日々の抄

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 賽は投げられた

2009年8月2日(日)

 この一月間、マスコミで顔を知られたタレント知事の衆院選擁立の失敗、総裁の更迭に絡むいずれも茶番としか見えない姿を見せられ辟易であった。都議会選挙での与党の惨敗から、総裁おろし、独自のマニフェストも辞さず新党の設立も騒がれていた騒動が、総裁の涙目の陳謝ひとつで、一件落着した騒動はいったい何だったのか。
 いずれにせよ、「貨物検査特措法案、国家公務員改正案、政治資金規正法改正案、母子加算復活法案、肝炎対策法案」が廃案になったことの責任を国会は感じるべきである。

 31日になって各党のマニフェストが出揃った。首相は21日、衆院解散を受け、今回の衆院選を「安心社会実現選挙」と命名し、「国民に問うのは政党の責任力。景気回復の基調を確かにするための経済運営を任せてもらえるかを問うために解散を決断した」と政党の責任能力を問うことを訴えている。そのマニフェスト発表の冒頭、「私が訴えたいことは、責任力です。公約には実現可能な裏付けと一貫性が必要だと存じます。自民党には、これをきちんとお示し、実現する力があります。他党との違いは責任力です」と胸を張って語った。今まで無責任だったことの反省なのか。
 二代前の首相は消えた年金問題で「最後のおひとりまでお支払いします」としてきた。また景気回復が最大の課題とし、成果が上がっているとしているが、有効求人倍率が最低のなっている現実をどう考えているのか。数限りない閣僚の失言で3人もの閣僚更迭があった。いずれを考えても、どこが「責任力」なのか。そもそも「責任力」などという言葉はない。類似した言葉に「責任能力」なるものあるが、それは「自己の行為の結果が不法な行為であることを弁識し得る能力」とある。
 国民の政治不信が、現在の政治への失望、権威の失墜、国民生活に明るい見通しを示してこなかったことにあることに気づいていない結果なのではないか。

 首相が「政治に対する信頼を損なわせた」と国民に陳謝」しているにも関わらず、その後も政府関係者の思い違いの発言が続いている。幹事長は「(首相が見送った)役員人事だろうが、閣僚人事だろうが、どうでもいいことだが、その方がみんな面白いんだから。国民の程度かもしれない」などと述べている。首相は「元気な高齢者をいかに使うか。この人たちは皆さんと違って、働くことしか才能がないと思ってください。働くことに、絶対の能力がある。80歳過ぎて遊びを覚えても遅い。働ける才能をもっと使い、その人たちが働けば、その人たちは納税者になる」と述べているのはどういうことなのか。首相の本意はどこにあるかは別にして「高齢者をいかに使うか」などという、国民を見下した、高い眼目線の物言いは鼻持ちならない。小学生程度の漢字も読めず、自分の発した言葉の意味も分からぬ、程度の低い首相の不遜な態度は人間としての品格、矜持の問題である。高齢者は戦時中から艱難辛苦を乗り越え、この国の繁栄に献身してきてくれた大先達なのではないか。「お元気な高齢者にも社会に参加し貢献できるようにしていただきたい」くらいのことは言えないのか。その首相の成果を明らかにできない八回の外国訪問で、計約8億7900万円もの出費があったという。
 また、日教組発言で更迭された中山前国交相は「10カ月過ぎれば反省期間も終わっていい。武士に二言はないとの気持ちもあるが、君子は豹変するという言葉もある。国民のためならば、ぱっと変わることだって許されるのではないか」などとして立候補する意欲を見せている。中馬元行革相は、公務員制度改革をめぐるやりとりの中で、「悪いことをするのはノンキャリアだ。上に行けないから、職場で、法にないことをする。上級職(キャリア)を通った人は、そういうことに手を染めない」としているが、行革担当相経験者の真面目に働く公務員に対する偏見は語るに落ちた感がある。

 民主党のマニフェストは、公立高校学費の無償化、月額2万6000円の「子ども手当」支給、農家への戸別所得補償などをはじめ明るい将来を描いているように見えるが、最大の問題点は財源をいかに確保するかにある。対する自民党はこうしたことを「バラマキ政策」というが、「定額給付金、エコ製品補助」などはバラマキではなかったのか。自民党は「2020年までに1世帯当たりの所得を平均で100万円増加させる」としているが、現在年収が100万円に満たない人びとも少なくないことを考えると、現実離れしているし、具体的に何をどうしたらそうできるのか、財源は何なのかが明記してないことは民主党と同じである。マニフェストは4年先までの国民との契約を示すべきであり、10年先にどうなるかも分からない絵空事にしか思えない。

民主党は高速道路の無料化を目指しているようだが、現在の週末の千円高速も含め、いずれも環境対策に逆行している。週末の千円高速だけでもCO増加が案じられている。環境に考慮した交通機関での対策を考えるなら、電車、バスなど公共機関の補助ないし無料化を考えることが、エコ対策に最適である。高速道路の無償化とエコ対策が二律背反であることに気づくべきである。
 経済政策で肝心なことは、目先だけの期間限定の補助でなく、長期的に効果が期待されている方針を考えることである。消費を促し、経済を活性化しようと考えるなら、労働者の安い賃金の対価としての廉売やエコ対策として、家電製品、自動車だけの支援が適切とは思えない。家電業界、自動車業界への支援とも思える。働きたい者が働ける場を増やし、働く者の賃金が向上すれば、自ずと消費は伸びるに違いない。国民に対する最も有効で平等な経済支援は、食料品への消費税の免除である。

 今回の衆院選挙は、明治以来の官僚支配による政治体制を打破できるかが大いに問われているのではないか。いずれにせよ、一党独裁は懸命な政策施行が健全に行われることを保証できるとは思えない。少数政党がキャスティングボートを握り、より国民の立場に立った将来への展望を開ける体制を望みたい。

 前回の郵政選挙の国中を包み込んだ熱気はいったい何だったのか。その熱気がもたらした結果、社会のかなりの部分が疲弊化してきたのではないか。地域に根ざした個人商店がなぜ姿を消していったのか。社会が豊かになり、老後が保障され将来に対し安心安全な社会が期待できているのか。
 マスコミは、郵政選挙でどのような報道をしてきたか考えるべきである。今回は世論を誘導するような過剰な報道はご免被りたい。公示前とはいえ、立候補予定の特定の政治家がマスコミに頻繁に現れるのはフェアーとは言えない。「真面目に働こうとする者が職を得て、真面目に働けば将来へ明るい希望が持てる」という単純な望みがなぜ叶えられないのか不思議でならない。


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