日々の抄

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 8月は平和を願う月

2009年8月8日(土)

 原爆投下から64年。6日、広島は「原爆の日」を迎えた。平和記念公園では午前、「原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」が開かれた。3月末の国内外の被爆者は23万5569人。前年から8123人減った。平均年齢は75.92歳。この1年で死亡が確認された広島での被爆者5635人という。
 海外からは過去最多の59カ国の代表が参列した。米国からの参加者の中には、来日前、「日本国民に謝罪する」との内容で署名を集めて秋葉市長に渡す予定だったが、米紙上で紹介されて予想以上の米世論の反発を受け断念した人もいたという。

 原爆を投下した米国での最新の調査(米キニピアック大学世論調査研究所)によると、広島、長崎への原爆投下について、米国人の61%が「投下は正しかった」と考え、投下を支持しない人は22%にとどまったという。男性の72%が投下を支持したのに対し、女性は51%という。2005年の調査では、男性73%、女性は42%だった。米国は大統領が「核なき世界」の実現を訴えているが、依然として、原爆投下を肯定する意見が根強い。

 平和宣言で秋葉市長は『今年4月には米国のオバマ大統領がプラハで、「核兵器を使った唯一の国として」、「核兵器のない世界」実現のために努力する「道義的責任」があることを明言しました。核兵器の廃絶は、被爆者のみならず世界の大多数の市民並びに国々の声であり、その声にオバマ大統領が耳を傾けたことは、「廃絶されることにしか意味のない核兵器」の位置付けを確固たるものにしました。それに応えて私たちには、オバマ大統領を支持し、核兵器廃絶のために活動する責任があります。この点を強調するため、世界の多数派である私たち自身を「オバマジョリティー」と呼び、力を合せて2020年までに核兵器の廃絶を実現しようと世界に呼び掛けます。その思いは、世界的評価が益々高まる日本国憲法に凝縮されています』としていることが新しい方向といえよう。(拙注:majority=多数派。オバマジョリティーはObama+majorityの造語)

 首相は「核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向け国際社会の先頭に立っていく」と挨拶しているが、2003年当時の小泉首相も「国際社会の先頭に立ち、核兵器廃絶に全力で取り組む」と挨拶している。最も核兵器を保有している米国の大統領が核兵器使用の「道義的責任」を明らかにし核兵器廃絶を叫び、それを支持することに吝かではないが、一般市民を対象とした唯一の被爆国の首相が、核廃絶をなぜ全世界に向けて主導しないのか。「核兵器廃絶に全力で取り組む」ための具体的な行動が求められているのではないか。
 日米両国が、1960年の日米安保条約改定時に、核兵器を搭載した米艦船の日本への寄港や領海通過を日本が容認することを秘密裏に合意した「核密約」があったことが、米側で公開された公文書などで存在が確認されているにも関わらず、日本政府は一貫して否定し、外務省幹部の指示で関連文書がすべて破棄れていたことが複数の元政府高官や元外務省幹部が匿名を条件に証言によって明らかになっている。非核三原則が有名無実化していることが国民に知らされず、闇に葬られていることを考えると、広島、長崎で失われた命の重みを生かそうとしない姿勢には怒りを感じないわけにいかない。

 原爆症認定集団訴訟の全面解決に向け、被爆者団体の代表らと麻生首相が、集団訴訟の終結に向けた確認書に署名した。認定を求めて訴えている原告が裁判所で1度でも原爆症と判断されれば、政府はそれを受け入れるという。敗訴した原告についても、議員立法でつくる基金を使って問題を解決するという内容である。だが、今回の確認書の直接の対象は、300人余の原告に限られるが、原爆症認定の申請を出して審査を待つ被爆者だけでも8千人近い。原爆症認定基準の見直しが早急に求められている。被爆対象者が高齢であること、司法によって判断されていることが長い時間引き延ばされていることを考えれば、被爆から64年経過しても全面解決しないことの不可思議さ、不条理を感じないわけにいかない。

 平和記念式典に折り鶴を持参して参列した複数の米国人は、長崎原爆資料館で初めて見た被爆者の恐怖におののく表情にショックを受け、原爆投下を懺悔する旅に出ているという。いまだに原爆投下を、戦争を早期解決のための正義と考えている人びとは、広島、長崎の地を訪れるといい。被爆の惨状を目にすれば必ずや自分たちの考えが誤りであることに気づくだろう。自らの家族、友人が被爆者のひとりだったらどうか、という想像力を働かせることである。米国で原爆展が開けないのは、自分たちの残虐な行為を目にしたくないためなのではないか。唯一の救いは大統領が核廃絶に動き出したこと、少数とはいえ米国の若者の中に原爆を否定する行動が起こりつつあることだ。

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