日々の抄

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 人間諦めが肝心だ

2009年7月3日(金)

 この一週間の政権の迷走ぶりは目を覆いたいばかりで、権力に連綿と固執する姿は哀れさをも感じる。人気低迷を挽回するためか、内閣改造、党内人事改造を企てたものの、頓挫した。とはいえ、首相は人事について29日に「現時点では考えてない」としながら、翌30日には「然るべき時に、然るべき人を、と前から考えていた」と語り、更にその翌1日には「私の口から党役員人事をやるなどとたったの一言も聞いたことのある人はいない」などとし、結果的には、モウロウ会見した大臣と郵政会社問題で席の空いた大臣の補充をしただけにとどまった。なぜ大臣が空席になった段階ですぐに後任を任命しなかったのか不思議極まりない限りである。

 もっとも不可解なのはマスコミ人気が高い宮崎県知事を擁立しようと試みたことだが、正に「大山鳴動して鼠一匹」であった。もっとも一連の騒動の内容は大山とはいえず、小山鳴動・・・の感が強い。宮崎県知事が国政に進出したいと以前も意思表示していたが、自民党の人気挽回のための人気取りパンダとして擁立しようと試みたのだろうが、自分のマニフェストを丸飲みせよ、総裁選候補者として(20人の推薦者なしの特別待遇)認めよなどと、荒唐無稽な対応をした。比例代表の第一位にするからとも伝えられているが、タレント業から転身してから、いまだ県知事職任期の半分も過ぎておらず、国政に進出、それも総裁選云々は、まともな対応とは思えない。知事職は代議士へ止まり木だったのか。人気があるからといって彼をいきなり行政担当大臣に迎えなければならないほど与党は人材不足なのか。そもそも、総裁選に出るということは、一地方県の知事と異なり、外交、経済、福祉などをどう考えているかの見識を明らかにし、然るべき実績を持っていることが最低限の条件ではないか。国の進むべき道に関わる仕事と地鶏のセールスマンとは比較できまい。支持者からの「泥船に乗るようなことをなぜするのか」との問に、「私が応援すれば党は負けない」などと大言壮語している姿を見ていると、思い上がりも甚だしい腹立たしさを覚える。「宮崎をどぎゃんとせにゃ・・・」として当選させてくれた県民への責任をどう考えているのか。国政進出は、少なくとも知事職を1期を終えてからにするべきである。自分のマニフェストが採用されないとみると、その20%だけでいいと値切る無節操さは、政治家としての値打ちを下げるだけである。

 自民党は人気者頼りで失地回復できると思っているなら、思い違いもめでたい限りである。仕事、住居も失い将来への希望を持てない国民を多くしてきた責任をどう感じているのか。真面目に収めてきた年金が役人の怠慢で自分のものにならない不条理をどう説明できるのか。以前、「年金統合」などということが語られた。消えた年金はその後どうなっているのか。その一方で、「年金積立金9.6兆円の運用損」が伝えられている。現在50歳に満たない国民の年金受給開始は65歳である。60歳からの5年間の生活がどうしようとしているのか。それだけでも大きな社会不安が待っている。それらに応えられないなら、下野するしかあるまい。
 一連の醜態を、なめるように報道し続けているマスコミの姿勢には呆れる。政治の変を、まるで芸能界のゴシップを追うようにして垂れ流している報道の仕方には腹立たしささえ覚える。ある場面では、社会正義を伝えるのがマスコミであるかの如き報道をしている一方で、場合によっては政権に阿ねてうまく利用されかねない危険を自覚すべきである。

 末期の政権の醜態を見せつけられると、我が国の将来に明るい見通しを感じることができない。今求められているのは「潔さ」である。人間諦めが肝心だ。

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