日々の抄

       目次    


 迷走の先が見えている

2009年2月16日(月)

 政治の迷走が連日報じられている。郵政国会から始まった格差の拡大、行政による無責任極まりない国民生活の逼迫、生活不安が語られて久しい。その根底を覆しかねない首相の思いつきとも思える発言、批判、修正という一国の責任者の揺れ動きを「麻生の法則」と揶揄される現状に国民は呆れるばかりであり、現政権に対する失望は臨界点に達している。

  首相は今月5日の衆議院予算委員会で、小泉内閣当時、郵政民営化には反対だったとした上で、今の郵政民営化の形を見直すべきところに来ていると述べ、「ひずみに対応するためには、改革をさらに進化させる必要がある。市場経済原理主義との決別なら小泉、竹中路線との決別である」と明言した。「小泉首相の下で賛成ではなかったんで、私の場合は。たった一つだけ言わせてください。みんな勘違いしているが(総務相だったが)郵政民営化担当相ではなかった」「郵政民営化担当相は竹中平蔵氏だったことを忘れないでほしい。自分は総務相だっただけで、ぬれぎぬをかぶせられると、おれも甚だ面白くない」と語り、小泉元首相が郵政解散を行った平成17年当時、民営化に「賛成ではなかった」と説明した。
 これに対する批判が続出するや、5日夜、首相官邸で記者団に「(政府の)郵政民営化委員会の答えを受け取るのがわたしの立場だ。(見直し)内容について、わたしがこうしろああしろと言う立場にはない」と釈明、予算委での発言を修正している。 
 また、首相は「最初は間違いなく賛成ではなかったが、総務相就任後2年間自分なりに勉強して、長期的には民営化した方がいいと最終的に思った」と釈明。民営化に反対だったのは03年9月の総務相就任時で、その後、民営化への考えを変え、05年8月の郵政解散時は賛成だったとの論法で乗り切ろうという言い訳が通用すると考えたらしい。だが、総務相当時、民営化に消極的な姿勢を示す一方、積極的に反対論を展開したこともなく、当時の閣僚の一人は「麻生氏が閣議で民営化について発言した記憶はない」と証言している。

 首相は「ぬれぎぬをかぶせる」と語っているが、「ぬれぎぬ」は「着る」のであって「かぶせる」とは言わない。「ぬれぎぬ」は「無実の罪」を言うのだから、郵政民営化は「罪のあること」になるのではないか。与党にとって、郵政民営化の否定は、衆院で3分の2の圧倒的多数を確保した郵政解散自体を否定することになる。その「数の力」で衆院で法案を再可決し、成立させることの正当性も失うことになり、与党の存続に関わりかねない重大な発言である。
 その一方で、「私はあの時、その4分社化、3分社化入ったというのは、法案を知っていますから、内容は知っていましたよ。知っていましたけど、国民が感じていたのは民営化か、そうではないかだけだったと思います。内容を詳しく知っておられる方はほとんどおられなかったと思います。」などと語り、さもさも、「内容を知らないで郵政民営化に賛成した国民がごちゃごちゃ言う資格などない」と言わんばかりの国民を小馬鹿にした発言には呆れるばかりである。首相は政界に初めて出ようとしたとき、街頭での第一声が「下々の皆さん!」だったというから、高い目目線で国民を見ている点では首尾一貫して「ぶれ」などないのだろう。

 郵政民営化をめぐり、首相は昨年11月、政府が保有する日本郵政グループの株式売却について「凍結した方がいい」と発言したことに対し、党内の一部から批判を浴びると、その翌日には「一番安くなっている時に何で売るんだという話をしただけ」と撤回した経緯がある。
 こうした首相の発言に対し、政調会長は「首相はちょっと口が滑った。党としては民営化を後退させることはできないという立場だ」と語り、総務会長は「皆で選んだ首相だ。替えられない。替えるタマもいない」と正直に語っているのは哀れである。
 
 郵政民営化を強行した小泉氏は首相の一連の発言について「怒るというより笑ってしまうくらい、ただただあきれる」などと述べ、定額給付金などの財源の裏付けとなる第2次補正予算の関連法案について「衆議院で3分の2を使ってでも成立させなければならない法案だとは思っていない」と述べ、物議を醸している。こうした動きに、鳴りを潜めていたチルドレン達は勢いづいているらしいが、何代も前の首相、それも間もなくその職を去ることを明言している人物の発言で政治の流れが変わるならおかしな話しであり、政権が限りなく瀕死の状態であることは見えている。首相の座を去った何人かが、頻繁に発言を繰り返し、自らの影響力を誇示しているようだが、迷惑千万である。

 首相が政治生命をかけているらしい、「定額給付金」を配布するための第2次補正予算の関連法案は、衆院で3分の2条項を使わないと通らない情勢だが、首相が07年に自身のホームページで「予算関連法案は3分の2条項になじまない」としていた主張への批判にも、「国民生活に直結するような予算関連法案は例外」と発言している。「定額給付金」が「生活支援」からいつの間にか「景気刺激策」に変えられたり、「定額給付金」を貰うの、貰わないのと二転三転し、どこまで、「言葉が」軽く浮ついていることか。「語るに落ちた」政治に期待を寄せる国民は少なくなる一方だろう。

 だが、与党内の内輪もめなど知ったことではない。年金問題はその後どうなったのか。いつ「全員にお支払いする」のか。後期高齢者医療制度はどう改善されるのか、救急患者が医療機関の「たらいまわし、受け入れ拒否」で沢山の国民の命が失われていることをどのように改善していくのか。官僚の「渡り」が一向になくならないことにどう対策を立てていくのか。なぜ根絶できないのか。政令を作っても、省内に続く暗黙の「渡りルート」を根絶しない限り、度重なる渡りの成果として、何億円もの血税から出費している甘い汁を特定のエリートさんが手にしている不条理をいつ根絶するのか。国民生活に直結する問題はあまりに山積しすぎている。

 首相は、景気の現状について「他国に比べれば傷は浅い」、「きちっとした対策をとれば、今回の不況が大騒ぎするようなものになるとはとても思えない」、「トヨタ・日産・ホンダがつぶれる気配はない」などとしている。大企業がつぶれるのは社会が崩壊する時ではないか。それ以前に、この国を支えてきた数限りない善良な人びとが従事している中小企業の崩壊が毎日のように起こり、生活に貧している人びとが報じられていることに、政治がなぜ応えようとしないのか。

 首相の本心が「市場経済原理主義と決別し、小泉、竹中路線との決別」にあるなら、一日も早く衆院を解散し、民意を問うべきではないか。百年に一度の経済的危機と言うは易い。現政権になってから、政治の混乱はあるものの、何も社会が変わったとは思えない。

<前                            目次                            次>