみれば、「クソ教育委員会などあてにならないから自分が命じているのだ」と考えているのかもしれないが、今回の府知事のやり方には大いに危険なものを感じないわけにいかない。「上から言われなければ事態が解決しない」など情けない話である。だいたいにおいて、携帯電話に関わる問題を重大と思うなら、文科相が「個人的には歓迎したい」と述べているのはおかしい。文科相の個人的意見などでなく、教育行政の長としてどう考え、対応していくべきかを述べるべきである。

 文明の利器の驚異的な進化に子ども達が飛びつくことを許しておきながら、大人たちがどう使うことが妥当であるかの対応を等閑にしておいたツケが目の前に現れていることに気づかなければなるまい。駄目なものはダメと言えない親、教員がいて社会がそれを容認すれば事態は深刻になるだけである。
 携帯電話は便利な道具である。問題になるのは使い方、使わせ方である。他人を傷つけるような使い方をしている子どもを躾られないなら、断固子どもに携帯電話を与えるべきではない。それが親としての最低限の責務である。

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