日々の抄

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 鴨鍋でも食べますか 

2009年1月10日(土)

 非正規雇用労働者の大量解雇、定額給付金を含め、国会での論議が連日報じられている。
 失職のため住居を失い寒さに耐えながら年末年始に迎えざるを得ない人々が多数いる中で、信じられない政治家の発言に驚かされた。坂本哲志総務政務官が5日行われた総務省の仕事始めのあいさつで、東京・日比谷公園の「年越し派遣村」について「本当にまじめに働こうとしている人たちが集まっているのかという気もした」「『学内を開放しろ』『学長出てこい』、そういう戦略のようなものが垣間見える気がした」とも語ったという。後に、「多くの皆様にご不快な面、迷惑をおかけした。発言を撤回させていただき、関係者に深くおわびを申し上げたい」「雇用状態が深刻かもしれないが、それじゃないような方もいるのではないかということが頭をよぎり、実態をよく把握しないまま発言した」「地方の雇用状態、経済的な疲弊をずっと見て感じてきた。地方をもっと活性化していく意味で職責を全うしたい」と釈明したが、職を失い、住むところも、きょうの食べ物にも事欠き前途を悲観しているひとが全国で増えつつある状況を踏まえず、もし自らがそのような状況だったらどうだろうか、と思いを巡らす想像力に欠けた暴言である。職を奪われた人々を見下した気持ちがあるからの発言であることを考えれば、謝罪して済む問題ではない。政治家としての資質と人格の問題である。撤回が必要な発言をする前に、事実を知ってから口を開くことを考えるといい。坂本氏の発言は顰蹙をかうだけで、ますます現政権の信頼を失墜させるだけである。

 一方、定額給付金について新しい動きが出てきた。当初、生活援助が趣旨だった定額給付が、景気刺激策のために変わったという。国民の多くが、貰えるなら貰いたいが、別の方法、例えば、就業支援、社会保障、学校耐震化などの使途が適切ではないかとの意見が多い。しかし政府は、何が何でも支給したいらしい。所得の多い人が給付金を受けることが「さもしいこと。矜持の問題」としていた首相は給付を受けるか否かを明確にしないまま、「国家議員は給付を受けるべし」との論調が主流になってきているのはいかなることなのか。首相が定額給付金を貰えば、その晩に高級バーにある数杯の飲み物に消えるだけだろう。
 そもそも「さもしい」とは「見苦しい。みすぼらしい。いやしい。卑劣である。心がきたない」の意味がある。国会議員は矜持を捨て、「さもしい」行為に走るのか。閣僚の中には、給付金で「焼肉を食べる」「鴨鍋やとんかつを食べる」などと、およそ庶民の感覚とはズレすぎた感覚でしらけた気持ちになる。
 昨日の国会の首相答弁では、給付の時期を当初、スピードが肝心、年度内には配布する、としてきたことが、自治体によっては年度を越える地域があるかもしれないと変わってきているのはどういうことか。

  いま、国民が望んでいるのは、景気刺激になりそうもない給付金を配布することではなく、給付金の原資を社会全体が安心し、将来につながる目的に向けることにあるのではないか。払った金額を、均等にばらまいたのではそうしたことにつながるまい。給付金を貰った一時だけ消費しても将来に展望が開けることにつながらないことは明白である。景気を刺激し、内需を拡大させたいなら、現行の消費税率を下げるなどの方策のほうが現実的である。いまだ、天下りが公認されていることを解消できず、語っていることが次々に変わっていくような政府を信用するわけに行かないし、呆れるばかりだ。
 
 いまほど、「政治の軽さ」を感じることはない。国民の生命と財産を守り、最低限の生活を保障することが行政の責務ではないのか。数万人にもおよぶと思われる職を失いかねない国民に対し、有効な施策を打ち出せない政府関係者は、疲弊した国民の生活を知ろうとする努力をすべしである。
  「改むるに悍ることなかれ」。定額給付金などという愚かしいことは早急に改めるべきである。

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