日々の抄

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  とうとう終わりだ。でも・・・・

2003年4月4日(金)    ジャカルタに住む若者への便り

とうとう3月31日をもって定年退職になってしまいました。

 君の母校に9年間。教職33年間でした。君たちの学年の後に、再び学年主任として卒業生を送って終わりでした。これで現役が終わりだ、と思って校内のあちこちを撮影してまわりました。整然としていながらガランとした静かな教室に入り、教壇に立って、誰もいない机に向かって生徒の顔を思い出していました。ここでの時間はこれでストップと思って時計も撮っておきました。生徒のいない廊下の端に立ってみると、これほど長かったのかと感じました。3階から校庭を眺めてみました。取り壊されていくらも経ってない第2体育館の跡地には、でこぼこした地面だけが見えていました。

 君と同級の高校3年間を第2体育館で卓球に打ち込んでいた、I 君が、体育館撤去の時にたまたま来校し一緒にその風景を眺める機会がありました。そのとき彼が声を立てることなく涙をはらはらと流していたことを思い出しました。「これで終わりだ」と彼は呟いて寂しそうにして帰りました。広くない校庭にはいつも賑わっている運動部員の練習風景はありませんでしたが、校舎の真下に3人ほどの生徒の姿が見えました。楽しそうに花壇の手入れをしていました。彼らはまだここにいられていいな、などと思ってしまいました。最後に自分が使っていた何も置かれてない机と、すべて捺印の終わった出勤簿を撮っておきました。

 卒業生も暖かく細かいところまで気を遣ってくれ感謝でした。2月7日の最後の授業は私にとって忘れることのできない時間だった。生徒からの「最後に何か語って下さい」というリクエストは嬉しかった。多くの生徒が教室と廊下で人の輪を作ってくれたこと、恥ずかしさと嬉しさの中で、不思議なことに「これで終わってたまるか」と感じていました。勤務終了最後の時間も、数人の卒業生が見送ってくれて(偶然君たちの学年の生徒会長をしていたB君が来た。彼はこの春から新聞社に就職とか)、嬉しかったものの、さすがに帰りの車の中では涙が止まりませんでした。

  ある人の言うように、「幸福はまどろみ、喪失は目覚め」です。

 私は生徒といっしょにいられるという、長い微睡みの中にいたようです。職を去って、その大きさ大切さを実感していますが、やり残したことがある悔いは少しもありません。4月から、週1回大学で、週3回高校の非常勤として講義します。いままでどおり、思い切り生徒をいじめて鍛えたいと思っています。 

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