日々の抄

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  20年前も暑い日だった

2005年8月12日(金)

  また航空機事故が起こった。8月11日に成田空港で、日航機のパネルが脱落し、後続の着陸機がパンクしたという。最近、航空機の事故が多いことに危惧しているのは私だけだろうか。ことしになってから起こった事故(日航だけで20回だという)を書き出してみると、以下の通りである。

 2005/01/22(土)午後9時16分頃:
新千歳発羽田行き日本航空ジャパン1036便ボーイング777-200(JA8979)が、管制官の離陸許可のないまま離陸滑走を開始したため、管制官に停止を命じられ、緊急停止。乗員10名、乗客201名、計211名は全員無事。
 2005/03/30(水)午前1時10分過ぎ:
日本航空インターナショナルのボーイング747-300が、羽田空港で牽引車に牽引されて誘導路を移動中に誘導路脇に設置された不法侵入防止用の監視カメラの支柱に左主翼を接触させ、左主翼は激しく損傷。監視カメラは、国土交通省東京航空局が3月19日に設置したもので、誘導路中心線から25mしか離れていなかった。
  2005/04/05(火)午後4時30分:
羽田発岡山行き日本航空ジャパン1685便MD-90が、岡山空港着陸後に垂直尾翼の部品の一部が破損して欠けているのが発見された。乗員乗客152名は全員無事であった。離陸前の点検では異常はなかったため、飛行中に脱落したものと見られる。
 2005/04/07(木)午後1時25分:
アメリカ・アラスカ州アンカレッジ発成田行き日本貨物航空1便ボーイング747-200Fが、成田空港に着陸の際に第1エンジン下面を滑走路に接触させると共に滑走路灯を破損。乗員4名は全員無事。
 2005/04/22(金)午後5時6分:
小松発仙台行き全日空(運航はエアーニッポン)361便ボーイング737-500が、小松空港で管制官の許可なく離陸滑走を開始し、管制官の指示で緊急停止し。乗員乗客113名は全員無事。
 2005/04/23(土)午後6時30分:
中国・上海発アメリカ・カリフォルニア州サンフランシスコ行きユナイテッド航空858便ボーイング747-400 が、太平洋上空高度約10000mを巡航中に客室内で焦げ臭いにおいがしたため、成田空港に緊急着陸を要請し、約4時間後の午後10時20分頃成田空港に緊急着陸。乗員乗客計363名は全員無事。同機に火災が発生した形跡はなく、客室後部の電気配線付近から焦げたにおいがしたことから電気系統のトラブルと見られる。
 2005/04/29(金)21時39分:
東京国際空港の閉鎖中である滑走路34Lに着陸した。当該着陸は管制指示に従って行われた。搭乗者:乗務員10名、乗客41名、計51名。死傷者:なし
 2005/05/01(日) 午前8時40分:
福岡発宮崎行き日本航空ジャパン3623便MD-81が、宮崎空港の北約90kmの上空高度約5000mを飛行中に右主翼端後部に被雷。被雷後も同機に大きな異常は見られず、そのまま定刻どおり午前9時頃、宮崎空港に着陸。乗員乗客計32名は全員無事。着陸後の点検では、主翼表面の強化プラスチックが約25cmにわたってはがれ、一部のリベットが浮き上がっていたのが発見された。
 2005/05/06(金) 午前7時17分:
アメリカ・アラスカ州アンカレッジ発成田行き日本貨物航空115便ボーイング747-200Fが、着陸後点検中に第 1エンジンのフューズピンアクセスパネル(アルミ製、1辺約30cmでほぼ三角形、重さ約200g)が脱落しているのが発見された。
乗員3名は全員無事であった。飛行中に脱落したものと見られる。
 2005/05/07(土) :
新千歳空港の南東約370キロメートル、高度約11,000メートル。5月7日23時14分(日本時間)ニューヨークを離陸し飛行中、11時41分ころ上記場所付近において客室与圧の低下を示す計器表示があり、乗客用酸素マスクが自動落下した。当該機は緊急降下をした後、航空管制上の優先権を要請の上、目的地を新千歳空港に変更し、12時51分同空港に着陸。
 2005/06/15(水):
東京国際空港A滑走路上 09時59分東京国際空港の滑走路34Lに着陸した際に、前脚のタイヤ2本がはずれ、滑走路上にて停止した。乗務員12名、乗客210名、計122名。負傷者:首の痛みを訴えた乗客1名診察後帰宅。吐き気を訴えた1名、首の痛みを訴えた1名診療を受けずに帰宅。機体は前脚2本のタイヤがパンク。前脚に損傷。
 2005/07/04(月):
北海道新千歳空港の南東約20キロメートル、高度約900メートル。10時51分新千歳空港を離陸し上昇中、10時54分ころ(日本時間、以下同じ)上記場所付近において第3エンジンの火災を示す計器表示があったため当該エンジンを停止し、消化剤を散布した後、航空交通管制上の優先権を要請のうえ引き返し、12時09分同空港に着陸した。
 2005/08/02(火):
羽田管制ダウン 余波、伊丹・関空にも 離陸遅れ相次ぐ
 2005/08/10(水):
「航空機トラブル、日航グループが55%(1〜6月国内発着分)経営統合後増える。広報誌から「御巣鷹」消える」の報道あり(毎日新聞)。
 これらの事故で負傷者が出ているものの死者は出てない。しかし、少しでもタイミングが違えば多数の犠牲者が出ても不思議ではない。偶々運がよかっただけかもしれない。


