日々の抄

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 米国は変われるか

2009年1月26日(月)

 バラク・フセイン・オバマ氏が第44代大統領に就任した。
  就任式が行われた21日、連邦議会議事堂前を200万人余の人びとが集まったという。日本にはこれほどの人数が集まれる場所はないだろうし、首相が国民の意志に関係せずに選ばれるのに対し、国民が直接大統領を選んだことを祝す気持ちは分かるような気がする。だが、それとともに選んだ国民にも選んだ事への責任が伴うだろう。就任演説でどのようなことを語るのかは世界が注目するところだが、優秀なスピーチライターさんが書いたと聞く。自分だけで、自分の言葉で語らないのが米国の流儀らしい。演説内容は、米国が改革をするための意欲を感じさせるものの、美辞麗句が滔と書き並べられていた感は否めない。オバマ氏就任後の世論調査での支持率は68%に上ったという。

  就任演説では、米国という大国の責任者として、現実的な言葉を選んで語らなければならなくなったようだ。選挙運動中、何度も語った「変革=change」の言葉は、『For the world has changed, and we must change with it.』のみ。また、「Yes We Can」は一度も出てこなかった。
  特徴的なのは、私(I )はたった3回のみで、我々(We )が62回も出てきている。大統領という高い立場から語るのでなく、人種、社会的立場、性別、宗教に関係なく、「疲弊した米国をともに変革」しようする意気込みなのだろうか。

 もうひとつの特徴は、
『我々は、恐怖ではなく希望を、紛争と不一致ではなく目標の共有を選んだため、ここに集った』『我々が今日問うべきなのは、政府の大小ではなく、政府が機能するか否かだ』『我々の経済の成功はいつも、単に国内総生産の大きさだけでなく、我々の繁栄が広がる範囲や、機会を求めるすべての人に広げる能力によるものだった。慈善としてではなく、公共の利益に通じる最も確実な道としてだ』『前の世代は、ファシズムや共産主義と、ミサイルや戦車だけではなく、強固な同盟と強い信念を持って対峙したことを思い出してほしい』『彼らが我々の自由を守ってくれているからだけではなく、奉仕の精神、つまり、自分自身よりも大きい何かの中に進んで意味を見いだす意思を体現しているからだ』『米国人一人ひとりが自分自身と自国、世界に義務を負うことを認識し、その義務をいやいや引き受けるのではなく喜んで機会をとらえることだ』などのレトリックである。

 前政権までの総括、現状認識としての『我々が危機の最中にいることは、現在では明白だ。我々の国家は、暴力と憎悪の広範なネットワークを相手に戦争を行っている。我々の経済は、ひどく弱体化している。一部の者の強欲と無責任の結果であるだけでなく、厳しい決断をすることなく、国家を新しい時代に適合させそこなった我々全員の失敗の結果である。家は失われ、職はなくなり、ビジネスは台無しになった。我々の健康保険制度は金がかかり過ぎる。荒廃している我々の学校はあまりにも多い。さらに、我々のエネルギーの消費のしかたが、我々の敵を強化し、我々の惑星を脅かしているという証拠が、日増しに増え続けている。』はブッシュ氏への猛烈な皮肉だろうか。

 政権の方針を明らかにしているひとつは、『イスラム世界よ、我々は、相互理解と尊敬に基づき、新しく進む道を模索する。紛争の種をまいたり、自分たちの社会の問題を西洋のせいにしたりする世界各地の指導者よ、国民は、あなた方が何を築けるかで判断するのであって、何を破壊するかで判断するのではないことを知るべきだ。腐敗や欺き、さらには異議を唱える人を黙らせることで、権力にしがみつく者よ、あなたたちは、歴史の誤った側にいる。握ったこぶしを開くなら、我々は手をさしのべよう。』である。
 また、国民が政権に求めるだけではなく、 『我々に求められているのは、新しい責任の時代に入ることだ。米国人一人ひとりが自分自身と自国、世界に義務を負うことを認識し、その義務を・・・・これが市民の代償であり約束なのだ。これが我々の自信の源なのだ。神が、我々に定かではない運命を形作るよう命じているのだ』『これが我々の自由と信条の意味なのだ。なぜ、あらゆる人種や信条の男女、子どもたちが、この立派なモールの至る所で祝典のため集えるのか』とし、国民の努力と責任が伴わずして変革はなされないと強調。
 平和について、『我々は、責任ある形で、イラクをイラク国民に委ね、苦労しながらもアフガニスタンに平和を築き始めるだろう。古くからの友やかつての敵とともに、核の脅威を減らし、地球温暖化を食い止めるためたゆまず努力するだろう。』としている。
 イラクからの早期の撤退をすることを宣言している一方、アスガニスタンへのテコ入れも強調している。アスガニスタンでは、「米兵が3万人来ても、300万人来ても何も変わらない」と語る人もいる。かつてのベトナム戦の二の舞にならないことを望むのみである。

 一方で、多数の白リン弾の使用が疑われ、罪なき無抵抗な民間人を虐殺し、1000人近い死者を出しているガザ紛争については、「はっきり言います。アメリカはイスラエルの安全にコミットします。脅威に対するイスラエルの自衛権を支持します」としている。パレスチナ、イスラエルともに言い分があり、歴史的に長い紛争が一向に解決の方向に向かわないことに対し、一方の安全だけにコミットするのは納得しがたい。就任式で聖書に手を差しのべて宣誓したことはどういう意味があったのか考えさせられる。紛争を解決するために政治生命をかけて尽力することを望む。

  「地球温暖化を食い止める」ことを宣言した大統領の意気込みに反し、連邦議会議事堂前に集結した200万人余の人びとが残したゴミが100トンにもおよんだという。就任式というお祭りに興じ、足元を見ようとしない米国民の無責任さが現れているようで、白けた気持ちにさせられた。ゴミ箱を設置しなかったことは理由にならない。米国が世界の平和のためと称して、他国に残した多くの戦争の傷跡と重なって見えて仕方ないのは考えすぎだろうか。

 米国は、自国発の経済不安が世界を席巻し、諸外国に多大な経済的影響と迷惑をかけていることに心すべきである。エネルギーの大量消費をし続け、地球を汚してきた国として「グリーン・ニューディール」と称する施策を現実のものにするとともに、地球で最も多数保有している核兵器を放棄し、世界平和を実践することを望む。
 日本政府は、米国が、米国債の負担、国際貢献を日本に対しどのように望んでくるか戦々恐々としているらしいが、米国の新政権に対し、日本ができることを先に伝えるべきである。米国が不沈艦であったり、大量消費をする国として輸出を引き受けてくれる国として期待することを望むべきときではない。今こそ、米国の新政府の発足をいい機会として、独立国として日本がどのようにあるべきかを考え、新たな対米方針を構築する絶好の機会ではないか。

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