日々の抄

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 科学的なものへの過信

2009年6月6日(土)

 栃木県足利市で1990年、4歳女児が殺害されたいわゆる「足利事件」で、東京高検は4日、無期懲役が確定し服役中の菅家利和受刑者を1991年12月の逮捕から17年半ぶりに釈放した。再審開始決定前の釈放は裁判史上初という。

 足利女児殺害事件の経緯の概要は以下のようだった。
1990年5月 栃木県足利市内で女児が行方不明。翌日、渡良瀬川河川敷で遺体が見つかる
1991年11月 警察庁科学警察研究所のDNA型鑑定で、菅家受刑者のものと「一致」との結論
同12月 菅家受刑者を逮捕・起訴
1992年2月 公判で菅家受刑者が起訴事実を認めるも、同12月 菅家受刑者が被告人質問で一転、否認。
1993年7月 宇都宮地裁が求刑通り無期懲役判決
1996年5月 東京高裁が菅家受刑者の控訴棄却
2000年7月 最高裁が上告棄却、無期懲役判決が確定
2002年12月 菅家受刑者と弁護団が独自のDNA型鑑定を新証拠に宇都宮地裁へ再審請求
2008年2月 宇都宮地裁が再審請求を棄却。弁護団が東京高裁に即時抗告。同12月 東京高裁がDNA型の再鑑定を決定
2009年5月 再鑑定の結果「不一致」との結論
同年6月 東京高検が「無罪の可能性が高い」として菅家さんの釈放を宇都宮地検に指示

 足利事件が提起した問題は以下のようである。
(1) DNA鑑定が日本の裁判史上初めて根拠とされた事件だが、事件発生当時の「DNA鑑定の確かさ」は100〜150人にひとり。現在のそれは1020 人にひとり、つまり殆ど100%に近い信頼性があるという。初めてDNA鑑定が根拠とされるについて、一審宇都宮地裁、二審東京高裁で当時のDNA鑑定が信頼できるとし、当時のDNA鑑定に疑問を持った弁護団が1997から再鑑定を求められていながら、上告審の最高裁も再審請求審の宇都宮地裁も再鑑定を何故してこなかったのか。
(2) DNA鑑定の信頼性が、科学技術の進歩から高まっており、もし再鑑定をした結果、当初の鑑定が誤りなら、事件を立証する根拠が「自白」意外にないことへ疑いを何故もてなかったのか。

 東京高裁の即時抗告審に鑑定書を提出していた鑑定書によると、『殺害された4歳女児の着衣に付着していた体液と菅家受刑者のDNA型が一致しないとする結論を導いた判定で使った資料の量など、詳細なデータが含まれている。有罪判決の証拠となった当時の科学警察研究所の鑑定について「あいまいで鑑定に到底耐えられない」』としている。
 捜査に当たった元幹部は「すべてのあらゆる捜査をしてできることは尽くした」「その思いは変わらないし、後悔もしていない」「当時のDNA鑑定は適正に行われたものと思っている」「信じられない」「彼以外に犯人はあり得ない。彼が犯人ではないと思ったことは一度もない」と語っている。逮捕の決め手となったDNA型の「一致」が、再鑑定では一転して「不一致」となったことについて、「自白があり、疑う要素はない」としている。科学的とされるDNA鑑定への盲進が、ひとりの男性の17年余の自由を奪ったことに対する反省と謝罪の気持ち、罪なき人を犯罪者に仕立て、人生を台なしにしたことへの謙遜さは微塵も感じられない。
 当時のDNA鑑定の信頼性が低かったために、「捜査をしてできることは尽くした」ことに誤りがあったことは率直に認めるべきではないか。関係者のメンツを保とうとする意固地さは不正義である。

 自白偏重による冤罪はいままでも沢山あった。古くは吉田がんくつ王事件(逮捕後50年後に雪冤)、加藤老事件(逮捕後62年目に雪冤)、また、松川、八海事件、弘前大教授夫人殺人事件、徳島ラジオ商殺人事件(死後再審で雪冤)があった。免田、財田川、松山、島田の4事件では相次いで死刑囚の再審関始が認められ、無罪判決を受け、富山の強姦事件、鹿児島の選挙違反事件も然りである。警察、検察、裁判所はそれらの誤りから何も学んでこなかったのか。
 自白の強要を含む公正さを保つための可視化が叫ばれているが、首相は「取り調べの可視化をすれば冤罪が減ると思えない」と語っているが、可視化すると都合の悪いことがあるのだろうか。

 DNA鑑定を根拠に判決が下された事件が173件もあり、その中には死刑が執行されたものもあるという。これらの事件の再吟味は早急かつ適切に行わなければならない。再鑑定の結果、更なる冤罪が明らかにならないとは限らない恐ろしさを感じる。
 裁判員制度がはじまるに当たり、「科学的」とされることを根拠に裁くことの危うさを感じないわけに行かない。それを避けることのできる最大の知恵は、「冤罪」かもしれないという素朴な疑いをもつ謙遜さである。

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