 きょうは日航ジャンボ123便が、群馬県上野村に墜落。520人が亡くなるという悲惨な事故から20年目である。「御巣鷹の尾根」への慰霊登山をする人々が引きも切らない。航空会社の責任者は「こうした事故が2度と起こらないように・・・・・・」というが、上記の様に限りなく悲劇になりかねない事故が起こっているのはどういうことなのか。航空機が「命」を運んでいるという意識が、行動に表れてないとしか考えようがない。航空機会社の最大の商品は「安全」である。乗客、乗員の「命」の裏には、彼らの家族、友人など大勢の人々の幸せも伴っていることも忘れることはできまい。もし、合理化が、「安全」を蔑ろにしていれば、企業としては失格だろう。

 日航ジャンボ123便が墜落した日の状況は、はっきりと記憶に残っている。事故後数日の間、我が家の上空をヘリコプター、飛行機がひっきりなしに夜遅くまで飛んでいた。直接事故に関係していなかった人にも不安が伝わってきた。バタバタとヘリコプターが通り過ぎると家のガラスが揺れた。大きな音を聞いた犬が空に向かって吠えた。遭難した人の家族、知人、救援にあたった関係者の疲労、悲しみ、苦悩が時間を追うごとに伝わってきた。地元の学校の体育館は遺体の安置所になったまま、新学期を迎えた。あの年は私の母が病死した年だったから忘れることはない。

 交通機関、医療などのように仕事が人の命と直接つながっているものもあるが、他方で、建材は命と関係あるまいと思っていても、実は石綿が数十年の後に命を奪う時限爆弾のようである場合もある。すべての仕事、行為が命に関係していると考えた方がよさそうだ。自分が意味のないことで命を失いたくないと考えるなら、自分がやっていること、仕事が命とどのように関わっているか考えてみなければなるまい。人がひとの中で生きているのだから当然のことだろう。航空関係者は「勇気ある、臆病者」であってほしい。

 不安を抱えたままで、「やっぱり飛行機事故で死傷者が出てしまった」と ならないことを祈るのみだ。現状は限りなく危ない感じがしてならない。きょうは、航空関係者だけに、「しっかりしろよ」と評論するだけではなく、「自分はどうなんだ」と考える機会とすべしである。

  日本人は、いまだ「経験に学ぶ」ことができてないようだ。

追記
この文章を書き終えた12日の夜、再び航空機事故が起こった。
「12日午後7時50分ごろ、福岡空港発ホノルル行きJALウェイズ58便(DC10―40型機、乗員乗客計229人)が離陸直後、左翼の第1エンジンから炎を噴き出し、同8時20分ごろ福岡空港に引き返して着陸。乗員乗客にけがはなかったものの、航路の下にあたる福岡市東区の住宅地に、同機の部品の金属片 が数十個落下。福岡県警によると、落下した金属片が当たったり、熱い金属片に触ったりした5人が病院で診療を受けた」というものであった。サッカーをしていた少年の肩を金属片がかすめて落下したという。
 日航関係者は「安全をお誓いしたばかりなのに・・・・」とコメントしていた。安全のためのコストダウンをしていないのか。 大きな不幸が目の前に迫ってきている気がしてならない。

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