日々の抄

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 人情論だけではすまない

2009年4月18日(土)

 フィリピン人カルデロンさんが不法入国で国外退去を命じられ帰国した。中学2年の娘のり子さんは特別在留許可を受け日本に残ることになった。
  13歳の娘を一人残して、両親はさぞかし心配なことだろう。のり子さんは、おばの家で生活するという。両親の離日の際、のり子さんは、「いつも『お帰り』と言ってくれる両親がいなくなり、お母さんの料理も食べられない。見送りはつらい」と漏らし、父親アランさんは、「つらい時に応援してもらい本当にありがとうございました。いつか三人で日本で暮らしたい」と声を詰まらせ頭を下げたという。
  母親サラさんは92年4月1日他人名義の旅券で不法入国、父親アランさんも93年5月12日他人名義の旅券で不法入国し、95年7月4日のり子さんが誕生した。いままで、退去強制命令、仮放免を繰り返し現在に至っている。

 両親を帰国させた政府の対応についてアムネスティ・インターナショナル日本では「子供に関するあらゆる措置は子供の最善の利益が主として考慮されなければならないとする、子どもの権利条約に反する」としている。一方、法務省は「在留特別許可が厳密だったら、長女の許可すら認められなかったかもしれない」としている。在留特別許可が出されている人の大半は日本人と結婚した場合などという。許可にあたっての基準はなく、法相の裁量に委ねられるが、法務省は06年にガイドラインを策定。許可する積極要素として、日本人の子などのほか、日本での治療が必要な難病、帰国先の生活が困難な場合を挙げられている。
 カルデロンさんの父親は日本でまじめに働いているが、法務省は両親が偽造旅券で入国した事実を重視。政情不安定な国と違い、帰国しやすいフィリピン国籍であることも考慮。本来、退去強制で帰国した場合、5年間は再入国できないが、子供に会うための短期滞在であれば、帰国後1年たたなくても、両親に上陸特別許可を出されるという。

 カルデロンさんは、日本の社会に馴染み、まじめに働き納税もし、のり子さんは日本で生まれ、日本語しか話せないという観点から、人情論で考えれば、在留を認めて然るべきである。母親は「娘はひとりではなにもできないから、親も在留を続けたい」としているが、不法入国していることを考えれば、いつか国外退去を命ぜられる可能性は自明。なぜひとりでやっていけるように教えてこなかったのかという素朴な疑問は残る。法律的には国外退去は正当な判断だと言わざるを得まい。
 人情論が罷り通れば、法を犯しての不法入国を奨励しかねない。不法入国に対して、人情論がでてくることに疑問が呈されても不思議ではない。問題は、のり子さんが13歳になるまで、なぜ両親の国外退去が行使されるまでの時間を要したのか、である。そもそも、在留特別許可が法相の判断に委ねられていることは危うさを感じる。 「納税歴や犯罪歴など一定の条件を満たせば在留資格を与えるよう法改正すべきだ」とする考え方も一理あるが、不法入国の責任はどのようにとるべきなのか。

 2年前、高崎市に在住していたイラン人の両親が強制退去させられた。最高裁で強制退去処分が確定した外国人として、初めて在留特別許可を得て長女だけが残り、短大に入学した。彼女は今春卒業し、保育士として働くことができる「定住者」への在留資格に変更。当面は1年ごとに許可申請をすることになるという。のり子さんも同じ道を通るのだろうか。

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