日々の抄

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  またあの日がやってきた

2005年8月11日(木)

ことしも広島、長崎の原爆投下の日がやってきた。
 被爆60年のことし、すでに被爆生存者の平均年齢が73.1歳になり 、惨禍を体験した世代が記憶を語り継ぐ機会はきわめて少なくなってきている。 広島では、この1年間に死亡、または死亡が確認された被爆者5375人の名簿2冊が同慰霊碑下の奉安箱に納められたが、原爆死没者名簿は計85冊、死没者数は24万2437人に上る。

  広島の平和宣言は被爆から2年後の昭和22年(1947年)第1回平和祭から始まっているが、途中昭和25年だけ朝鮮戦争勃発のため平和祭が中止になり、翌昭和26年には平和宣言に代わって市長あいさつが行われていた。昭和27年の平和宣言はわずか304文字と短いものであったが、翌昭和30年になってはじめて「6千人の原爆障害者は、今なお、必要な医療も満足に受けることができず、生活苦と戦いつづけており、更に、9万8千人にのぼる被爆生存者は、絶えず原爆障害発病の不安にさらされている」と、被爆者の窮状を訴えた。昭和33年「われわれは更に声を大にして世論を喚起し、核兵器の製造と使用を全面的に禁止する国際協定の成立に努力を傾注し、もって人類を滅亡の危機から救わなければならない」と反核を明確に訴えた。翌昭和34年には「すべての民族、すべての国家が小異をすてて大同につき、一切の戦争を排除し、原水爆の全面禁止をなし遂げなければならないという」と力強く訴えてきた。1981年から現在に至るまで「非核三原則」を訴えてきたが、核兵器はいまだなくなってない。核弾頭保有数は、米国10600、ロシア18000、中国402、フランス348、英国185 (SIPRI Yaer Book 2003による)であり、現在ではこの他にインド、パキスタン、北朝鮮は?である。最も核弾頭を保有している米国が、他国に非核化を迫っているのは、大国の奢り以外の何物でもない。彼らにはその資格はない。唯一の被爆国・日本こそが世界に非核を国として訴え続けなければならない。

  長崎市の平和公園で開催された長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典で、この一年で新たに亡くなった2707人が長崎原爆死没者名簿に納められた。この59年の間に13万4592人が亡くなっている。 長崎市長は、平和宣言で「世界の超大国が、核兵器に依存する姿勢を変えない限り、他の国の核拡散を阻止できないことは明らか」とアメリカの核政策を批判。日本政府には「憲法の平和理念を守り、被爆国として、核兵器を「持たない」「作らない」「持ち込ませない」とする非核三原則を、直ちに法制化するべき」、と訴えた。これが被爆地からの切実な願いである。また、渡日治療中の米国、韓国、ブラジルなどの在外被爆者や遺族らが10年ぶりに、核保有国のロシアなど過去最多の32カ国の駐日大使らが出席したことは特記すべきことである。広島、長崎での若者の被爆を語り継ぐ活動への参加は心強いものを感じた。

  この時期になると毎年、連日のように戦争の記録が報道される。被爆60年のことしは例年より多かったかもしれない。その中で「戦後60年特別企画ヒロシマ」という番組を観た。原爆を投下した米国のB29爆撃機エノラゲイに伴って、ヒロシマ上空から原爆投下をB29の小窓から一部始終を撮影した科学者が、はじめてヒロシマを訪れた。彼の名はハロルド・アグニュー(84歳)。マンハッタン計画に参画し、原爆投下を計画、原爆投下を撮影した人物である。彼の、ヒロシマでの二人の被爆者との対話、原爆資料館での感想に少なからぬ驚きと怒りを覚えた。

 通常の爆弾と比較し、「こっち(原爆)の方が簡単だった。たった一発だからね。毎日々空爆するより・・・・」と言う。原爆投下直後の写真を目の前にして、「(撮影者は)撮影するのが辛かったんだね」、被爆の様子を再現した人々の惨状の前では「ひどい話しだ」。原爆で多くの女、子供が犠牲になったことについては「戦争中は必ず’罪なき民間人’と言うが、それは違う。誰もが戦争に貢献していた。罪なき人はいない」と言う。
  最後に「非常に有意義な展示(wonderful exhibit)だと思う」と記帳した。
  二人の被爆体験者との対話で「原爆投下後の姿を想像したか」の問には「東京空襲と同じだ。時間が短かっただけで・・・・。誰かを非難したいなら、あんなことをした日本軍を非難するべきだ」、「人類が作った大量虐殺兵器ということを、科学者は知っていると思うが・・・」には「全部ひどいこと。何もかもが悲惨だった。銃弾で死のうと、爆弾で死のうと原爆で死のうと、死ぬときとは死ぬんです。お二人は生き残っただけ幸せだ。死んだ人も大勢いるのだから・・・」。

 「昨日からヒロシマの様子を見てきて本当の原爆の悲惨さが分かっていない。生きながらえている人も決して幸せではない。亡くなった人は大変だった。申し訳ない気持ちがあれば・・・」の被爆者の言葉には、語気を強めて「思わない。真珠湾が決定的だった。あまりにも多くの友人を失った。謝罪はしない」と反論。「被爆は、今も人々を殺し続けている。他の兵器とは違う」に対して「恐ろしい兵器の存在が逆に多くの戦争を抑止する可能性もある。今後政府が戦争をしないことを望むだけだ。どんな場合でも核が使われないことを望む。無責任な行為だから・・・・」
  被爆者から「使っていけない兵器が使われたことを謝ってもらわなければ、死んだ人々は救われない」の問いかけには、更に語気を強め、「私は謝らない。彼が謝るべきだ。こんな言葉がある。真珠湾を忘れるな・・・」で終わった。

   最近の調査によると、原爆投下を支持している米国の男性は73%、女性は42%だそうだ。原爆投下が多くの日本人を救ったと考えているという。核兵器が他の兵器と異なって、人間を殺戮するだけでなく、地球も破壊する兵器だということを理解できないのだろうか。爆弾と核兵器が殺戮の時間が違うだけだという考えの愚かさに気づかない人々は、人類に対して傲慢である。地球は大国のためにだけあるのではない。

  被害者の心情を、加害者がくみ取るのは難しいことなのか。同様にして、日本軍が他国民に対して行ったことについて通じるものはないか。

  こうした被爆、戦争の惨禍を克明に残した記録を観ることは辛い。できれば目を逸らしたい気持ちだが、悲惨な映像を毎年、この時期に勇気を出して観ることが、戦禍に散った人々への手向けになると思っている。観ることは辛いが、命を散らしていった人々の辛さ、悲しさ、苦しみはその何倍であったかわからない。レクイエムを奏でるのでなく、奏でなくてもすむようにしていくことが、残された者の責務である。日本が外国で武力を行使することが可能になるような憲法の改正など断じて許されることではない。戦争はなくならいよ、と言う人は過去の記憶を忘れ、自分の家族、友人が目の前で血しぶきを上げて悶絶しながら命を絶つ姿を想像してみるといい。自分の命が、理不尽な戦争で絶たれたときの家族の痛みを思うといい。自分だけは例外だと思うのは滑稽なことだ。

「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」
言葉では簡単だが、この言葉を現実のものにし実行していくことは容易なことではない。

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